第二部後編 九十三話 牢から出た後 アスター視点
(アスター)
あの二人はしばらく牢につないでおこう。
その方がいい薬になる──アスターはそう思った。
イアンとティモールが問題を起こしたと聞いたのが数刻前。
アスターは王の執務室にいた。
書類に囲まれ、しかめ面のユゼフへ報告したところ、無感情に頷いただけだった。
「動じないのだな? あの馬鹿二人は鎖で繋いでずっと見張ってないと駄目かもな。猟犬以下だ。躾のなってない野良犬と一緒だよ」
「ティモールは最初から諦めてる。イアンはこの数ヶ月、問題を起こさなかったのが奇跡だ」
「まあ、馬鹿同士仲良くしてるのは助かるがな。騎士団へイアンを入れるのにおまえは反対してたが、メリットもある」
アスターは意味深に微笑する。
ジャメルの告発により、騎士団内の反乱分子を一掃することができた。
アスター達が蓬莱山に行っている間、離反を目論んだのが以前痴漢騒動を起こしたジェームズ。そのジェームズに汲みする者達が明るみになった。
困難と思われた騎士団の浄化が難なく出来たのである。
ジャメルは本来告げ口などしない男だ。
誰々がオルグされていた、声をかけられていたぐらいのことをいちいちチクったりはしない。元々、そういうのを嫌うタイプだ。そのジャメルがどうして告発に至ったのか。
実はここ最近、ジャメルの反抗心をアスターは感じ取っていた。ちょっとしたきっかけで裏切る可能性もあると。だが、それはイアンが騎士団に入るなり払拭されたのである。
確証はないものの、ジャメルが告発した陰にはイアンの存在があるとアスターは直感した。
イアンは騎士団に入ってからジャメルと急接近している。短期間で急に仲良くなったのだ。
『不良同士、気が合うのかもしれんな。ティモールも然り』
ユゼフは相変わらずの無愛想で、用が終わったならさっさと帰れと言わんばかりだった。
いつも通りといえばそうだ。
絶えず不機嫌な顔をして誰も寄せ付けようとしない。たまに冷笑する程度。ここ最近、陰険さが一層増した。
アスターが動かないでいると、片眉だけ釣り上げてこっちを見た。
「報告はそれだけ?」
「ああ……」
これじゃ、世間から嫌われても当然だ。
ただでさえ、口下手で人と話せないのに表情ぐらいもっと柔らかくできないものか──そう思ってもアスターは何も言えなかった。以前のようには……
ユゼフが頑なになるのも内にこもるのも、痛いほどよく分かるからだった。
「あ、そうそう。城下でしきりに噂されてるのを知ってるか? おまえのことだよ?」
ユゼフは首をかしげる。
全く知らないのか、それとも聞いたところで興味すらないのか。
「おまえがローズの女王とデキてるって話。王妃になる前からの関係だと。女王と一緒に国を乗っ取るつもりで国王に毒を盛ったとさ」
「くだらないな」
ユゼフは意に介する様子もない。
本当に興味ないのだろう。
「民にとって醜聞や噂話はご褒美だ。放っておけば、その内飽きるだろう」
淡々と答える声には何の感情も込められてなかった。アスターは結婚前のユゼフがディアナに執心だったのを知っている。顔ぐらい赤らめると思ったのだが。
「いやな、この噂話のおかげで案外助かってるのだよ。五年前の謀反の黒幕がシーマだというデマが霞んでな。あの謀反はシーマがイアン・ローズと共謀した狂言だったのだとヘリオーティスが吹聴してたが──」
まあ、こっちの方はほぼ真実だが。
城下では全く信じられていなかった。国王の右腕が女王と恋仲というロマンスの方が面白いのだろう。
「結局、ヘリオーティスのデマはな、騎士団にイアン・ローズのそっくりさんがいて、皆からイアンと呼ばれてるっていう他愛ない噂話に変換されてる」
「そうか、それは良かった」
会話が途切れた。
また気まずくなる。
──こんなことを話したい訳ではないのだ。こんなどうでもいいことじゃなくて
だが、思いついたのはまたどうでもいいこと。
「それとな、イアンは家で預かることになったから」
アスターは以前の屋敷に戻っていた。
勿論、警備は強化している。
