第三部前編 二十八話 ディアナ視点②
(ディアナ)
少々意地悪が過ぎたかとディアナは後悔した。いつもは必ず言い返してくるし、まさか泣かれるとは思わなかったのだ。
──だって、からかってもみたくなるわよ。どこの馬の骨とも分からない男に何で夢中なのか分からなかったけど、実は王子だったなんてね
手入れの行き届いたローズ城の回廊を歩きながら思った。
アーチの連なる回廊は柱だけでなく、天井にまで美麗な彫刻が施されている。抽象化された刺草模様は城の外を覆う茨に通ずるものがある。
よく磨かれた床に塵一つ見当たらないのは素晴らしい。
この一年、ディアナの中では十三年だが──思い出せば、胸にグッと込み上げるものがある。
一年前、この城に来たばかりの時は掃除が行き届いてなかった。使用人が足りず、埃と砂にまみれていたのだ。
エデンのエンゾからの援助が打ち切られるなどの痛手もあったものの、ジワジワと支援者は増え続けている。
理由としてシーマが寝たまま目覚めないことと、宰相ユゼフの評判が最悪なことが上げられる。
全て順調。
それなのになぜ?
言いようのない不安と寂寞感に支配される。
──あなたは玉座に相応しくない
ユゼフが最後に残した言葉。
うっかり油断すれば、耳の奥で何度もこだまする。ディアナは唇を噛んだ。
『でもぺぺは私のことを好きなはず……』
潔癖な彼のことだから、ディアナの邪悪な行動を受け入れられずにいる。ヴィナス王女を殺めたことや友人を暗殺しようとしたこと、妻の死。
──あの時、クリムトやミリヤが言ったことに従っただけなのだと嘘をつけば良かった
嫉妬から「アスターの娘なんか死ねばいいと思ってる」とまで言ってしまったのもまずかった。そもそも、ユゼフの妻の一件はヘリオーティスが勝手にやったことで、ディアナは全く関与してないのである。
生真面目なユゼフのこと。
妻に対する後ろめたさからディアナへの想いを断とうとしてもおかしくない。
──もう、彼と愛し合うのは無理なんだろうか……
荒々しくキスをされたことを思い出せば、体が熱くなる。
まるで獣のようだった。
舞踏会にて──ディアナを抱きかかえ、窓から飛び降りたのだ。その後、強引に唇を奪われた。
──彼は私のことを愛してるはず……なのに、ああ……なのにどうして……
甘い思い出の後は決まって強い悪意が押し寄せてくる。
──シーマを絶対に死なせないと。シオン王子も生きてると……言っていた
ユゼフの刺すような視線を思い出せば、また憎悪が渦巻いてくる。
誰もいない回廊は掃除が行き届いていようがいまいが寒々しい。いつもはゾロゾロと何人も娘を引き連れているのだが、今はミリヤではない侍女を一人従わせているだけだ。
磨き込まれた石の床に凹凸はほとんどない。一歩踏むごとに、コンッコーン……と軽快な音を立てた。
──シーマを助ける方法なんかないわ。シオン王子は必ず見つけ出して殺してやる
歯噛みしながら、殺意をたぎらせる。
一方で心は甘い愉悦も求めていた。
──ぺぺは私と大事な友達が婚約者だと知ったらどんな顔するかしら? 傷つく? 嫉妬するかしら? 彼が嫉妬するのならあの話、受けてもいいかも
自分が原因で友人関係が壊れる様を想像するだけで、ゾクゾクしてくる。
嫉妬に身を焦がすユゼフを妄想することで、恍惚となった。
──全て奪って打ちひしがれてるところに、救いの手を伸ばして上げる。女神みたいな私が
気持ちの良い妄想が最高潮に達した頃、イザベラの部屋についた。侍女は外で待たせる。ノックに返事がなくとも、勝手に開けて中へ入った。
案の定、イザベラはベッドに突っ伏して大泣きしていた。
部屋は女の部屋と思えないぐらい散らかっている。鼻をつくのは薬品と埃の匂い。
書類が散乱するベッドを見て、どうやって寝るのだろうかと心配になってしまう。
ディアナはベッドに腰掛け、イザベラの肩に手を置いた。
「ちょっとからかっただけじゃない? そんなに泣くことないでしょう」
イザベラは涙に濡れた顔をキッと上げた。
「前世で天使様の前、臣従の誓いを立てる時、決して私の尊厳を傷つけないと誓われました。契約違反です」
「そんな、大袈裟な……」
「いいえ。天使様に抗議します。アオバズクに天上へ繋がる虫食い穴がありますから。今は時間の壁も消えてますし。抗議が認められれば、ガーディアンの契約を無効にできます」
「悪かったわ……悪気はなかったの。あの縁談話にあんまり驚いたもんだから、のぼせてしまったのね。でも、あなたの審美眼は大した物だと思うわ」
「一目惚れでした……」
