第三部前編 四十九話 ローズ城とは 修正前
(アスター)
この世に奇妙じゃない城などあるのだろうか、とアスターは思う。
どの城も戦いを前提として造られており、多種多様な創意工夫を凝らしている。地形、環境、人員に照らし合わせ、その場所にとって最善な建築を施工する。全ては城を、城主を、領地を、領民を守るため。言わば、城大工と城主、その家臣らの情熱が込められた努力の結晶である。
そういう意味でローズ城は典型的な「城」であった。
──城には最大限の敬意を払わなきゃな
アスターが常々思っていることだ。
我欲まみれの男にも美学というものがある。殊更、戦いにおいては。
ちなみにここで言う敬意とは、城の設備全てを利用してやれということだ。
ローズ城は闇の中、僅かな松明によりぼんやり浮かび上がっていた。
城壁は全て茨に覆われている。民からすれば、春に花咲く茨の城。美しいながらも異様な姿は情緒的、或いは恐怖心を煽る。石の壁を覆う茨は外敵から身を守る鎧でもある。
この城の構造は完璧に把握していた。
城の主だった男が仲間なのだから当然である。隠し通路から地下道、罠や仕掛け……何から何までお見通しだ。現在の城主より詳しいと言っても過言ではない。
城は四つの宮殿と十二の塔によって形成される。(塔に関しては監視塔や小規模なものを含めれば、もっと数が増える)
外郭を守る塔が八。
主殿を守る内郭には四。
言葉の通り四方八方に塔は置かれていた。
ちなみに内郭の塔は外郭の塔の倍高く、見下ろす形になっている。
主殿を囲んで、北殿、西殿、東殿と建てられ、南が正面口だ。この南側には市門があり、工房や庭園が置かれている。普段は町の様相、有事の際は民の避難所、もしくは軍営となるのである。今は市門からの出入りも制限されており、外部との接触は遮断されていた。
更にこの外郭部分と宮殿の建ち並ぶ内郭は巨大な壁によって隔絶されている。固く閉ざされた内郭門は内側からじゃないと開けられない。
中へ入るには? 小さな通用口から入ろうとしたら、槍で滅多差しにされるだろう。
壁をよじ登るか……屍を越えて狭い出入口から強引に押し入るか……
この内郭門を開けた者には首級と同じくらいの報奨が必要である。
そして、何とかこの壁をクリアした後は恐ろしい蟻地獄が待ちかまえている。
主殿の周りには空濠が巡らされていた。ただ掘ってあるだけではない。格子状の起伏がつけられている。攻める側としては非常に厄介な代物だ。上から雨霰と矢が降ってくる中、細い畝を通って行くのだから。そして、一歩でも足を踏み外せば蟻地獄行き。
水をたたえる外濠だけでなく、外郭と内郭を隔てる強固な壁と主殿を守る空濠が二重に城を守っているのだ。
主殿の内装がアニュラスでも一、二を競うほど優美だと称えられる一方で、防衛にも優れた城なのである。
少数精鋭のアスター達が待機するのは城の東。正門の次に守りが厚い場所である。
ローズ側が警戒しないだけの距離を取り、ここに本陣を敷いた。
とは言っても、ここから攻め入る訳ではない。アスターが待ち伏せしているのは、逃げてきたクリムトらを殺すためだ。東側はシャルドン領からの軍を防衛するため守りが厚くなっているが、グリンデルとも近い。北と西から攻めた時、必ずここから逃げると推測した。
伏兵のようなものだから、明かりは少しだけでいい。今日は月が出ていて良かった。
一晩で片を付ける──
当然、上手く行かなかった場合は長期戦に切り替える。だが、その場合も時間はかけられない。グリンデルから援軍が来たら、被害は拡大する。
ローズ城を守る兵士は十万。
通常の五万を傭兵で倍増していた。女王が留守だからだろう。
対する王軍は二十万。
戦い終盤に内海から十万の援軍が来ても、せいぜい三十万。
