5-21『ボスのイタズラ』
牡丹は不思議な人間だ。能力者が所属する組織であるツクヨミのボスなのだからそれだけ能力者としても強いのだろうが、それにしては気分屋過ぎるというか、見た目よりも振る舞いが幼く見えた。噂によれば詠一郎と同い年らしいため二十七歳ぐらいか。中身はまだまだうら若き少女という感じだ。
そもそもこのツクヨミという組織自体、平均年齢がかなり低い。本部に所属する面子の中で一番の年長が三十代そこそこである副メイドで、殆どが十代なのだ。ツクヨミは遥か昔から存在していた組織らしいが、それにしては中年以上の年代がいないという謎もあった。
電車が上野に到着し、穂高は牡丹と公園口に出て上野公園の大噴水へと向かった。近くのカフェでホットコーヒーを奢ってもらった穂高は牡丹と近くのベンチに腰掛けた。
「立てば芍薬」
穂高がホットコーヒーを飲んでいると、ふと牡丹が呟いた。一言だけ呟いた牡丹は、何かを期待するかのような笑顔で穂高の方を向いた。
「……立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花?」
「うん、正解」
正解したものの穂高は自分に一体何が求められていたのか、これを間違えてしまっていたらどうなっていたのかと怖くなった。
「じゃあ、私綺麗?」
「え、お綺麗だと思いますけど……」
「フフ、お上手なこと」
そんな口裂け女みたいな聞かれ方をされても牡丹はマスクをしていないし勿論口は裂けてもいない。決してお世辞ではなく、穂高の目から見ても牡丹は綺麗な女性だ。美しさもあるし、謎が多いという意味ではミステリアスかもしれないが、どこか少女のような無邪気さも残っている。しかし牡丹へのファーストインプレッションは『変人』だった。半年程前に織衣と緋彗がリーナから襲撃を受けた時、牡丹は現場に駆けつけていたのにも関わらず穂高に二人の救助を押し付けてきたからだ。
「じゃあ、私のことは好き?」
そう言って牡丹は急に穂高の両頬に触れて顔を近づけてきた。穂高は気圧されて思わずベンチに倒されてしまったが、それでも構わず牡丹はさらに顔を近づけ、銀色の長い髪が穂高の顔にかかっていた。
「し、知らないです……」
穂高の曖昧な答えに牡丹はフフフと笑いながらも、穂高の頬から手を離さないまま口を開いた。
「じゃあどんな子がタイプ? リーナちゃんみたいな積極的で献身的な女の子? 織姫ちゃんみたいな奥手な女の子? それともエヴァみたいな年上が好み?」
「いや、牡丹さんに言うわけがないじゃないですか」
「あら残念」
すると牡丹は穂高から手を離してベンチに座り直した。穂高も起き上がってキョロキョロと辺りを見回すが、周囲を歩いて行く人々は穂高が押し倒されたことを全く気にしていないようだった。
「あ、誰にも見られてないから大丈夫よ」
「だからって大丈夫だとは思いませんが」
またいつもの“かくれんぼ”というやつだろう。それで姿を消すことが出来るのは穂高も知っているが、どんな原理の能力なのか推測が難しい。前に缶蹴りと称してリーナを思いっきり蹴飛ばしていたのをみるに具現化の類か。
穂高はコーヒーを喉に通して、鼓動が早まった心臓を落ち着かせようとしていた。やっぱりこの人は相当ぶっ飛んでるなと穂高は思いながら、先程の牡丹が聞いてきた好みのタイプと、ここへ穂高を呼び出した理由が繋がっているのかもしれないと考えていた。
「牡丹さんは、僕がエヴァを好きになったから庇おうとした……とお考えですか」
今回の件は、オスカルとエヴァの殺害に関係があると穂高は思っていた。しかし牡丹はコーヒーを飲んだ後、首を横に振って口を開いた。
「その方が面白いかなってぐらいね。私は穂高君に残る僅かな良心がそうさせたんだと思ってるけど」
「……少しカッとしただけです。あと、僅かなってのはは余計です」
「変わった子ね。私はてっきり、穂高君は女という生物が苦手なのかと思ってたけど」
「どうしてです?」
「だって──」