イザベラの声は心と直結しており、強い精気をまとっていた。
一方で泣き疲れた顔は生彩を失っている。
唇震わせ吐く言葉には迫力があった。
「彼は一度私を受け入れてくれたんです。キスもした。結婚まで考えてくれたのに……私がガーディアンだから結婚はできないと。諦めようという話に……」
恨みの籠もった目で睨まれると、ディアナは若干恐怖を感じた。
イザベラは強い力を持っている。
指先を軽く動かす程度でディアナの命を奪えるほどの。
「ええ、ええ……私のせいで申し訳ないことをしたと思ってるわ」
「さっきの態度は申し訳ない態度ではありませんでした。私は愛する人を奪われたあげく、尊厳まで傷つけられました」
「ごめんなさい……」
「私はあなたに最愛の人を奪われるんです。あなたは彼に何の興味も持ってなかったし、馬鹿にして見下していたのに……」
「待って。まだ話を受けるとは決まってないわ。私には女王としての立場があるし、政略結婚などしたくない。それに……」
「いいえ、あなたは受ける!」
「……どうして? どうしてそう思うの?」
「なぜなら、これは政略的に絶対に必要なことだからです。グリンデルと血の結びつきがあれば、有利になる」
「でも、王妃になるなら女王の座は捨てなければならない」
「いえ。女王のままで良いのです。鳥の王国とグリンデルを一つの国にしてしまえば良いのですから。もちろん、ナスターシャ女王はあなたに退いてもらいたいと思っている。頂点に君臨するのは自分だと思っているので。でもサチを……シャルル王子をうまく取り込めば、可能です。相当揉めるでしょうが」
「あの叔母様が王権を譲るとは思えないわ」
「ええ。戦になるでしょうね」
「それでも私がこの話を受けると?」
「はい。主国を手中に収めるには必要なことです。今のままでは、このローズの一領主として存続していくだけです。シーマはそのうち目覚めますよ。そうなれば、全て元通りです」
「どうしてそんなことが言い切れるの?」
「蓬莱の水を与えているからです」
「蓬莱の水はキャンフィが奪ったんじゃない?」
「いーえ。後から思い出してご報告してなかったんですが……ごめんなさい。私はサチと一緒に泉の水を水筒に入れたんです」
その言葉にディアナは愕然とした。
そんな大事なことを今まで報告していなかったのかと──
「なんで黙っていたのよ!? そんな大事なこと」
「殺してくれたって構いません。彼を奪われるのなら、もう死んだっていいわ」
イザベラは平然と言ってのけた。
主は守人の生命を自由にできる。その点は魔族の契約と変わらない。
ディアナは懸命に怒りをこらえた。
イザベラとミリヤがいなければ、自らは何の力も持たない。この二人の知恵と力がなければ、女王の座に君臨し続けることは叶わないのだ。自分が持つのは王家の血と美貌だけ。それぐらいのことは理解している。
「黙っていたことは不問にするわ。私もあなたに意地悪を言ったってことでお互い様。仲直りしましょう」
怒鳴られ、暴行されるとでも思っていたのか。今度はイザベラが驚く番だった。
イザベラはまだ十八そこらの小娘だが、ディアナは過去へ遡り、子育てを十二年間している。多少は大人になっている。
イザベラが黙っているので、ディアナは追い討ちをかけた。
「今回のこと、あなたにとっても全く悪くない話なのよ。いい? 幾ら名家の出とはいっても、あなたは父親を失っているし、王太子※とはとてもじゃないけど結婚できないわ」
イザベラの眼光が鋭くなる前に話を続ける。
「結婚することになったら、あなたを彼の公妾として、第二夫人として認めてあげる。政略的に必要なだけで、私は彼に元々愛情なんかないのだから」
イザベラの表情が和らいだ。
ディアナは胸を撫で下ろす。
年がら年中、喧嘩しているように見えて、案外気を使うこともあるのだ。
「そういうことなら、協力して差し上げてもよろしくってよ」
イザベラは涙を拭いた。
口元にはうっすら笑みまで浮かべている。
単純なことだ。愛する男を取り上げなければいい。
「ただし、条件があります。彼に触れないで。手も握ってはいけません。目も合わせないで」
「えっ……それはさすがに難しいんじゃ……」
「彼は、サチは私の物です。触れることは絶対に許しません」
「でも婚約者なのだし、公に姿を現す時は腕を組んだりくらいはするでしょう? 目を合わせないのは絶対に無理よ。不自然過ぎる」
ディアナとイザベラはしばらく押し問答を繰り返した。腕を組むか組まないかという至極どうでもいい内容で──
※王太子……王位継承権第一位の王子。




