5-11『エヴァの覚悟』
「何のことですか? どうして私が?」
穂高は必死に動揺を隠しながらエヴァに聞いた。
「だって貴方、男の子でしょ?」
どうせ男だとバレるんだったら女装した意味が無いじゃないかと穂高は心のなかで嘆いていた。
「……どうしてそう思われました?」
「前にも女装した男の子に殺されそうになったから、何となくわかる。でも、貴方はとても可愛いと思うわ」
どうしてそんな経験があるのかと穂高は思ったが、目の前に自分を殺しに来た暗殺者がいると気づいている割には、エヴァはとても落ち着いているように見えた。
「貴方達は……まさかカラビニエリ? 中央情報局? それとも公安調査庁?」
「いえ、僕達はそんな公的な組織じゃありません」
「じゃあ香港系マフィア? それとも中米の麻薬組織?」
「そんな大きな組織でもありません」
それだけスラスラと自分を狙う組織の名前を挙げられるとは、やはり立場上エヴァは目をつけられることが多いようだ。表向きはただの大学生なのに。
「そんなに命を狙われたことがあるんですか?」
「うん、何度も。日本はいくらか安全かと思ってたけど、とうとう捕まっちゃった」
「じゃあ、美術を学ぶために来たっていうのは嘘なんですか?」
「ううん、絵を学んでいるのは本当よ。でも、この画廊もアトリエも十字会が用意してくれたもの。私を閉じ込めるためにね」
常にエヴァに護衛をつけるのも十字会にとっては重荷となるだろう。だからわざわざ十字会側がこうして環境を用意して、護衛が楽になるようにしているのだ。エヴァはやはり本国イタリアでも命を狙われやすいのかもしれない。十字会は巨大で恐れられる組織だが、それだけ敵対している組織も多い。
「ちなみに、あの子が絵を好きなのは本当?」
「私……いや僕は知らないですけど、白雪さんがあんなに楽しそうにしているのは初めて見ました」
「そう、それなら良かった。それで、いつ私を殺すの?」
大した女性だと穂高は思った。こうして自分を殺しに来た刺客が目の前にいるのに、わざわざ自分から近づいてきて逃げようともしない。武器や何か能力を持っているわけでもなさそうだ。しかし、穂高達の目的はエヴァの殺害ではない。
「いえ、僕達の狙いはオスカル・ヴェントゥーラです」
穂高がそう告げてもエヴァは驚かなかった。エヴァは自分が置かれている状況をよく理解しているのだろう。
「私を餌に取引を?」
「いえ、殺害です」
「まぁ、そうよね……」
エヴァも穂高達の計画を理解したはずだ。恋人であるオスカルの殺害が目的だと知った時、エヴァは顔を曇らせた。
「助けを呼ばないんですか? 外には護衛がいるんでしょう?」
「私はあまりクローチェのことが好きじゃないの」
「オスカルは十字会にいるのに?」
「だって、私は家族をクローチェに殺されたから」
穂高はその事実に驚いて、思わず声を上げそうになったが口を手で押さえて堪えた。
「貴方も、クローチェに誰かを殺されたことがある?」
正直に話すべきか穂高は迷った。穂高の妹、椛は十字会に誘拐され殺害された。しかしその事件にエヴァが直接関わっていたわけではない。ここで自分が十字会や革新協会に対する恨みつらみを長々と語っても、エヴァを見せしめのように殺したところで意味はないと、十字会の人間を相手にしている割に穂高は冷静に考えていた。
何より、彼女が穂高の妹の死に関して気に病む必要は無いのだ。そう思わせるのも悪いと考えるほど、エヴァの人柄を穂高は好いていた。今更朝をついても見透かされるような気がしていた。
「僕は、妹を殺されました」
エヴァの目に穂高はどう映っているだろう。見た目は女装してノコノコとやってきた変な男だろうが、きっとそれを復讐だと捉えるはずだ。
「僕の妹は、十字会に誘拐されて殺されたんです。どうして貴方の家族は、十字会に殺されたんですか?」
未だに穂高の妹、椛が誘拐され殺された理由は不明だが、能力者狩りの関係者だったからだろうと穂高は推理していた。
エヴァは小さく溜息を吐くと、物憂げな表情で口を開いた。
「私の父は、お世辞にも正しい人間じゃなかったから。仕事に失敗してクローチェに目をつけられて、私が十五歳の時に父と兄は拷問の末に殺されて、母と姉は手籠にされて殺された。親戚も皆、ね。私も……そうなる運命だと思っていた」
