5-14『穂高の理想』
黒剣を生み出すと同時に、この世界が一瞬で闇に包まれる。普通の相手ならこの時点で視界が真っ黒に染められてしまう。
視覚を奪われるのがどれだけ恐ろしいことか、先人達の歴史や文化を見るだけで人々がどれだけ闇を恐れていたかがわかる。突然の暗転、しかもそれがずっと続くともなれば人はいずれパニックに陥る。
そんな空間で穂高は月のように煌めくのだ。太陽無き世界に光を与える存在は満ち行き、そして欠けてゆく。穂高も同様に、光を帯びながら満月へと移り変わり、そして新月へと移り変わるように──穂高の死が近づいてゆく。
どうして自分の紋章共鳴で月が存在するのか、それを使う穂高でさえわかっていない。ただ、穂高が生と死を同時に願った結果生まれた奥義だということは知っていた、穂高の最初の紋章共鳴を目撃したリーナがそう言っていたからだ。
紋章共鳴は、いつもは無意識にストッパーがかかっている能力の出力を最大限に引き上げ、より強力な技を使えるようにする奥義だ。穂高の前にいた詠一郎も視界を奪われているはず。
しかし、そんな闇を突き破って、詠一郎の手が穂高の顔に迫っていた──。
詠一郎の手が自分の顔に迫った時、穂高は反射的に目を瞑ってしまった。目を開けると、詠一郎の手の平は穂高の顔から数ミリ程の隙間を残して穂高の顔に当たらなかった。詠一郎の構えは掌底打ちのようで、それは穂高の顔に当たらなかったのに、詠一郎がわざと寸止めにしてくれたのに、穂高はもう攻撃を仕掛けようとしなかった。
その攻撃に穂高が少しでも怯えてしまった時点で、勝負はもう決まっていた。もし詠一郎の手が当たっていたら──その先の未来をシミュレートして、穂高は自分自身でも驚くほど、すぐに我に返ったのだ。
「収まったか?」
怒りを発散した、というよりかは血の気が引いたのだ。詠一郎は穂高の顔の前から手をのけて笑っていた。
「ま、ボロボロに弱ってんだからそんなものさ」
確かに穂高は池袋から秩父まで能力で移動したため大分体力を消耗していた。しかしまだリーナと満足に遊べるぐらいには、いや戦えるだけの無理は出来るはずだった。しかし、詠一郎にとっては朝飯前ぐらいだったのだろう。これ程、詠一郎と力の差があるとは穂高も思っていなかった。
「……すいませんでした」
穂高は能力を解除して詠一郎に謝った。
「謝ることはねぇさ。お前はお前なりの正義を貫こうとした。何も知らない人間がこの状況を見たら、俺達の方が圧倒的に悪人だろ?」
自虐するように詠一郎は言う。確かにそうかもしれないが、それを言うなら詠一郎達だって彼らの、ツクヨミとしての正義を貫いただけなのだ。穂高は同じツクヨミの能力者という立場にありながら、ただそれを受け入れられなかっただけだ。穂高は十字会の味方ではなかったが、エヴァに肩入れしてしまったのだ。
「だが、こんぐらいでへばってるようじゃ不安だな」
渡瀬は穂高の隣まで来て、穂高の肩をポンと叩いた。
「良いか? 奇跡は滅多に起こらないから奇跡なんだ。だが奇跡は起こる。お前がその力を手に入れたようにな。
お前の力は、福岡で死んだ人間達が欲しがっていた奇跡だ」
彼らはよく、能力のことを『奇跡の力』という風に呼ぶ。渡瀬や詠一郎、穂高、そしてオスカルも奇跡を体験した。じゃあ何故、エヴァには奇跡が起きなかったのか。信仰心が足りなかったから? オスカルへの愛が足りなかったから? そんな物差しで測ることが出来ないような、数値化も出来ないような曖昧なもののために死ななければならないのか。
「その力の意味を、よく確かめるんだな」
そう言って、詠一郎は公園の出口の方へと歩いていってしまった。
広場には穂高と渡瀬と、そしてオスカルとエヴァの亡骸が残されていた。
「すいません、カッとしちゃって……」
穂高は二人の亡骸を見ながら呟き、顔をうつむかせていた。渡瀬はオスカルの亡骸の側にしゃがみ、彼の首からルビーのチョーカーを回収していた。そして穂高の隣に立って渡瀬は穏やかな声で言った。
「僕がエヴァに引き金を引いたのに、僕に謝るのかい?」
エヴァの頭に弾丸を放ったのは確かに渡瀬だ。穂高は渡瀬にそれとなくエヴァの助命を頼んでいた、彼はまだ穂高の気持ちをわかってくれると思っていたからだ。しかし今は、穂高がエヴァを庇うのもおかしいことだと穂高自身も気づいた。
「僕も、こんなことをずっと繰り返してきたんですから……」
穂高は何度も命を奪ってきた側の人間だったし、こうして殺される側の人間でもあった。自分の行いがどれだけの不幸を生み出してきたか、自分の行いがどれだけ間違っていることか、能力者狩りとして革新協会や十字会と戦っていた穂高はそんな葛藤とも戦い続けていた。
