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第三部後編 四十六話「イアン様、行かないで」の後 エッカルト視点

(エッカルト)


 ヘリオーティス主国本部長エッカルト。

 この眼帯男はあくまで冷静だった。


 深夜二時に叩き起こされてから一時間、女王の間は騒然とし続けている。

 慌てふためく女王騎士団団長と副団長を心の中で嘲笑しつつ、エッカルトは逃げる算段を立てていた。


 最初の報告は魔国からグリフォンが入り込んだという内容だった。その後、グリフォンが火を吐いた、いやあれはドラゴンだ、甲冑姿の兵士が乗っているから魔王軍が攻めてきたのだ、エゼキエル魔王が蘇った──などと突拍子もない憶測が飛び交った。

 

 混乱の中、遅れて知らされたのは外濠(そとぼり)の水が全部抜けているということだ。実はこれが真っ先に必要な情報だった。だが、炎を吐くグリフォンに気を取られ、報告を聞きそびれてしまったのである。これさえ聞いていれば、迎え撃つことができたのに。終わった後に何を思おうが、全て後の祭り。

 報告の直後に門を破られ、北郭に大量の兵士がなだれ込んだ。

 

 この時点でやっと、王軍の仕業だと気付いたのである。狼狽したクリムトは西と東の兵士を北へ向かわせた。無論、これも失敗。相手の思うつぼ。

 結果、手薄となった西側を本軍に攻め込まれる。北を襲ったグリフォンの兵は囮だった。


 追い詰められたクリムトは正面に控えていた騎兵を西へ向かわせ、王軍を背後から挟み撃ちにしようとした。だが、女王軍の倍を上回る兵が正面にも布陣していたのである──

 

 八方塞がり。

 全て敵の意のまま。

 為す術がない。

 北殿と西殿が落ちるのも時間の問題だ。

 魔の手はすぐそこまで迫っていた。

 もう、逃げるという選択肢しか残ってない。


 こんな状況にもかかわらず、エッカルトは不思議と落ち着いていた。右往左往する上層部を面白半分、見物しているのである。


 普段は高慢でいい男然としているクリムトとジェームズの二人が大慌てのてんてこ舞いの後、茫然自失……途方に暮れる姿を眺めるのはなかなか愉快だ。



『こいつらが出世できたのは自分の力じゃねぇ。ただ、アスターの野郎にぶら下がってただけぇ……それを自分の能力だと勘違いしちゃったもんだからぁ、悲劇が起きた。小者のくせに自己主張が過ぎたんだろうなぁ? あの糞親父にあれやこれや指図されるのがウザくなった。でも離れたが最後、無能な奴はおしまいよぉ。くくくく……』



 笑うのは心の中だけに留める。

 が、玉座に澄ました顔で腰掛けるグレースに気付かれ横腹を突かれた。そう、相棒のグレースは今や女王サマだ。エッカルトは側近っぽく傍に控えている。

 その美しく気高いアバズレ……いや、女王サマが耳打ちしてきた。



「エッカルトぉ、あの二人確実に死ぬぜ。アスターは本気で殺るつもりだ」


「だろぉなぁ。俺はアスターなんか怖くねぇけど」


「だとしても、そろそろバックレた方がいいよ。巻き添えを食うのはごめんだ」



 エッカルトは空っぽの眼窩を眼帯の上から触った。アスターへの仕返しはまだ終わっていない。悔しいが、グレースが言うのはもっともだ。


 

『こんなもん、あの時に比べりゃあ……』



 あの時というのは、一年くらい前──

 ハウンドこと、ユゼフ・ヴァルタンと遭遇した時のことである。


 数百人、待ち伏せしていたヘリオーティスは全滅。屋根裏に潜んでいたエッカルトとグレースだけ混乱に乗じて逃げおおせた。

 