エヴァがまるで聖書や神話を冒涜するような絵を平気で描いているのは、自分達の願いを何でも叶えてくれるような便利な神はいないと、その壮絶な経験から悟ったからだろう。
「ただ、丁度休暇でシチリアに来ていたジャンは私のことを気に入って愛人にならないかと言ってきたの。愛人と言っても、女癖の悪いジャンにとっては性奴隷みたいなものよ。私には選択肢なんてなかったけど、そこで私を助けてくれたのが友人のオスカルだった」
「まだその時は恋人じゃなかったんですか?」
「えぇ、私がナポリからシチリアに引っ越した時だから、五歳ぐらいの時からの付き合いだった。彼は私に何度もプロポーズしてきたけど、私は大人びた人が好みだったから受け入れはしなかった。
でも私がジャンに連れ去られそうになった時に、オスカルはジャンと一騎打ちをしたの。私を守るために」
オスカルが能力を手に入れたのはその時か。いや、だとしたらジャンが生きているのはおかしいためジャンもその時から既に能力を持っていたのだろう。まさかあの二人が能力を発現したのは、一人の女性を巡ってのことかと穂高は驚いていた。
「二人は一個の村を焼け野原にしてまで戦って……決着はつかなかったみたいだけど、ジャンは私を手に入れるのを諦めた。でもどうしてか、二人は戦いの末に意気投合して、オスカルは十字会に入ったの」
「じゃあ、貴方がオスカルと付き合っているのは自分自身を守るため?」
「私がオスカルのことを嫌いとは言ってないでしょ?」
フフ、とエヴァは無邪気な笑みを穂高に見せた。きっと十字会という組織関係なく、いいや十字会なんて存在しなければ二人は幸せな関係を気づいていたはずだ。いや──奇しくもその恋を邪魔するジャンが存在してなかったら、二人が結ばれることはなかったのかもしれない。
「オスカルは未だにキザで子どもみたいな男だけど、私はそんな彼のことを好きになっちゃったから」
十字会さえ存在しなければ、きっとエヴァの家族が殺されることはなかっただろう。椛だって死ぬことはなかったはずだ。
「もしも、オスカルがクローチェを裏切るなら彼は殺されずに済む?」
今回の任務の目標は、オスカル・ヴェントゥーラの殺害だ。しかしもしも、オスカルがクローチェを裏切ってツクヨミ側に回るという未来が存在したら? それはオスカル自身にも組織の裏切りという大きなリスクが伴うが、彼がもし味方になってくれるのなら無用な争いは避けられるかもしれない。
穂高は彼に殺されたこともあるが、何度も死んできているため殺されても相手を恨むことはない。もしもオスカルがエヴァを守るためという理由で十字会にいるのであれば、十字会を嫌う穂高も多少は受け入れることも出来る。
勿論穂高の一存で決められることではない。今回の作戦においてオスカルを倒す役目にある、あの化物二人に相談が必要だ。詠一郎はわからないが、渡瀬は話がわからない人間ではない。
「それは、僕が判断できることじゃありません」
穂高は高校生組の中ではよくリーダーをさせられているが、今回の任務における決定権は持っていない。作戦を立案したのは副メイドだし、詠一郎や渡瀬もいる。
「多分、神様が決めることだと思います」
穂高は明言を避けた。おそらくエヴァが悲しむような結末が待っているに違いない。家族を失ったエヴァは、恋人でさえ失うことになる。
「貴方には、お父さんやお母さんがいるの?」
エヴァは穂高の前から離れて、この部屋にクラシックを流していたレコードを止めた。
「もう、どちらもいません」
「クローチェに?」
「いえ……五年前に」
イタリア人であるエヴァも五年前に起きた福岡事変について知っているようで、穂高の答えに面食らった様子だった。エヴァは再び穂高の元へ来ると、彼の頬に触れた。
「貴方は、あの福岡事変の生き残りなの?」
「はい。ご存知なんですか?」
「勿論。貴方は……寂しくない?」
福岡で両親を失った時、四月に里親を失った時、六月に妹や友人達を失った時──穂高は何度も大切だった人々を失った。寂しくないと答えれば、度重なる悲劇を乗り越えて強くなった、立派に成長した人間のように見えるかもしれない。
