5-27『ツクヨミ、大阪支部あおさぎ』
クリスマスの翌日、穂高はその余韻に浸る暇もなく渡瀬とエリーと共に東京駅へと向かっていた。穂高が大阪へ修行へ向かうことは他の面子にも伝えていたが、なんと明日には織衣が北海道へ行くという。緋彗と和歌が目を丸くしていたのを見るに、彼女らにとってはそれ程信じられない出来事だったのだろう。一方で、年末年始も本部に残る斬治郎、昴、緋彗、和歌らは千代にしごかれることとなった。
「緊張してるかい?」
間もなく新幹線がホームに入線してくるというタイミングで、渡瀬が穂高に語りかけた。エリーはスーツケースの上に座って温かいお茶を飲んでいたが、穂高は電光掲示板に表示された新大阪という行き先を見ながらとうとうなのか、と覚悟を決めているところであった。
「今までこういうことはなかったので」
「合宿や遠征みたいなものさ。経験ない?」
「確かに僕はサッカーをしてましたけど、多分別物だと思います」
同じ戦いに行くと言っても意味合いは異なるものだ。穂高はそれ程渡瀬のことを恐れているわけではないが、革新協会や十字会が穂高を放っておくとは考えづらかったのだ。いいやうぬぼれ過ぎかと穂高は溜息をつきながら新幹線へと乗り込んでいた。
新大阪へと到着すると、渡瀬が予約していたレンタカーに乗り込んで御堂筋を南へ下る。穂高が市街地の景色を眺めていると、多くの人々で賑わう心斎橋、飲食店が立ち並ぶ狭い路地の一角にあるビルの前で停まった。
「ここですか?」
穂高の目の前にあるのは、一階が駐車場、二階にお好み焼き屋が入居している五階建ての貸店舗付きマンションだった。二階には表から階段で上がって入れるようだが、階段の前に定休日と書かれた看板が建てられていた。
「うん、ここがウチの支部だよ」
ツクヨミの拠点は民間人に変に怪しまれないようカモフラージュが施されているらしい。池袋にあるツクヨミの本部は、事務所が入っている建物には架空の貿易会社が入居しているということになっているし、副メイドが使う秋葉原の支部もメイド喫茶が入居している雑居ビルである。
ツクヨミの大阪支部、「あおさぎ」という店名のお好み焼き屋はシャッターが閉まっているものの店構えは一見普通の飲食店で、普段は昼間から深夜まで営業しているようだ。建物を見ても変な仕掛けがあるようには見えない。
穂高はスーツケースを持って、渡瀬に連れられてお好み焼き屋の裏口まで来ていた。エリーは黒猫に変身し渡瀬の肩に乗っている。
「ここに入るには合言葉が必要なんだ。秘密結社っぽいでしょ?」
むしろどうしてツクヨミの本部へ立ち入るのに合言葉も必要ないのか、穂高も未だに不思議に思っていたぐらいだ。
「どんな合言葉なんですか?」
「まぁ見せてあげるから」
すると渡瀬は裏口のドアを拳でガンガンと音が鳴る程叩き出した。まるで借金の取り立てでもしているのかと思う程乱暴な勢いだったが、店の中から物音が聞こえた。
『新聞は間に合っとるわ!』
店の中から中年ぐらいの男の怒号が聞こえた。ドアをガンガン叩いて新聞購読の勧誘はしないだろうと穂高は思う。
「鶴咲です。瓦屋さんはいらっしゃいますか?」
渡瀬がそう問うと、今度は内側からドアが叩かれた。中から再び男の声が聞こえる。
『関ケ原』
穂高は渡瀬の方を見て彼の反応を伺った。穂高はどうすれば良いかわからない。
「勝ってみて」
渡瀬にそう言われた穂高は、関ケ原という単語で連想される勝者を思い出す。意外にも小学校で習うほど簡単なものだ。
「……徳川家康?」
するとドアの内側からピンポン、と安そうなクイズグッズの音が聞こえた。ふざけてるのかと穂高が思っていると、中から再び男の声が聞こえてきた。
「双葉山と千代の富士」
二問目の問題に穂高は助けを求めて渡瀬の方を向いた。
「勝ってみて」
しかし渡瀬は再び穂高に微笑みながらそう言うだけだ。
「……相撲の話ですよね?」
「そうみたいだね」
「時代が違うんじゃないですか? あまり知らないですけど」
「まぁ、勝ちそうな方を選べば良いんじゃないかな」