穂高は能力者が嫌いだ。十字会も嫌いだ。しかし一般人を巻き込むのは良しとしなかった。エヴァはオスカルの恋人であり無関係な人間とは言えないが、こんな結末はあんまりだ。
「穂高君の良心は間違っていないと思うよ。矛盾してるとは思うけどね。多分千代だったらあと五発ぐらい入れないと気が済まないだろうから、まだ収まりきらないなら相手になろうか?」
「いえ、良いです」
先程の詠一郎の一手だけで穂高は血の気が引いて怒りが収まった。やはり彼らと穂高は何かが違う。同じ能力者だとしても、持っている能力単体の強さの違いだけではない力の差を感じた。
「渡瀬さんは、エヴァの家族のことを知ってるんですか?」
「うん、副メイドさんから聞いたよ。副メイドさんは穂高君達には教えなかったかもね」
きっと任務の邪魔になる良心の諍いを無くすためだろう。それに穂高達の任務はあくまで渡瀬と詠一郎がエヴァを誘拐するための陽動だ。しかもエヴァはオスカルを誘き出すための餌だとしか穂高は聞いていなかった。しかしよく考えれば、エヴァの死は予測できないことでもなかったはずだ。
「例えば、穂高君の敵が穂高君の過去を知っていたとしようか。なら、その敵は穂高君に同情して手加減してくれると思うかい?」
穂高は首を横に振った。能力者狩りとして多くの敵と戦ってきたが、そんな良心的な敵と出会ったことはない。革新協会の中ではまだ常識人に見える赤王善治でさえ、他人の生死に対する損得勘定がざっくりし過ぎている。むしろリーナやツバキのように、穂高の過去を知ってより加虐傾向を見せる敵の方が穂高の記憶に強く刻まれている。
「僕達が戦っている相手が、自分と同じような考えを持っているとは限らないんだよ。敵じゃなくても、この世界の皆がね。僕も詠一郎さんも穂高君も革新協会も十字会も、殺したい人間を簡単に殺すだけの手段を持っているし、躊躇することはない。
僕達を区別するのはただの理想だよ。自分が追い求める世界にどんな存在が必要ないか、その取捨選択の仕方が違うだけなんだ。ま、僕達はどうあがいても極悪非道な殺人鬼だろうけどね」
穂高は自分の手を見た。今まで多くの命を奪ってきた穂高の手には、赤い血がベットリと付いているように見え、穂高はすぐに目を逸らした。
「手を汚すのは僕達だけで十分なんだ。穂高君は、その気持ちを大事にしておきなよ。穂高君は自分の良心と戦い続けることになるだろうけど、君はそれをなくしちゃいけない」
穂高にはオスカルを倒すだけの力が足りなかった。前回の戦いの反省から戦術を見直そうとしても、ジャンよりも能力の相性が悪いと穂高は感じていた。しかし渡瀬と詠一郎はこうも簡単に、しかも明らかな暴走状態にあったオスカルを始末することが出来る。渡瀬も詠一郎も傷一つなく、一瞬でだ。
しかし自分なら──もし自分がオスカルを倒せるだけの力を持っていたら、一人の、たった一人だとしても、不幸な死を防ぐことが出来たのではないか。
「渡瀬さん」
身近な一人の死は、遠くの一人の死より重い。それを穂高は何度も味わってきた。
「どうすれば」
穂高が渡瀬の顔を見ると、彼はいつもと変わらないニコニコとした笑顔を穂高に向けていた。
「どうすれば僕は、渡瀬さんや詠一郎さんに勝てるようになりますか?」
穂高の敵は多く、そして強い。オスカルやジャンだけではない。革新協会にはツバキやリーナ、善治、そして彼らを統べる統帥がいる。穂高は彼らを倒すためにより強くなろうと願った、しかし敵は増えていくばかりだ。それはツクヨミに入ってからも変わらないし、だからといって穂高が強くなったわけでもなかった。
しかし今は、自分よりも強く、そして頼りになる存在が目の前にいた。渡瀬は表情を変えずにニコニコしたまま口を開いた。
「穂高君は、冬休みに何か予定がある?」
「いえ、特には」
「年末年始は福岡に帰らないのかい?」
「五年前から一度も帰ってないですよ」
椛が帰りたがらなかったため、穂高は東京に引っ越してきてから一度も福岡に帰ったことがない。福岡には親戚が多くいるが、穂高を歓迎してくれるかわからない。
渡瀬はなら、と手をポンと叩くと声を弾ませて言った。
「じゃあ、年末年始は僕と修行しようか」
「修行、ですか?」
「うん。何をするかは追々考えるけど、一週間ぐらいみっちりしごいてあげるよ」
穂高は渡瀬や千代が言うしごきが怖くてたまらなかった。穂高が千代に一度東京湾に沈められたことがあるが、四肢がほぼ麻痺したような状態でよくわからない重りを体に縛り付けられて海底に沈められたという記憶は、今でもよく夢で見てしまう。あの時、まだ花咲病を発症していて『光』の能力しかない不完全な状態だったとはいえ、暴走状態の穂高を制圧した千代も十分に強い。