 あの時の青い炎をまとった剣が、目に焼き付いて離れない。一瞬で鎧ごと数十人を切り裂いた。

 ゾッとするほど冷たい蒼銀色の瞳。

 悪魔だ──


 エッカルトは思い出して身震いした。

 それなりに戦禍を経験してきている。

 砲弾を浴びて死にかけたり、拷問されて手足を失いかけたことだってある。


 そのエッカルトがガタガタ震え、腰を抜かしてしまったのだ。グレースがいなければ、確実に逃げ遅れ、奴の餌食になっていたことだろう。



『六年前にも会ってるんだがぁな……』



 六年前はカワラヒワのクレセント城で。

 ディアナと逢い引きしている所を襲った。

 十人でかけた魔封じの術をものともせず、エッカルトに剣を突きつけてきた。



『あん時もヤバかったなぁ……』



 最後にユゼフと会ったのはほんの数日前だ。

 グレースの経営する娼館タイモートリッパにて。

 その時はユゼフの妹を人質に上手いこと拘束することができた。魔力を吸い取る魔封じの縄で雁字搦めに縛り付けたのである。



『魔力が使えなけりゃあ、こっちのもんだと思ったんだがぁな……あの魔女さえ来なけりゃ』

 


 エッカルトは歯噛みした。

 あの時、縄を解かれたユゼフが発した青い炎で大火傷を負った。上半身の前半分が焼けただれ、今もジュクジュクしている。

 グレースの調合した薬を大量に飲んで、やっと立っていられる状態だった。

 


『グレースの話だとあいつは魔王エゼキエルの生まれ変わりだとか。今回のグリフォンも奴が操作してるに違いねぇ。アスターなんか可愛いもんだっての』



 家来を怒鳴りつけ、恐怖をごまかそうとするクリムトをエッカルトは笑った。ジェームズはその横で指示を待っているのか、呆然と立ち尽くしている。



「今日は魔王サマが来ねぇだけましだよなぁ、グレース?」


「ああ?? エッカルト、ビビってんのか?」


「そりゃ、ビビるよぉ。もう二度と対面したくねぇ」


「おいおい、あいつがラスボスだからな? いつかは絶対……」



 グレースが話を中断したのは、伝令が女王の間に入って来たからである。



「女王陛下にご報告いたします! たった今、主殿……この建物の屋上にグリフォンが降りてきたと……」



 最後まで聞かず、グレースは立ち上がった。


「逃げましょう」


 クリムトは頷き、即座に伝令を下がらせた。

 玉座を降りたグレースにフワリとショールを掛ける。うやうやしくグレースの手を取った。


「グレース殿、守りの厚い東殿へ参りましょう。そこからならグリンデルへ逃れられます。さあ、こちらへ……」



 この男はグレースの本性を知らないから、一流のレディに対する接し方だ。

 グレースもグレースで男の扱いには慣れていて調子を合わせる。



「怖いわ。あたくし、手が震えてしまって……クリムト様、どうかお手を離さずにいてくださいましね」

 

「当然です。あなたには傷一つ付けさせやしません!」


「まあ、心強い」



 エッカルトはこのやり取りを生暖かく静観していた。

 案の定、クリムトは頬を上気させ、やる気になっている。



 ──くくく……残念でしたぁ。グレースはゴツいのは嫌いなんだよぉ。彫り深めの目元に影のあるイケメンが好きなんだよぉ、ユゼフ・ヴァルタンみたいなぁ。それか、成長途中のピチピチした若い男が好みなのー。おめぇみたいなガッチリ系はお呼びじゃねぇんだよぉ



 どの道、グレースが性的に興奮するのは亜人の男だけである。ただし、その欲情は嗜虐性とセット。綺麗な亜人の男を嬲りつつ、快楽を与えるのが好きなド変態だ。


 まあ、騙されるのも分からなくもない。

 ディアナ女王にそっくりな顔にあの豊満な体だ。客観的には分かる。

 が、エッカルトはというと、女好きにも関わらずグレースに発情することはなかった。幼い頃から姉弟のような関係だったというのもあるし、互いに裏の顔を知り尽くしている。仕事の相棒として認め合っても、性愛の対象として見ることはなかった。