すると牡丹は突然穂高の顎を掴んで、再び押し倒してくるのかと思いきや、顔を近づけてきただけだった。しかしそれは穂高を驚かせてのけ反らせるには十分だった。お互いの唇が触れてしまいそうな至近距離で、牡丹の瞳が穂高を覗いていた。
「な、なんですか?」
つくづく行動が読めない人だと穂高は思う。何かの拍子に殺されるのではと思ってしまうぐらい、突拍子もないことを牡丹はしてくるのだ。牡丹は穂高の顎を掴んだまま口を開く。
「穂高君は平気そうに振る舞ってるけど、やっぱり怯えた顔をしているわ」
「……それが普通では?」
「斬治郎君なら簡単に堕ちちゃうけどね。渡瀬君には効かないけど」
酷い言い草だと穂高は思った。斬治郎はあまり表には出さないが彼がむっつりスケベであることを穂高は知っている。確かに渡瀬には効かなさそうだと予想出来るが、昴相手だったら気絶しかねない。
牡丹はふざけているように見えるが、彼女は知っているのだ。穂高とリーナの関係を。
「貴方は女の味を知っている。でもそれは劇物よ。知らない方が良い、多くの人はそんな方法で食べさせられないし、食べることはないんだから」
穂高はその味を知っている。
その美味しさを知っている。
その不味さも知っている。
「いや、違います。僕は……抗うことが出来なかったんです」
「引け目を感じているの? ならその考えは今すぐ捨てなさい。それがダメだとわかっていても、それが美味しく感じる時もあるんだから」
穂高は自分の身の上を殆ど誰にも語ったことはないが、華の能力である“独り身の選球眼”を元に作成された報告書を牡丹は知っているはずだ。そのため、穂高の身に起きたことを知っている。おそらく穂高本人よりも。
「……僕は人を物で例えるのは嫌いです」
「そう? 織衣ちゃん達は絶品に見えない?」
「それとこれとは話が違います」
「それは残念。でも、貴方は何だか思春期の男子高校生っぽくないのよね。詠一郎なんかは学生の時に、好きな女子にしつこく付き纏ったりしていたのに」
「詠一郎さんと、高校からの付き合いなんですか?」
「そう。私はちょっとグレてたけど、私なりに楽しい青春を送っていたつもり。
でも、穂高君の境遇を考えても、貴方には人間らしさが足りないと思うのよね。理性を無くせとまでは言わないけれど、そうね……本当の美味しさを知るには時間が必要みたいね」
「じゃあ、牡丹さんは僕にその美味しさを教えてくれるんですか?」
からかわれていることに多少苛立った穂高は反抗するように牡丹に言った。すると牡丹はニッコリと微笑んで、穂高の一物に触れて一気に握り潰した!
「あおおおおぉっ!?」
あまりの痛さに穂高はベンチに勢いよく頭を打ち付け、そのままベンチから転がり落ちて地面をのたうち回るように股間を押さえて痛がった。能力者狩りとして様々な傷を負い痛みを味わってきたとはいえ、こんな頭まで破裂しそうな痛みは初めてだ。
「そんな譫言は、私に勝ってから言いなさい」
牡丹はフフフと笑いながら穂高に言った。自分がこんな目に遭わないといけないのは絶対におかしいと穂高は思いつつ、痛みに耐えながらベンチに座り直した。
「じゃ、じゃあ、どうすれば僕は牡丹さんに勝てますか?」
「あら、懲りない子ね。フフ、今度渡瀬君に修行に連れてってもらうんでしょ? ちゃんと頑張ったら何か見つかるかもしれないわ。ま、それでも私達には届かないかもしれないけど」
別に穂高は牡丹に好かれたいから勝ちたいわけではない。ただ単に、能力者としての強さに興味があるだけだ。穂高の能力はまだ単純だ、織衣や緋彗、斬治郎の能力も敵として出会ったとしてもすぐに何の能力かわかる。しかし渡瀬や牡丹の能力はどこか不気味に感じるのだ。表面的に見えるものとは全く違う強大な力を彼らは持っているはずだ。
「だったら、僕は牡丹さん達みたいに赤い光を持つことが出来るんですか?」
赤い光の能力者、彼らが特別な存在だということは穂高も知っている。何故なら同じく赤い光を持つ革新協会統帥から直接話を聞いたことがあるからだ。彼の能力は単純と言えば単純だが、彼は能力者にとって最大の敵だった。