穂高の相撲知識ではどちらが強いかなんてわからない。どちらも角界の歴史に名を残すレジェンド級の名力士だが、直接対決していない力士同士でどっちが勝つのかわかるわけがない。穂高は何となく取組をシミュレーションして答えてみた。
「……千代の富士!」
店の中からブブーッという音が聞こえた。
「理不尽じゃないですか!?」
「向こうのお気に召さなかったみたいだね」
穂高は答えを間違えてしまったが、ドアの内側から再び男の声が聞こえてきた。
「十三翼の戦い」
「じゅうさ……何て?」
聞いたこともない単語に穂高は再び助けを求めて渡瀬の方を向いた。
「十三翼の戦いは、十二世紀ぐらいのモンゴルで起きたテムジンとジャムカの戦いだね」
「……それ、世界史の範囲ですか?」
「習うとしてもスッと通るぐらいだろうね」
しかし穂高はテムジンという名の人物ぐらいは知っている。後にチンギスハンとして史上類を見ない大帝国を築き上げた人物だ。ならばその戦い自体は知らなくても、テムジンが勝っているはずだと穂高は考えた。
「テムジン!」
ドアの内側からブブーッという音が聞こえた。
「やっぱり理不尽じゃないですか!?」
「今回は難しかったね」
まさか合言葉が三問もあるとは想像していなかったし、穂高はその内二つも間違えた。これでは支部に入れないのではないかと思っていたが、普通に裏口のドアは開かれた。
中から出てきたのは頭に白い手ぬぐいを巻いた中年の男だった。「あおさぎ」と書かれた黒地のエプロンには青い鷺が描かれている。穂高は中から人が出てきたことに驚いていたが、愛想が良さそうな男はニコニコと笑いながら口を開いた。
「意外と早かったなぁツルちゃん。元気しとったか?」
「お久しぶりです瓦屋さん。この子が件の」
「おぉ確か鷹取……何やっけ?」
「あ、鷹取穂高です。お世話になります」
「そうやったそうやった、じゃあ君はタカちゃんやな。俺は瓦屋将彦、ここの支部長をやらせてもらっとる。よろしゅうよろしゅう」
穂高は瓦屋に頭をバシバシと叩かれていた。陽気な関西人という印象だ。穂高がイメージしていたコテコテの人間性が滲み出ている。
「タカちゃんはお好み焼き好きか?」
「は、はい」
「じゃあお昼はお好み焼きで決まりやな! ささ、早く上がりーな」
穂高は戸惑いながらも渡瀬に背中を押されて裏口から店の中に入った。トイレや物置の側を通り過ぎると、秘密結社の支部というにはあまりにも秘密結社らしくない、カウンター席やテーブル席が並ぶ至って普通の飲食店という内装だった。お好み焼き屋らしく各テーブルには鉄板が備え付けられていて、店内にはメニューだけではなく瓦屋がニッコニコの笑顔で釣り上げた大きな鯛を自慢している写真が貼られていた。
瓦屋が厨房の奥へ行ってしまった後、呆然とカウンター席の前に立っていた穂高は渡瀬に聞いた。
「あの、合言葉間違えませんでしたか?」
「一問しか正解できなかったね」
「それでも入れるんですか?」
渡瀬はフフッと笑うと、カウンターに置かれていたメニュー表を手に持って穂高に見せ、メニューの値段を指差した。
「合言葉を一問正解する度に、ここのメニューの値段が三割ずつ引かれていくんだよ。全問正解したらタダ。穂高は一問正解だから三割引きだね、まぁ僕もなんだけど」
つまりこちら側が勝つということは、店側が値段を負けるという意味らしい。
「でも全問間違えたら入れないんですよね?」
「いや、店先の監視カメラで見張ってるから大丈夫だよ。ドアを叩くのも合図みたいなものだし」
なら先程のは合言葉でも何でも無くてただのクイズじゃないかと穂高は思っていた。真剣に考えていたのがバカらしくなるが、食費が安くなるに越したことはない。
「でもタダになるって、商売になるんですか?」
「社割とか学割みたいなものさ。ツクヨミの社員食堂だと思えば良いんだよ」
