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第三部前編 44話〜46話キャンフィ視点①

 ローズ城、陥落前夜──

 忍び寄る襲撃者の存在など露知らず、城の住人達は夜を迎えていた。

 



(女兵士キャンフィ)


 その日、ローズ城の女兵士キャンフィは荷造りをしながら、これまでのことを思い出していた。



 子供の頃──

 花屋の娘だったキャンフィは切り花を背負い、街頭で売っていた。十二、三歳の子が親の手伝いで働くのは別に珍しくない。


 ローズの城下町にて。中心にある通りなら、富裕層が通るから花を買ってくれる可能性がある。


 花を買ってくれそうなのは──貴婦人。お城で働く娘達や商家の女将さんなんかが狙いどころだろうか。しかし、そのような人種はなかなか通らないものだった。


 富裕層の女性が単体で町なかを歩くことがまず珍しい。彼女らが町を歩く時は大抵、大人の男性とセットであった。



 けたたましい音を立てて、馬車が何台も目の前を通り過ぎていった。


 鉄靴に踏まれれば、小気味よい音を立てる石畳。石が隙間なく埋め込まれた道は、どた靴を履いた小娘のためのものじゃない。通るのは男ばかり。時折、足を止める紳士がいるものの、キャンフィは下を向いてやり過ごした。


 男の客はどうも苦手だ。誰かへのプレゼントに花を買ってくれることもある。それなのに色を含んだ目で捉えられると、ゾッとしてしまうのだ。自分から声をかけるなんて、到底出来やしない。自ら良客を逃していることに、当時のキャンフィは全く気づいてなかった。


 成長してからキャンフィは知ったのだが、親がキャンフィを街頭に立たせる理由は器量の良さにあった。美しい少女の売る花なら、スケベ心を出した金持ち男どもが買ってくれるに違いないと、親は考えていたのである。


 親にとって、貞操などはどうでもよく、キャンフィはただの金儲けの道具だった。娼館に売られそうになって、家出をしたのが十五の頃。それから、キャンフィはローズ城の兵士となった。思えば、花を売っていた十二歳から今まで、なんと険しく長い道のりだったのだろう。




 朝から立っているのに、花は数本売れただけ。西日は傾き始めている。このまま帰れば、間違いなく親に叱られる。


 キャンフィは泣きそうになっていた。


 もう大きいのに道端で泣くなんてみっともないと、奥歯を噛み締め必死に耐える。それでも目の奥がジンジン熱くなってしまい、堪えきれずにしゃがみこんでしまった。


 しかし、しゃがみこんだ所で一度緩んだ涙腺がどうにかなる訳でもない。キャンフィができるのは、喉の入り口まで出かかった嗚咽を我慢することぐらいだった。


 瞳を膨らませる雫が今にも落ちんとしている時──



「大丈夫?」



 声をかけられた。子供の声だ。安心して顔を上げると、前には綺麗な顔の少女が立っていた。


 美しい少女だ。まるで絵画の中から抜け出てきたような……目鼻口、顔の造形の一つ一つが細やかで、それも絶妙な位置に配置されている。キャンフィは思わず見入ってしまった。

 

 目をこすり立ち上がりながら、少女の全貌を確認する。美しいのに、その姿からは違和感を覚えた。


 明らかに町の子供ではない。上衣の前立てには繊細な刺繍が施されているし、首の所で揺れるジャボ※は白過ぎて眩しい。着ている物、全てが上等で華やか。


 しかし、これは女の子の服装ではない。男の服装だ。女の子はもっと煌びやかなドレスなんかを着ているものだと、キャンフィは思った。


 男なのか女なのか。困惑しつつ、その子の背後に立っている「彼」にキャンフィは気付いた。


 燃えるような赤毛。スラリと長い足は競走馬のイメージ。町の男子にはない肌の白さ。でも、そばかすだらけの顔には愛嬌がある。褐色の瞳と目が合えば、八重歯を見せて無邪気に笑った。



「花を買おう。全部だ」



 赤毛の少年は当たり前みたいに言った。甲高い声だ。キャンフィは聞き間違いかと思い、目をしばたたかせた。



「ほら、何をぼやっとしてる? カオル、花を受け取れ。アダムは金を払うんだ」



 カオルと呼ばれた少女か少年か分からぬ子供が、キャンフィの背負い籠に手を伸ばす。赤毛の傍らにいた従者のような少年が歩み寄った。この少年もかなりの美少年である。人形のようだとキャンフィは思った。


 美少年が差し出したのは眩い光を放つ金貨だ。キャンフィが目にするのは初めてだった。



「あ、おい! 籠を背負うのはぺぺだ。カオルだと、女に荷物を持たせてるみたいに見られるだろ。さっさと受け取れ。鈍臭い奴め」



 叱りつけられ、もう一人隣にいた少年が花籠を受け取った。こちらは大人しそうな少年だ。着ている物は他の三人と同じく上等だが、地味で陰気な印象を受ける。特徴といえば、赤毛ほどでないにせよ、高身長ということぐらいか。

