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第三部前編 44話〜46話キャンフィ視点②

(キャンフィ)


 キャンフィは涙を拭った。イアンのことを考えれば、涙腺が緩くなる。この一年、忘れよう、忘れようとずっともがいてきた。記憶が薄れるにつれて恋情も薄まるかと思いきや、全くそんなことはない。最近は一層強まった気がする。


 思い出の中のイアンは以前にも増して神々しく、神格化してきた。

 


 ──きっと、この想いは死ぬまでずっと続くんだ



 ドアをノックする音が聞こえた。



「キャンフィ、まだか?」



 エリザだ。今日、一緒にこのローズ城を出て行こうと約束している。



「ごめん、もうちょっと……」



 キャンフィは立ち上がり、棚の一番上で埃を被っていた小箱を取った。この中にはイアンからもらったプレゼントが入っている。何年も大切にしまい込み、決して開けることはなかった。



 キャンフィがイアンと別れることになったのは、ならず者達に乱暴されたのが原因である。

 悲劇が起こったのは十三年前。二人で森を歩いていた時。キャンフィはイアンの目の前で男達に辱められた。

 

 その事件以降、イアンがキャンフィと会うことはなくなり、泣く泣く身を引くこととなる。それでも、キャンフィはイアンのことを諦めきれなかった。


 どうしてもイアンのそばにいたい。たとえ、以前のようにいかなくとも、陰で見ているだけでもいいから──


 思いついたのは兵士になるという選択だった。城の兵士になれば、イアンに近付くことができるかもしれないと。キャンフィは男より背が高いし、髪を短くすればイケるんじゃないかと思った。


 無論、それまで剣など握ったこともない。まず、イアンに誉められた髪を切って丸坊主になり、胸にサラシを巻いた。女であることを隠した訳ではないが、男の装いで兵士に志願したのである。


 丁度、カワウと戦争していたこともあり、人員が不足していた。志願すれば、よっぽどのことがない限り入隊できたのだ。


 キャンフィは兵士になってから剣の使い方を覚えることになる。身体も男以上に鍛えたし、血の滲むような修練を重ねた。だが、幾ら努力しようとも、どうにか並みの男に追い付く程度。何より男社会では差別もされるし、性的なことも平気で言われる。辛くて何度もやめようと思う内、精神は擦り切れ、感情は失われていった。


 唯一の幸運といえば、入隊初日にイアンと出会ったことだろうか。


 偶然、城内ですれ違った。

 その時のイアンの驚いた顔は忘れられない。キャンフィは驚いた顔のイアンから目を反らし、挨拶すらしなかった。


 イアンが直接、軍の責任者に話していたと分かったのはだいぶ経ってからだ。そのおかげでキャンフィは前線へ送られなかったし、性被害にも遭わなかった。



 ──イアン様



 キャンフィは小箱の埃を払った。開けるのは数年ぶりだ。

 

 目に飛び込んで来たのは、出会った時にくれた翡翠のペンダント。褐色のガーネットがはまった指輪もある。これはイアンがプロポーズした時にくれたものだ。二人の瞳と同じ色の宝石をと。まだ十三歳だった。それから、それから……

 

 身に付けなかったのは、自分が汚れたと思ったから。汚い自分はイアンにふさわしくない。イアンがくれた物は全て尊いから、触れることさえも恐ろしかったのだ。



 ──でも、今は少しでもイアン様の温もりが欲しい

 


 そう思い、キャンフィは恐る恐る翡翠のペンダントを手に取った。

 

 ヒヤリ……


 とても冷たい。温もりが欲しかったのに……加えて、思っていたよりずっしりしている。重さの記憶までは残ってなかった。


 氷のごとく冷たいそれを長く持っているのは酷だ。キャンフィは急かされるように首から吊した。緑の石はキャンフィの乳の間にピタッとはまる。服を通しても冷気が伝わってきた。


 なんて冷たい石なのだろう、とキャンフィは思った。


 ──まるでイアン様みたいだ。



 冷気が胸の奥まで届いたのか……チリチリ痛む。



 ──きっと、イアン様はあたしのことを憎んでるはず



 イアンが命がけで取ってきた蓬莱の水を、キャンフィは盗んでしまったのだから。


 衝動的な行動だった。

 