 ──その乳もぉ、作り物だかんなぁ



 上下するグレースの胸元に目を奪われるクリムトは滑稽だ。

 吹き出しそうになるエッカルトの脇腹にグレースの肘鉄が炸裂する。咳払いで何とかごまかした。



「ジェームズ、後ろを頼む。さあ、グレース殿、参りましょう」


「あ、ちょっとお待ちになって……」


「どうされました?」


「東側に伏兵を仕込んでいるってことは考えられないかしら? 逃げるのを見越して」


「まさか……いや、その可能性もゼロとは言えませんが……」


「用心深く、執念深いアスターのことだから、何か罠を張っているはずよ。隠し通路から逃げた方がいいと思うわ」


「……えっと」



 クリムトは言葉に詰まり、助けを求めてジェームズを見た。やらしい目でグレースをいつも見ている割にジェームズの方が冷静である。



「大丈夫だ。隠し通路なんか使わなくても。伏兵にそこまで数を用意してるとは思えない。こちらは小隊を組んでいくのだ。グリンデルに文を送ったからまもなく助けが来ると思うし、もし襲ってきたら返り討ちにしてやればよい」


「アスター相手に小隊で事足りるのかしら?」


「アスター様はぁ、本隊を指揮してるに決まってるだろうが! 伏兵で潜んでる訳がないだろ!」


「そう、言い切れる?」



 ジェームズは舌打ちした。

 明らかに苛ついている。

 敵はすぐそこまで迫っているのに、こんな所でぐだぐだやり合っていたくないのだ。

 

 クリムトは困り顔でグレースとジェームズを交互に見ている。



「ここへ来て最初に教えてもらった地下通路からあたくしとエッカルトは参りますわ。だって心配だもの」


「確かその通路は下水道と繋がってますよね?」



 クリムトが不安を滲ませる。

 すっかりグレースに情が移っている。

 何とか説得して安全な方法で共に逃げたいと考えているようだ。その後、守ったことを感謝されあわよくば……



「ええ。エルピス川の下流に出ます」


「それは敵陣の近くではありませぬか? 虫食い穴も封鎖されているに違いませんし」


「だからこそ安全なのです。まさか、自分の所の陣中に逃げ込むとは思いませんからね。リンドバーグ領から内海へ出てしまえばもう安全です。その後はシャルドン領へ渡り、山を越えてグリンデルへ行けば……日数は非常にかかりますけども」



 ジェームズはグレースの案を鼻で笑った。

 元々、女の考えなんかに聞く耳は持ってない。典型的な男尊主義者だ。



「勿論、敵陣の中を通るには変装が必要ですわ。エッカルトが王軍の軍服を用意してます。クリムト様の分も。もしよろしければ……」


 その言葉にクリムトはだいぶ揺らいだようだった。顎に手を当て思案する。

 ジェームズの苛ついた声が邪魔をした。



「クリムト、こんなアバズレの言うことなんざ、聞く必要はないぞ。さっさと東門から兵を連れて逃げよう」


 クリムトはしぶしぶ頷き、ジェームズと女王の間を出て行こうと背を向けた。



 ──やっぱり、こうなるかぁ



 エッカルトはグレースの策の方が無難だと思っていた。東門から逃げようとするのをあのアスターが想定しない訳がない。

 何よりグレースの勘はこういう時ほどよく働く。



 ──じゃぁなぁ……短い間だったけどぉ



 クリムトとジェームズの背中からは死神の気配がする。エッカルトもグレースと同じく勘はいいのである。だから、何度となく危険な目に遭っていても、生き長らえている。

 

 しかし、直前でクリムトが踵を返した。



「グレース殿、やはり同行させていただきます」


 驚くジェームズを尻目に走り寄る。

 グレースは冷たく微笑んだ。



 ──これで明暗分かれたかぁ……



 派手な舌打ちをしてジェームズは去っていった。いやらしい足音がコツコツと響き、やがて消える。その頃にはもうグレースとクリムトは腕を組んで歩き始めていた。


 エッカルトはその様子をぼんやり眺めながら思う。


 この男もやはり死ぬのではないか。

 ユゼフ・ヴァルタンが魔王ならアスターは死神だと──

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