二人で話していると、厨房の奥から瓦屋が二人の男女を連れてきた。一方は瓦屋よりも若い三十代ぐらいの筋肉質な男で、もう一方は瓦屋と同じ四十代ぐらいの茶髪のショートの女だった。どちらも瓦屋と同じ手ぬぐいを頭に巻き、青鷺が描かれた黒地のエプロンを着けていた。二人は穂高の方に来ると握手を求めてきたため穂高も握手を返した。
「私はここの店長をやってる松屋咲。皆にはサキって呼ばれてるわ。よろしくねタカちゃん」
「俺はここの店長をやっとる緑橋与四郎だ。気軽にミドリって呼んでや。よろしゅうなタカちゃん」
二人共穂高に『店長』と名乗った。穂高はそれを不思議に思いながら二人と握手していたが、二人は握手を終えるとすぐにお互いを鬼のような形相で睨みつけていた。そのあまりの迫力に穂高は気圧されて後退りしていたが、渡瀬はそれを笑顔で見ていたし黒猫エリーは呑気に眠っていた。
「ここの店長は俺や言うとるやろ? 元々道頓堀で働いてた俺の方が経験あるんや文句あるんか?」
「アタシだってここでもう三十年ぐらい働いてんねや、ミドリちゃんよりも上手く作れるわ」
「いやいやいやいや、ここの支部長は俺や。ならこの店の長も俺に決まっとるやろ?」
「あぁ? アンタはそんな偉そうなナリしとんのに豚玉一つも作れないやんけ!」
「おうおう作れるようになってから言えやこのドアホォッ!」
何故か瓦屋も混じって穂高達の前で口喧嘩を始める三人を見て、穂高は渡瀬の様子を伺った。しかし渡瀬は喧嘩を止める様子もなくただ見守っているだけだったので、穂高も大人しく見守ることにした。
「しゃーない、ここはお好み焼きで勝負するしかないやろ。タカちゃんにジャッジしてもらうほかないな!」
「え、僕がですか?」
「よっしゃやったるで!」
知らない間に穂高は勝負事に巻き込まれ、三人は早速仕込みを始めていた。どうやら穂高の感想によって店長が決まるらしい。
「あの、渡瀬さん」
「何?」
「実際誰が店長なんですか?」
「あぁ、登記上は架空の人間だから誰でもないかもね」
「じゃあ不毛な争いじゃないですか……」
挨拶も短めに、穂高は昼飯ついでに三人の勝負を見守ることにした。エリーも人間モードに戻り、穂高達はカウンター席に座ってお好み焼きが焼き上がるのを待った。
程なくしてお好み焼きが焼き上がった。ミドリが作ったのはシンプルな豚玉、しかしソースや青のりが香ばしく、匂いだけでも涎が出てきそうな一品だ。一方サキが作ったのはイカ玉、ネギがふんだんに使われていてふんわりと焼き上がっている。そして瓦屋が作ったのは……真っ黒に焼き上がった平べったい何かだ。苦労してキャベツを作っているキャベツ生産者に土下座して謝るべき一品だ。
ミドリとサキが穂高の前で笑顔で圧をかけながら見守る中(瓦屋は負けを認めて引っ込んでいった)、穂高はそれぞれに口をつけた。
「どうや?」
「どっちが美味い?」
穂高は二つのお好み焼きを食べ比べ、そして恐る恐る答えた。
「僕は……イカがあまり好きじゃないんです……」
イカ玉も十分美味しい仕上がりだったが、穂高はイカの独特の風味が苦手だったのだ。
「んなアホなあああっ!?」
イカ玉を作ったサキが頭を抱えて叫んでいた。もしも両方とも豚玉だったならふんわりとした生地のサキに軍配が上がっていたかもしれないが、素材の好き嫌いの差でミドリに軍配が上がった。
「やっぱり若い子は肉やな! これで今日の店長は俺に決まりや!」
「日替わりなんですか!?」
こんなノリが毎日続くのかと穂高は不思議に思いながら、豚玉もイカ玉もモグモグ食べていた。渡瀬はモダン焼きを、エリーは小さめの豚玉を食べていた。
穂高は以前に旅行で家族と一度だけ大阪に足を運んだことがあったが、知った土地というわけではなく、一週間程という期間でも馴染めるか多少の不安を抱えていた。ホテルに泊まるのではなく、この大阪支部に下宿するという形だったからだ。東京でも支部の人間とは顔を合わせて話したことがなかったためどんな人間がいるのだろうとも思っていたが、これだけ騒がしい空間なら上手くやっていけるかもしれない、と穂高はあっという間に豚玉もイカ玉も平らげていた。