 

 赤毛の言葉で、キャンフィは最初に声をかけてきた少女……カオルが男だとやっと気付いた。赤毛の引き連れていた少年は三人。カオル、アダム、ぺぺ(ユゼフ)──彼らはこの若殿様の家来と思われた。


 同じ子供でも町の子供とは全然違う。キャンフィは富裕な商家の子供も知っているが、まるで雰囲気が違っていた。身なりや顔立ちだけではない。まとう空気というかオーラが違う。


 その場に現れるだけで、パッと花でも咲いたような晴れやかさ。彼らの周りだけ鮮やかな色が塗られる。


 そもそも住む世界自体、違っていた。キャンフィは初めからそのことに気付くべきであった。


 キャンフィは花籠を素直に渡したものの、いまいち状況を掴めずにいた。差し出された金貨を受け取っていいものかどうか……こんなキラキラした物が(かね)だとは、すぐに結びつかない。



「どうした? 受け取らぬのか?」



 赤毛に促され、キャンフィは頭を振った。



「ならば、これならどうだ?」



 赤毛は首から下げていたペンダントを無造作に差し出した。翡翠の周りに金細工が施されている。見るからに高価な物だ。


 キャンフィは一層困惑した。



 ──こんな高価な物、渡されても困る……


 

 手を出そうとしないキャンフィに痺れを切らした赤毛は強硬手段に出た。背後に回り、サササッとペンダントをキャンフィの首にかけてしまった。

 

 早技だ。驚いてキャンフィが顔を上げれば、褐色の瞳がこちらを見ていた。


 その瞬間──

 息が……止まった。


 キャンフィも身長が高いから、目線が上にあるのは大抵大人だ。キャンフィは、自分より背の高い同年代の子供と会ったことがなかった。


 大きな褐色の瞳はキャンフィを捉えて離さない。無邪気な目は遊んでいる時の猫の目に似ていた。動くものをただただ追いかける。邪念は微塵も感じられず、そこには純粋な本能だけがあった。



「俺と同じ目の色をしている。美しいな」



 さらり。赤毛は事も無げに誉めた。嫌らしさは少しも感じられない。赤毛にとって「美しい」は日常の延長で、特に身構えて発する言葉ではないようだった。


 赤毛の視線はキャンフィをすぐに解放してくれなかった。二人の時は止まり、見つめ合う。甘美なようでいて切ない時間は、長くも短くも感じられた。


 この世界を無情にも切り裂いたのは、家来の少年だった。



「……あのぅ、ぺぺぺぺ……」



 何か言いかけて口ごもる。花籠を受け取った背の高い少年である。


 それまでの優しい声色とは一変。赤毛はイラついた声を出した。



「なんだ? もたもたしてないで早く言え」


「ぺぺぺぺ、ペンダントをもらっても困ると思うんだ。かかかか金でしししし支払わないと……」


 

 いやに(ども)っているが、どうやらちゃんと金を払えということを言っているらしい。言っていることはもっともだ。もっともなのだが……白けた。



「じゃあ、どうしろと?」



 尋ねる赤毛に、背の高い吃りが答える。



「ぼぼぼぼぼくが支払うよ」


 

 買ったら、それに見合う代金を支払う──そんな簡単なことすら知らないのか……高揚したキャンフィの気持ちが萎えることはなくとも、不穏な空気は流れた。


 ぺぺと呼ばれる背の高い少年は腰袋から銅貨を出し、キャンフィに渡した。花の値段にしては充分過ぎる額だ。だが、金貨や宝飾品といった突拍子もない代価より、まともである。キャンフィは抵抗感なく受け取った。


 気を取り直し、赤毛の薄い唇が開く。



「名前を聞いてもいいか?」


「……キャンフィ」


「可愛いらしい名だ。君のプラチナ色の髪にぴったり」



 またさらりと誉める。自然な誉め言葉だ。下心のない言葉はキャンフィをときめかせた。



「俺はイアン。ローズ城のイアンだ」



 名乗った後、イアンは背を向けた。



「明日も、もしかしたら来るかも……」



 それだけ言い残し、カツカツと乾いた音で石畳を歩き始める。後ろを追うのは家来の少年達。一番鈍臭い「ぺぺ」は置いて行かれ、慌てて転びそうになっている。


 キャンフィはぼんやりとその後ろ姿を見送っていた。



 ──イアン……ローズ城のイアン



 口の中で何度も復唱しながら。


 キャンフィの心はいとも簡単に奪われてしまったのである。




※ジャボ……レースを何枚も重ねたタイ。

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