 全てを捧げるつもりだったキャンフィに対し、イアンは何もせずに寝てしまった。そのことで、今まで封じていた嫉妬心が抑えきれなくなったのである。


 イアンは余りに放埒であった。愛情を示されれば、誰にでも応える。そして、最悪なことにイアンを好きな娘は幾らでもいた。



 ──あたしは大勢の内の一人に過ぎない



 キャンフィは唇を噛んだ。イアンの女癖の悪さを思うと、憎悪が渦巻く。神格化までしているのにおかしな話だ。好きで好きでどうしようもない。それなのに殺したいほど憎くなってくる。


 イアンを愛する一方で、キャンフィは男性を嫌悪していた。

 王国騎士団はアスターを頂点とするいわば男社会の典型である。アスターは男より戦力の劣る女に配慮しない。面倒を起こすなら、さっさとやめてくれというスタンスだ。


 王国騎士団へ入ったイアンに反し、キャンフィがディアナへついたのは当然といえば当然。自然の(ことわり)だった。


 だが、やっとたどり着いた安息の地にも魔の手が忍び寄ってくる。


 キャンフィを侮辱し、尊厳を傷つけたあの男がやって来たのである。

 

 ジェームス・サジュマンが。


 この天敵とも言える男は恩恵を受けながらもアスターを裏切り、ディアナにつくことを選んだ。

 

 元々、ディアナ陣営にいたクリムトと仲が良かったこと、アスターの長期不在が契機となったと思われる。アスターの留守中に離反者を募ったことがばれ、居れなくなったのだ。

 

 勿論、キャンフィはディアナに直訴した。キャンフィが王国軍を除隊したのは、この痴漢が原因に他ならない。同じ軍に来てしまったら本末転倒ではないか。

 

 キャンフィはエリザと共に女王の()に立った。そして、絶対に譲れぬ気持ちを訴えたのである。



「あの男は特権を利用し、私が反抗出来ないのをいいことに性的な嫌がらせをしました。私とカオル、エリザはあの男のせいで除隊せざるを得なかったのです。あのような卑劣な男とは、一緒に仕事をすることはできません」



 ディアナは露骨に困り顔をした。いかにも迷惑そうに。


 真の女王だと標榜していても、内実は厳しい。味方になってくれる諸侯は少なく、グリンデルからの援助とヘリオーティスにより、ようやく支えられている現状だ。ジェームスが騎士団から何人か引き抜いてこちら側へ来たことは、有益に違いなかった。



「それは大変だったわね……このローズがあなたの傷を癒やす場となってくれればいいのだけど……」



 ディアナは歯切れ悪く答える。エリザが追い討ちをかけた。

 


「ディアナ様も私達と同じ女性ですから、キャンフィの気持ちはお分かりになるでしょう?」


「ええ、ええ。勿論分かるわ。私も同じ様に女ということで利用され、人権を踏みにじられた。それで、王城を出たんですもの」



 そばに控えていたイザベラとミリヤは黙っていた。彼女らも困惑の表情だ。

 

 邪魔をしてきたのは女王騎士団の隊長、王国騎士団()副団長のクリムトだった。

 

 クリムトはイザベラ達とディアナを挟み、傍らに控えていた。この男は痴漢ジェームスの旧知でもある。



「陛下、熟慮して頂くようお願い申し上げます。片方の言い分だけ聞き入れ、不公平な裁断を下されぬよう……ジェームスと私は古くからの仲ですが、生真面目で善い男です。必ずや陛下のため、忠義を尽くすことでしょう」


「勿論よ。双方の言い分を吟味した上で裁断を下すことにするわ。だから、時間をちょうだい。この件は少し時間がかかると思う」


「ごもっともです。どうか善きご判断を」



 これで一旦お開きとなった。その後、キャンフィは何度も謁見を申し出たが、何かと理由をつけて断られた。

 

 一年、我慢し続けたのである。

 

 ジェームスが大人しくしていようが何だろうが、激しく嫌悪している男とは同じ所に居られない。キャンフィはディアナから叙勲を受けたにもかかわらず、志願して騎士団から衛兵隊へ移った。身分を放棄してまで、ジェームスの近くにいたくなかったのである。同じ空気を吸うのも嫌だ。


 もう限界だった。今日、エリザと示し合い、逃げるつもりだったのだ。

 

 どこへ? 行く場所など決まってなかった。

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