「そうね……穂高君にはまだ早いかも」
「年齢的な意味でですか?」
「ううん、経験的な意味でね。多分、それも渡瀬君が教えてくれると思うわ」
穂高は能力を発現してから一年も経っていないが、経験はかなり積んでいる方だと自負している。しかし、穂高が手も足も出なかったオスカルを渡瀬と詠一郎が瞬殺したのをその目で見て、彼らに遠く及ばないという現実を穂高は知った。きっと彼らなら、ジャンやツバキ達でさえ簡単に倒してしまうのだろう。
「そうね、ちょっと試してみようかしら。私の目を見てて」
穂高は牡丹と向かい合い、彼女と目を合わせた。すると牡丹の右目に赤い光が灯された。
「──紋章共鳴」
「え」
「“国産み”」
その瞬間、牡丹の体から無数の黒い剣が生み出されたかと思えば、それらは穂高の体に突き刺さり、その中へと侵入した。痛みこそ伴わなかったものの剣は絶えず穂高に襲いかかり、それらは快感と不快感を交えながら穂高の体中を巡っていき、穂高の脳を混乱させた。快感と不快感によって全身が震えるように痙攣し、このままでは体が破裂するんじゃないかと穂高はこの異物を体から追い出そうとする。
穂高は僅かに残った自我で自分の眉間を思いっきりつまみ、その痛みでようやく我に返った。体中に気持ちよさと気持ち悪さが共存しているという不思議な状態で、穂高は体を震わせながらも何とか耐えていた。
「へぇ、よく耐えたじゃない」
ゼェゼェとほんの僅かな間にすっかり疲弊してしまった穂高の前で牡丹は笑っていた。
「意識を保ってるだけ大したものだわ。千代ちゃんでさえ気絶しちゃうのに」
なぜ千代に対してこんなことをしたことがあるのか気になるが、穂高の頭はそれどころではなかった。
「……もう勘弁してください」
なぜ同じ組織の上司から股間を思いっきり握り潰されたり意識を失わせかけたりとパワハラを受けなければならないのか。千代の方がよっぽど優しく思える。
「今日は、僕をからかうためにわざわざ呼び出したんですか?」
「ううん、元気にしてるかなって思って」
「……別に呼び出す必要はなかったんじゃないですか?」
「ちょっとしたデートのつもりだったんだけど、ダメ?」
「僕は何の躊躇いもなく笑顔で人の股間を握り潰してくるような人とデートしたくありません」
「そっか……」
デートの雰囲気もへったくれもなく、お昼時になり空腹を覚え始めた頃、牡丹は用事があるため別れることになった。穂高は午後も予定が無いが、牡丹は電車で帰ると言うので上野駅の改札前で牡丹を見送ることにした。
「じゃあまた、用事があったら呼び出すから」
「次は変なことしないでくださいね……」
「フフ、それは貴方次第ね……あ」
穂高に手を振って去ろうとした牡丹は何かを思い出したかのように、穂高の前に立った。そして穂高の両頬に触れると、そのまま一気に顔を近づけ──。
「むぐっ!?」
──口づけを交わした。
「それじゃ」
牡丹は無邪気な笑顔で穂高に手を振って改札の中へと入っていった。周囲を行き交う人の中には驚いた表情をしている人もいるため、今のは“かくれんぼ”も使っていなかったのだ。
穂高は改札の前で、自分の唇に触れながら立ち尽くしていた。
この甘い快さに掻き立てられる興奮と。
この純情をかき乱された怒りで鼓動が早くなる。
これは一体何のメッセージかと穂高が冷静に考えようとした時、穂高は自分への妙な視線を感じ取った。
穂高は視線を感じた方向──改札の影から穂高の方を覗き見る人影に気がついた。
そこに潜んでいたのは、斬治郎と昴、緋彗と和歌、そして織衣の五人だった。帽子を深く被ったりサングラスをかけたりマスクを着けたりと雑な変装を施した五人は、口をあんぐりと開けて穂高のことを見ていた。
あの女、とんでもない爆弾を投下していきやがった。穂高は牡丹がとことん自分をからかっていたことに気がついたのだった。




