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第三部前編 44話〜46話キャンフィ視点③

(キャンフィ)


 小箱を旅行鞄に放り込み、キャンフィはマントを羽織った。これ以上、エリザを待たすわけにはいかない。


 ローズを離れ、内海か他国へ行けばイアンのことを忘れられるかもしれないと思った。



 ──私、変わろう。これからは前を向いて生きていくんだ



 キャンフィが心を奮い立たせ、部屋を出ようとしたその時だった。


 ガリガリッ……


 雨戸を引っ掻く音がする。ここは四階だ。近くに木は立っているが、人間の身体能力で飛び移るのは不可能。

 

 気味悪さ半分、好奇心半分でキャンフィは雨戸を開けてしまった。

 

 飛び込んで来たのは冷気と獣の香りだ。夜の帳から真っ黒な闇が入ってくる。思わずキャンフィは息を呑んだ。



「クロ!?」


「にゃおおおおおおん!」



 入って来たのはキャンフィの猫のクロだった。もっともキャンフィの……と言うのは厳密には間違い。今はカオルに譲渡している。爆発に巻き込まれ、奇跡的に助かった後、クロはキャンフィを拒否するようになったからである。その代わり、カオルに懐いた。



「にゃん、にゃん、にゃおおお!」



 何か喋っている。キャンフィの猫だった時にこのような行動は見られなかった。首輪に結び付けられた文が揺れる。手早くほどき、開くと……

 


 ──厨房食糧庫に避難用通路がある。そこから城外へ出れる。通路の途中で待っている



 カオルの筆跡だ。

 どういうつもりなのか。今や敵同士だし、気軽には会えない。ましてや、キャンフィは彼らから蓬莱の水を奪っているのだ。


 不安を感じる反面、こうも思った。カオルがキャンフィに酷いことをするはずはない、と。騙しておびき寄せ、罠にはめるようなことは。とことん真面目で不器用な男だ。そうでなければ、痴漢したジェームスと決闘して騎士団を辞めたりはしなかっただろう。


 

 ──あたし達が今日、この城を出るつもりなのも知らないはずだ



 会いたいと言ってきたのは偶然。ときめいたりはしないものの、期待と好奇心はあった。



 トントン!


 エリザだ。痺れを切らしてドアを叩いている。叩き方からイラつきが伝わってきた。



「キャンフィ! まだなの?」


「エリザ、入って」



 キャンフィはエリザを招き入れ、カオルの文を見せた。



「ねえ、どう思う?」


「どうって……カオルとはもう敵同士だし、うーん……困ったな」


「あたしは行ってもいいと思うんだ。カオルがあたし達に何かするってことはないよ?」


「そりゃあそうだけど……」



 エリザは裏切り行為になるのではないかと懸念している。敵側と会う行為に抵抗があるようだ。



「どの道、今日であたし達はローズ城を出るんじゃないか。ここの連中に義理なんかないよ。あたしを助けようとしてくれたカオルには義理があるけど」


「でもさ、ディアナ様を裏切りたくないよ」


「会う相手がカオルならいいんじゃない? 前から思ってたんだけど、ディアナ様とカオルって親戚か何か……顔がよく似てるじゃない? カオルがどうして裏切ったのか、真意を確認したいし。会うだけなら、裏切り行為にはならないんじゃないの?」



 この言葉でエリザも合意した。エリザもクリムトとジェームスのことは嫌いだし、カオルの気持ちを確認したかったのだろう。

 

 キャンフィ達は荷物を持って、厨房へ向かった。



 深夜零時の回廊は外の寒さと変わらない。蝋燭皿を持つ手がかじかむ。誤って落とさないよう、慎重に歩を進めた。冷気はブーツの底からも伝わってくる。


 誰もいない厨房を過ぎ、食糧庫へ。



「にゃおーん」


 

 先導するのはクロだ。こっちだ、と言っているように聞こえる。時折、キャンフィ達がちゃんとついて来ているか、確認しつつ進んでいった。



 ──本当に不思議。まるで人間みたいだ。一度死にかけた後、全く無傷になっていたし……



 キャンフィはクロが死にかけた時のことを思い出していた。



 六年前のカワラヒワへ時間移動した時──

 アスター、ユゼフ、サチを殺そうとしたキャンフィ達は思いがけない反撃にあった。レーベという魔法使いの少年が魔術で爆発を起こしたのである。その時、爆発に巻き込まれたクロはズタボロになったはずだった。それなのに……


 逃げていたと思ったユゼフがフラフラ戻ってきて、血を与えた途端、蘇った。



 ──あいつ……人間じゃない?



 キャンフィはユゼフのことを子供の頃から知っている。

 イアンの家来と認識していただけで、興味は持ってなかった。鈍臭くていつもぼやっとしている。滅多に喋らない口が開けば、いやに(ども)る。その程度の印象。



 ──それが今では一国の宰相なんだから、笑っちゃうわ



 キャンフィは新国民だ。亜人に対して差別意識を持っている。ディアナに仕え、ヘリオーティスと関わってから一層差別感情は高まっていた。



 ──アスターだって旧国民だし、ろくなもんじゃない。カオルと会ってもいいけど、奴らに協力するかどうかは別問題よ



 カオルが会おうとしている理由は二つ考えられる。

 一つはシーマ派に協力して欲しいという要請。二つ目はディアナの元へ戻りたいという申し出。



 キャンフィは二つ目の可能性が高いと思っていた。なぜなら、カオルはかつて王騎士団で虐げられていたからである。あのアスターがカオルを快く迎え入れるとは思えなかった。



 ──カオルがローズに戻るとしたら……ひょっとしたらイアン様も?