援軍は長期戦に移行した時の予備と、正面を威圧するために手配した。
実際戦うのは二十万の兵だけである。
十万 対 二十万。
この数、実はとても少ない。
城を攻める側は圧倒数を持って攻め入るのが定石である。短期決戦を望むなら尚更。
何故、少数精鋭で臨むのかと言うと、奇襲をかけて一気に終わらせるつもりだからだ。
「にゃおおおお……んにゃ、にゃうん、にゃおにゃお……にゃーん、にゃふにゃふ、にゃにゃにゃ……」
黒猫アキラが兄のカオルに報告している。
それを横で聞きつつ、アスターは緊張感を高めていた。分かっているのは城のガワの部分。建物と郭内の構造だけである。同じくらい重要なのは中身。戦う人員、兵器の内訳だ。
カオルはアキラの濡れそぼった身体をリネンで優しくくるんだ。この寒い中、水濠を泳いで越えて来たのだから大したものだ。
真夜中に黒猫が濠を泳いでいたとしても気付かれない。もし気付いたとしても、この猫が重大な任務を背負っているとは誰も思わないだろう。アキラにしかできない役割だ。
そしてもう一人。
肝となる任務を担うのは──
斥候として侵入したイアン。
まず、イアンにはキャンフィと接触してもらった。
裏切り者のジェームズがローズへ移ってから、キャンフィの不満が溜まっているに違いないとアスターは踏んだのだ。キャンフィはジェームズに痴漢されたことが原因で王軍をやめたのである。
彼女からなら色々聞き出せる。
一度イアンを裏切っているとはいえ、良い条件、または和解案を提示すれば靡くはず。
最初、アスターはイアンを向かわせることに猛反対した。
大切な王の跡取りに危険な任務はさせられないと。しかし、キャンフィと親しい間柄だった者はイアンとカオルだけだ。カオルは夜目が利かない。濠を無灯火で渡り、城内の暗い場所を灯り無しで歩き回るのは難しい。何よりイアンはカオル以上にこの城を知り尽くしていた。
しかし、一年も一つ屋根の下で生活していると情が移るものである。馬鹿で生意気でどうしようもない奴だと特にだ。従者のダーラ以上に子供のような性格だから放っておけなくなる。
アスターは断腸の思いでイアンを行かせたのだった。
その代わり、イアンの息子の小太郎を王城で待機させることにした。イアンにもしものことがあった時の保険だ。
初陣に出れない小太郎は腹を立てた。
が、理由が知りたいと突っかかってきても、我慢してもらうより他はない。納得させるのは困難を極めた。最終的に給料を上げるという暴挙で黙らせるしかなかったのである。王の血筋ということを小太郎にはまだ伝えていない。
「にゃううう、んにゃんにゃ……にゃうーん、にゃん! にゃーご、にゃおおおおん!」
──しかし、何言っとるかさっぱり分からんぞ。これが分かるとは尊敬に値するな
アキラの言葉をカオルが訳した。
「正面外郭には五万、西殿一万五千、北殿は五千、今いる東側には三万の兵が控えています。大体予想通りですね。それと西と北に砲兵はいません。遠眼鏡で見える砲台はフェイクです。ケチったのかと」
西側は妖精族の国アオバズクに面している。アオバズクから侵攻するということはまずない。彼らが主国内の戦争に協力したことは一度もないからだ。妖精族は戦いを嫌う。
王軍のスタート地点は、南の内海か東の旧シャルドン領に絞られる。その場合は塔から丸見え。西へ回り込もうとしても、正面から攻撃を仕掛けられると彼らは高をくくっているのだ。だから西の守りは薄い。北も然り。
しかし、彼らは忘れている。
ローズ城の西を北から南へ向かって走る川があることを。この川は城の水濠とも繋がっている。
川の名前はエルピス川。
進軍を気付かれず、西と北へ移動するには?
この川を利用する。
下流から上流へどうやって??