ただ渡瀬は千代とは違う恐ろしさを持っているように見えた。
「……楽しみにしておきます」
渡瀬はこうしていつも笑顔を絶やさない人間である分、この笑顔のまま千代と同じような行為を働くのではという恐怖心がなくもないのだ。だが、渡瀬がわざわざ時間を設けて直々に鍛えてくれるというのはとてもありがたいことだった。
「あ、そうだ。ちょっと確認したいことがあるんだけど」
渡瀬はポケットの中から、先程オスカルの首から回収したルビーチョーカーを取り出して穂高に見せた。
「このルビーに触ってみてよ」
それに一体何の意味があるのか穂高はよくわからないまま、渡瀬に言われた通りチョーカーに付いていたルビーの宝石に触れた。
すると──ルビーに触れた手先からまるで高電圧の電流が流れたかのような激しい痺れが全身を襲い、穂高は気を失いかけた。体がよろめいたが渡瀬に支えられ、そして自分が知らない、見たこともない景色が穂高の目の前に広がっていた。
──炎に包まれた街の真ん中で対峙する二人の金髪の少年。一方は裕福そうな綺麗な格好の子どもで、もう一方は上半身裸だったが、どちらも体中痣や傷だらけで、二人が争う中一人の少女が泣きながら喧嘩を止めようとしていた。
彼らが話している言葉は聞き取れない。彼らの容姿や風景から見て日本ではない。そこは────。
「はぁっ、はぁっ……!」
穂高は我を取り戻し、呼吸を整えた。突然脳内に流れ込んできた自分が知らない記憶は消えたが、穂高の頭は混乱していた。
「やっぱり、何か見えるみたいだね」
渡瀬はルビーのチョーカーを再びポケットにしまっていた。穂高は落ち着いてから口を開いた。
「僕に、何かしましたか?」
「さぁね。それは冬休みの修行で教えてあげるよ。僕なりの推理しか教えてあげられないけどね」
穂高と渡瀬はその場を後にして、車が停めてある駐車場へと向かった。しかし駐車場には渡瀬と詠一郎が乗ってきた車が無く、知らない白のワゴン車が停まっていた。
「あ、詠一郎さん一人で帰っちゃったみたいだね。酷いなぁ、僕達がまだ残ってるのに」
すると白いワゴン車から出てきた作業服姿の男達は、穂高や渡瀬のことを気にする様子もなく、道具箱のようなものを持って広場の方へと向かってしまった。
「あの人達は?」
「あぁ、支部の人達だよ。オスカル達の回収だね」
ツクヨミだけではなく革新協会等が起こした騒動の後始末は副メイドが対処する時もあるが、殆どは支部の人間の仕事だと言う。警察に紛れて能力者に関係する証拠を回収・処分したり、情報欺瞞のためデマを流したり、目撃した人間から騒動の記憶を消去したりと滅茶苦茶なこともする。ツクヨミの組織としての目的は能力という力を隠すことだが、実際それに貢献しているのは支部の人間だけなのではないかと穂高は疑問に思っていた。
「あの二人は、どこに送られるんですか?」
「イタリアかな。日本に骨を埋めるわけにはいかないからね。宗派もわからないし」
「そうですか……」
すると、駐車場に一台の黒いワンボックスカーが走ってきた。また支部の人間が来たのかと思ったら、車は穂高達の前に止まり、運転手が窓から身を乗り出して二人に怒鳴った。
「迎えに来てやったわよコンチクショー!」
車を運転していたのは千代だった。助手席には北斗が座っていて、後部座席からはエリーが顔を覗かせていた。なぜ千代がこんなに怒っているかはわからないが、池袋から秩父までわざわざ迎えに来てくれたらしい。
「お疲れ千代。運転代わるよ」
「あーもう! アタシはバイクは好きだけど車の運転は嫌いだって言ってるでしょ!」
確かに穂高は千代が車を運転している姿を見たことがなかった。渡瀬は自分をペーパードライバーだと言うが普通に運転している姿をよく見かける。
「んで、何でタカまでいんの?」
運転席から降りてきた千代が穂高に言った。いつの頃からか、千代は穂高をタカと呼ぶようになった。
「見学です」
「へぇ、何かためになった?」
「千代さんに東京湾に沈められたことを思い出しましたね」
すると千代は穂高の肩をポンと叩いた。
「どこの骨が良い?」
どうやらどこの骨を折るか、いや犠牲にするか選ばせてくれるらしい。どの骨も御免だ。
「千代への対処法も教えないとね」
そんな渡瀬の冗談を(冗談ではないかもしれないが)聞きながら、穂高は北斗に変わって助手席に乗り込んだ。そして支部の人間達にブルーシートをかけられて担架で回収されていくオスカルとエヴァをチラッと見たがすぐに目を逸らし、目を閉じて眠りについた。