 この妄想は心躍らせた。もし、イアンがディアナ派になるなら、ローズを出るのはやめようとキャンフィは思った。


 元よりシーマ派に協力する気などない。あわよくばイアンに会いたいと思っているだけだった。会わせる顔などないというのに。



 食糧庫は雑多な匂いがする。ハーブや香辛料、瓶に入った塩漬け、甘露煮、木の実、発酵食品……嫌いな匂いでなくとも、情報量が多過ぎて胸焼けしそうになる。


 食糧庫の天井をクロは見上げた。



「上? 上なの?」



 クロは頷く。本当に人間みたいだ。不気味である。


 キャンフィの身長は三キュビット半以上(百八十センチ)あるから、普通の男より大きい。ちょっとした足台があれば、天井まで楽に手が届く。


 クロが見上げる所に、キャンフィはレバーを見つけ、ひねってみた。瞬間──


 ジャラジャラジャラジャラーー


 音と共に階段が降りてきた。静まり返った中だとヒヤッとする音量ではある。



「クロ、大丈夫?」


「にゃん!」



 クロはキャンフィの肩に飛び乗った。蝋燭を一旦消し、上っていく。



「は、は、はっくしょん!!」



 天井裏は埃っぽい。しかも、くしゃみをしたついでに、キャンフィは思いっきり頭をぶつけた。キャンフィの身長では、中腰じゃないと進めない高さだ。

 


「暗いよ」


「ちょっと待って」



 エリザに言われ、キャンフィは火を灯した。ぼんやりと天井裏の全容が浮かび上がる。

 

 特に何もない埃だらけの空間だ。一階と二階との間にこんな通路があったとは。



「にゃううう……にゃんにゃん!」


「ははは。こっちだって言ってるみたいだなぁ」



 階段から上がってきたエリザが笑う。キャンフィは面白くない。



「なんか気味が悪いよ」


「そう? アタシは可愛いと思うけどな」



 暗い中、梯子を収納して扉を閉めるのに少々手間取った。こういう時、男っぽいエリザがいてくれて良かったとキャンフィは思う。


 クロに急かされ、キャンフィ達は窮屈な姿勢で先へと進んだ。

 歩くたび、舞い上がる埃に鼻をくすぐられ、くしゃみが止まらなくなる。勢い良く出てしまった拍子に、キャンフィはまた頭をぶつけてしまった。



「こういう時、高身長ってのは不便だな」


「いいの。あたしとイアン様が並ぶと、誰よりもバランスがいいもの」



 エリザには本音でキャンフィは話せる。しかし、鼻水と一緒に涙まで出てきて、もう限界だった。



「イアン様のこと、まだ好きなんだ?」



 この問いにキャンフィは答えなかった。涙のせいか、目が霞んでよく見えない。気付けばクロの姿が消えていた。暗闇の中、真っ黒な猫を探すのは至難の業である。



「クロ?? どこ??」


(にゃおああああん)



 くぐもった鳴き声が下の方から聞こえる。キャンフィが音の方へ一歩足を踏み出した途端、滑った。



「ひゃああああ!!」



 思わず変な叫び声をあげてしまった。足が踏んだ先は滑り台だったのだ。螺旋を描いたり急降下したりと、一気に落ちていった。

 

 落ちた場所は……地面。


 キャンフィは勢い余って突っ伏してしまった。



「痛っあああああ!!」



 叫んだ直後に後ろから来たエリザに追突される。痛みの連続に怒りがこみ上げてきた。



「カオルの奴、どういうつもりなの!? わざわざこんな場所を指定するなんて正気の沙汰じゃないわよ!?」



 顔にぬるり、いやな感触。キャンフィは鼻の下を拭った。



 ──鼻を啜ると血の味がするってことは鼻血が出てる。きっと人に見せられないぐらい酷い顔をしているに違いない。暗くて良かった。



 蝋燭の火は消し飛んでしまったようだ。周りに燃える物がなかったのは幸いだった。上の方、等間隔に穴が開いている所から白い月明かりが差している。その穴はずっと奥まで続いていた。



 ──ここは……一体どこ??



 キャンフィには皆目見当もつかなかった。ローズ城には何年もいたというのに。こんな場所は知らない。

 

 暗闇は無情にも視力を奪う。連なる窓と思われる穴から月明かりが差し込む他は、何も見えなかった。



「いたたたたたた……」



 後ろでエリザが起き上がろうとしている。火を点けなければ……そう思った時、キャンフィはようやく他の誰かの気配に気付いた。



「キャンフィ?」



 彼は問いかける。カオルの声じゃない。でも、知っている声だ。よく知っている──



「イアン様!?」

 

 

 だだっ広い洞の中、キャンフィのうわずった声がこだました。

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