しかし──。
「寂しくないと言えば、ピノキオのように鼻が伸びると思います」
穂高は感情を押し殺してそう答えていたが、彼の体は微かに震えていた。
一つ一つの死を穂高は乗り越えられていない。だからこそ能力者狩りという残虐な行為で気を紛らわしてきたのだ。皆のため、紅葉のためと理由づけをして戦いながら、リーナ達を倒すことが出来ない自分を情けなく思うこともあったのだ。
今は仲間がいると言えば聞こえは良い。しかし彼らは、穂高の家族ではない。
目を閉じて押し黙った穂高を見て、エヴァは彼を抱きしめていた。エヴァの髪が顔にかかり穂高は驚きながらも、エヴァの体から感じる温もりに抗うことが出来なかった。
「……私が貴方にしてあげられるのはこれぐらいしかない。強く生きるのはかっこいいことかもしれない、だけど無理はしないで。貴方はそんなに強いようには見えないから」
「どうして、敵の僕を気遣うんですか」
「だって、貴方は悪い人に見えないから」
穂高が件の能力者狩りであると伝えても、彼女は同じような印象を受けるだろうか。
エヴァは抱擁をやめると、再び穂高に笑顔を向けた。
「あの白雪という子は、もしかして貴方の恋人?」
「いや、今は違います」
「今は?」
「……違います」
穂高はエヴァから顔を背けた。するとエヴァはフフッと笑って話を続ける。
「私が何を言っても、私は貴方の味方になれないかもしれない。でも、貴方達と出会えてよかったと思ってる」
穂高に向けられたその笑顔は、無理矢理取り繕っているかのような、不自然で不器用なものだった。
いくら任務とはいえ、穂高は彼女を攫うことに躊躇いを感じた。だが実際にエヴァを連れ去るのは渡瀬と詠一郎の仕事だ。ただ穂高は、エヴァは十字会の関係者であることを残念に思った。
チラッと時計を見てハッとした穂高は、これ以上長居するわけにはいかないと思いエヴァに別れを告げて立ち去ろうとした。
「貴方は、ジャンに似ているわ」
椅子から立ち上がった穂高にエヴァは言った。
「僕が、ですか」
「うん、同じ匂いがするわ。ジャンは反吐が出るほど最低な男だけど、ああ見えて彼は彼で面白い人間なの。自然を思いやる心、動物を慈しむ心、芸術を楽しむ心、色んなものを知りたいという好奇心がある。彼に欠けているのは、人間を人間と思う心だけ」
「それに僕が似ていると?」
「ううん。今の貴方はそうじゃないと思う。でも、もし貴方が道を踏み外してしまうと、彼のようになってしまいそうな不安定さが見えるの」
穂高はそれを忠告と受け取り、アトリエから出ようとした。だが一言、エヴァに声をかけておきたいと思ってエヴァの方を向いた。
「僕は、貴方に何も約束することが出来ません。僕達は祈ることしか、奇跡を願うことしか出来ないんです」
穂高を襲った数度の悲劇の中で、穂高は何度も奇跡を願った。もしかしたらオスカルがエヴァを助けたように、今度はエヴァがオスカルを助けるかもしれない。
「──奇跡は起こる?」
エヴァが穂高に問うた。奇跡は滅多に起きることではない。限られたチャンスの中でしか掴むことが出来ないから、それが類稀なる奇跡と呼ばれるのだ。
「貴方が、望めば」
誰かの言葉を借りて穂高はそう答えて、アトリアを出て画廊の外に出た。外はもう日が沈みそうな頃で街灯が点き始めていた。穂高は十字会の護衛がいないか警戒しながら慎重に歩道を歩き、織衣達が待機しているであろうポイント、この通りが見渡せるビルの屋上まで向かった。
「バレちゃったのぉ!?」
変装から着替えた穂高が事の一部始終を織衣達に説明すると、まず緋彗が驚愕の声を上げた。「完璧な女装だと思ったんだけどなぁ……」と緋彗は自分がコーディネートした穂高の女装にかなり自信があったらしい。緋彗はリアクションが大きくて見ていて面白い。
「あの人が画廊から出てきたタイミングで始めよう。待っても出てこないようならこっちから仕掛ける。渡瀬さん達から何か連絡あった?」
「もうしりとりじゃ間が持たねぇって待ちくたびれてたぞ」
「じゃあそれぞれ配置につこう」