川の流れを一時的に止めればいいのだ。
下流はリンドバーグ領を横断する運河に直結している。緩やかな流れはローズ城の西から東へ進み、海へ流れていく。問題は上流だ。
上流は魔国から城の西側を通って東へカーブする。このカーブから上は川幅が狭く激流となる。
だが、あらかじめ水門を閉めさせれば難なくクリアー。水門は魔国の手前にある。滞留した水は短時間であれば、城の地下へ流れ込むようになっている。
この運河を通って移動させた。
そうすれば気付かれずに手薄な西と北へ行けるという算段だ。敵側の偵察隊も川までは降りてこない。
すでに主軍と囮の軍は運河を通り西側へ移動させている。問題は西と北、どちらを囮に攻めさせるかということ。
アキラの報告でアスターの気持ちは大体決まった。
「騎兵は正面外郭に待機させてるだけです。弓兵の数がはっきりとは分かりません。西と北同数か、西の方がやや多いってところでしょうか。北側まで回り込むのは難しいと油断していると思われます。北は時々魔国から入り込む魔物に警戒する程度かと」
淡々とアキラの言葉を伝えていたところ、カオルが珍しく私見を述べた。アスターが視線を向けると、ハタと気づき下を向く。
「申し訳ございません。つい余計なことを申してしまいました……」
「にゃううう……」
──こいつの駄目な所はいまいち自信が持てない所だよな。いくら頑張っても実力の七割も力が出せないでいる
思春期から大人になるまでの多感な年頃にイアンが近くにいた。それも影響しているだろう。何から何まで美味しいところを全て持って行かれ、チヤホヤされるイアンの影で陰気に過ごしてきたに違いない。
──何だか可哀想になってくるな
自信のなさは出会った頃のユゼフも同じだった。自尊心が高いのも同じ。だが、カオルはユゼフより気弱で動作は機敏。ユゼフは気が強くて頑固な一方、鈍重である。ユゼフと違って俗っぽい野心があるのは操作しやすい所と言えよう。
アスターはカオルの女顔をしげしげ眺めつつ、分析した。カオルは一層身を縮こませる。カオルからしたら、アスターが睨んできたように感じるんだろう。
「おい、今、アキラ何つった??」
「えっと……大したことじゃないです」
「にゃふーーー!」
「言えよ。怒らんから」
「にゃにゃにゃん!」
「あのぅ……謝るほどのことじゃないと」
「その通りだ」
それだけ言い、アスターはカオルの肩を叩いた。蓬莱山へ行ってから卑屈な面は改善された。これから大役を与える。もっと成長してもらわねば。この兄弟には色々な使い道がある。
──それと、今回はあいつ! アルベールだ!
アルベール・ヴァセランは現在騎士団の副団長を勤める。離反したクリムトの後釜である。カワウ八年戦争の戦友だ。
剣の腕前は相当なものであるが、アルベールには向上心や統率力といったものが欠けていた。
木訥として目立たず、自己主張しない。言われたことだけきっちりやり、自分からは絶対に行動しないタイプ。クリムトのようにガツガツしてないし、ジェームズのように周りを気遣ったりもできない。
人柄は良くても、ナメられるのだ。
だから、ずっと窓際だった。
──今回は成長してもらうぞ! 否が応でもな!
アルベールには西から攻め入る本隊を指揮してもらう。
「よし! 決まった!」
アスターは指笛を短く吹いた。
バサァッと神経質な羽音を立て、肩に止まるのはエイドリアンだ。呼びつけて三秒で来た。
さすがである。
飼い主には全く似ていない。
アスターは鳥だろうが亜人だろうが、デキる奴には敬意を表する。
「優秀なエイドリアンよ。おまえの主人に伝えてくれ。北へ行けと」
返事の代わりにエイドリアンは短く鳴いた。
この鳴き方は「北」を意味する。
鳥語が分からなくても、事前に打ち合わせているから短時間で意志疎通も可能だ。人語を完璧に理解しているエイドリアンだからこそ。
「そうだ、北だ。素晴らしい!」
アスターはエイドリアンの首輪に「主殿まで飛べ!」と書いたメモだけ結わえ付けた。
この厳めしい白頭鷲は命令を解すると、即座に飛び立った。あとには白と黒の羽根だけ残される。名残惜しそうにヒラヒラと舞いながら地へ落ちていく。
クール──
『デキる男ってのはこうでないと。爪の垢を煎じて飲ませやりたいものだ。まず飼い主に』
いよいよ突撃だ。
北を囮の先陣に選んだのは兵の数である。
北にいる兵士はたったの五千。
西は一万五千だから、その三分の一だ。
実は、西を囮にして北から攻め入ることも考えていた。だが、この兵数を聞いて、囮でも主殿まで行けるんじゃないかと。そうすれば、西と北の二方向から攻め入ることができる。
イアンは見事斥候役を勤めてくれた。
彼が情報をもたらしてくれなかったら、判断を誤っていたかもしれない。
イアンに課せられた役割は他にもう一つ。それさえ終わっていればパーフェクトだ。
無茶せず本陣に戻って来てほしいが……
『心配だ。リゲルを付き添わせたとはいえ、あいつ馬鹿だからな。素直に戻ってくるかどうか』
それとダーラだ。
従者のダーラは今、エルピス川を渡り終えた頃だろうか。普段、傍に仕えさせているダーラをアスターはあえて離した。彼にも期待している。
ダーラにはティモールと共に北側へ回ってもらう。先陣だ。
『死ぬなよ? ダーラ!』