穂高の変装もバレてしまったため、画廊付近での監視は緋彗と斬治郎に任せ、残りの面子はこの屋上に残っていた。もう大分辺りは暗くなってきたため人目にもつきにくい。
「絵、忘れてきちゃった」
ただ一人、織衣は残念そうな面持ちでそう呟いていた。そういえば穂高も忘れてしまっていた、せっかくエヴァの厚意で貰った絵は画廊の中に置きっぱなしだ。今更取りに行くのも難しいが、織衣はそれが心残りのようだった。
「ほ、本当に始まるんだね」
昴はすっかり体を小さくして怯えている様子だ。そう、昴は今回が初めての実戦任務となる。実戦といっても戦わせるわけではなくただの見学だ。しかしそれでも緊張と恐怖からか体を震わせていた。
「見てるだけで良いんだよ、すぐ終わる」
「本当に?」
穂高達はただ一騒動起こせばいいだけだ。こんなに楽な仕事はない。
「若様、護衛はどのぐらい見える?」
「前に停まってるワゴンに乗ってる四人、さっきからよく通るママチャリに乗ってるハゲたおじさん、あと周りの建物に何人かいるかも」
織衣と和歌による偵察は便利なものだ。織衣はすでにここら一帯の各所に密かに蜘蛛を配置して攻撃の時を待っている。和歌も大口径のスナイパーライフルを構えてビルの屋上からスコープを覗いていた。
「若様、一発であの車はやれる?」
「うーん二発ってところかなー。あ、今こっち向いた」
「え」
「え?」
ワゴンに乗っていた男達がライフルを取り出したのが見えたが、和歌は間髪入れずに引き金を引き、続けてもう一発放った。二発の弾丸は車の中に乗っていた男の頭を二人ずつ貫いた。
「アデュー!」
地上では十字会の護衛と思われる人間達が一斉に拳銃を取り出したり、鞄の中からサブマシンガンを取り出したり、さらには建物の中からライフルを持って飛び出てくる者もいた。周囲にいる人々は逃げ惑うものかと穂高は思っていたが、どうやらこの画廊周辺にいた人間達全員がエヴァの護衛らしい。十字会がエヴァのために画廊を用意したというのは、これに備えるためでもあったのだろう。
しかし地上では緋彗と斬治郎が能力を発動し、炎と刀を巧みに操り次々に護衛達を無力化していく。彼らの隙を突いて狙おうとする護衛達は、織衣が蜘蛛糸で、和歌が狙撃で無力化する。
そんな戦闘の中、一台のセダンが斬治郎や護衛達を避けるように走り抜けて画廊へと向かっていた。その車を運転していたのは詠一郎だったが、助手席から穂高にピースサインを向けていた渡瀬を見て、なんて呑気な人なんだろうと穂高は思っていた。
一方見学者の昴は相変わらず屋上の柵にしがみついてアワアワとしていたが、穂高は屋上に待機したまま能力を発動せずにいた。
今のところ十字会の護衛に能力者はいないようだった。フラワーでもいるかと想定していたが、ただ武器を持っているだけの人間だ。ツクヨミが襲撃してくることを想定していたならもっと警備を厳しくしていても、能力者が待ち構えていてもおかしくないはずだ、だが罠とも思えない。
穂高が警戒していたのは、以前赤レンガ倉庫の近くで出会った白髪の少年とブロンドヘアの少女だった。あの二人は能力者狩りである穂高のことを知っているかもしれないが、まさか穂高が女装しているとは思うまい。前に出会った時も女装に気づいていなかった。
しかし穂高が能力を発動すると彼らにバレてしまう可能性があるため、今回は能力の発動を控えるよう穂高は副メイドに言われていた。実際、穂高が何をしなくても任務は順調に進んでいた。
詠一郎と渡瀬がエヴァを回収し走り去ったため、自分達の仕事はそろそろ終わりだと穂高が考えていた頃、彼の耳に微かに何かの音色が聞こえてきた。段々とその音色が大きくなり、それがヴァイオリンの音色だと穂高は気づいた。
「ヴァイオリン協奏曲、ニ長調Op.77……」
「え?」
「んー?」
バッハ、ベートーヴェンと並んでドイツの三大Bと呼ばれる作曲家、ブラームスが作り上げた唯一のヴァイオリン協奏曲。ベートーヴェンやメンデルスゾーンの作品と共に三大ヴァイオリン協奏曲と呼ばれる名作だ。
その音色が聞こえているのは穂高だけのようだった。穂高はあの白髪の少年が現れないか警戒を強めたが、結局彼らは穂高の前に姿を現さないまま、穂高達は陽動の役目を終えていた。