簡単に入り込めないよう石塀も高くした。ほとんど建物が隠れてしまうほどに。
リンドバーグ家でイアンがトラブルを起こした訳ではない。イアンは悪くないのだが、移動せざるを得なかったのだ。
問題はリンドバーグの二人の娘。
二人ともイアンに夢中で奪い合いのようになった。
姉妹関係は険悪になり、リンドバーグがアスターに泣きついてきたのである。
ちなみにイアンは娘達に手を出していない。
「全くイアンときたら、どこへ行っても何かしら問題を起こすのだからな。うちのユマが毛嫌いしてて良かったよ。一応念のため、イアンには娘と目合わせるな、口きくなとは言ってあるがな」
この話もやっぱりユゼフは無反応だった。
「ふぅん」という感じで聞いただけだった。
「何でモテるんだろうな? あんなのが?」
「イアンは昔からそうだ。今に始まったことじゃない」
ユゼフはそれだけ言って、手元の書類へ視線を落とした。
──もう帰れということか
「じゃ……」
アスターは背を向けた。
一歩、二歩、進んで立ち止まる。
「まだ、何か?」
振り返れば、ユゼフが訝しげにこちらを見ていた。
アスターは目を伏せた。
「あの……良かったら、おまえも家に来ないか? 無理にとは言わんが。地下室でずっと生活していては気が滅入るばかりだと思うのだ」
やっと言えた。
しかし、帰ってきたのは無情な一言だった。
「遠慮しておく」
「余計なお節介とは思うが、そう後ろ向きだとどんどん幸が逃げていく。辛いのは分かるが、前を向いた方がいいと……思う」
アスターはいつでも目を見てはっきり物を言う。こんなに歯切れ悪いことは今だかつてない。
目を反らし、自信なさげにブツブツ言うなんてことは。
「大丈夫だ」
この言葉は全てを拒絶していた。
アスターはそれ以上何も言わず、部屋を出て行くしかなかった。
†† †† ††
高い石塀は頑なな心を象徴している。
冷たく固く、悲しげで孤独。
この高い塀のせいで日当たりがだいぶ悪くなった。一歩中へ入れば、枯れた芝生が乾いた音を立てる。
暗い外見とは裏腹に屋敷の中は暖かかった。
出迎えたのは妻のカミーユだ。
丸い目が愛くるしい。また一段と肥えたように見える。
「大事ないか? 体調は? 食欲は?」
「あなたってば、心配し過ぎよ」
「そうは言っても、おまえはもう年なんだからな。何かあってもおかしくない」
プクゥと頬を膨らます姿は子供かと思う。
縮れた栗毛に指を絡ませる。
彼女はどんな時も決して不満を言わず、寄り添ってくる。この妻は誰よりも甘え上手に見えて、そうではなかった。
アスターは愛する妻の腰に手を当て優しく抱擁した。
後ろに控えていた執事のシリンが気を使い、スッと離れていく。
「明日は休みを取ったから一日そばにいよう」
「まーた、そんなこと言って……何かあったらまたいなくなっちゃうんでしょ?」
「いや、何があってもいる。城が占拠されようが、陛下がお亡くなりになろうが行きはしないよ。ずっとおまえのそばにいる。おまえ達のそばに」
アスターはカミーユの腹に手を伸ばした。
脂肪を蓄え始めた腹からじんわりと熱が伝わってくる。
命だ。
カミーユはそっと手を重ねた。
見上げる瞳が心なしか潤んでるのは「嘘」を見抜いているからか。それでも、この女はジッと耐えて騙された振りをする。全て分かっているのに気付かぬ振りをして、悪事が明るみに出れば呆れ顔、悲しみに暮れていればその身を差し出す。
鷹揚な振りをしても内面は傷だらけだ。
何度も何度もそうやって傷つけてきた。
これからもずっと、続いて行くのだろう。
彼女が解放されるのはきっと──
ユゼフにカミーユの妊娠のことは話さなかった。
──おい、ユゼフ、何もかも分かっているんだからな。
おまえが深い闇を抱えていることは。
他害することでしか癒せないってことは。
おまえは憎悪と慚愧にその身を委ねている。
復讐することでやっと保っていられるんだろう?
その身を悪魔に捧げるつもりか?
だとしたらあの時、私はどうして助けたのだろう? おまえのことを。
知っているよ。
お前がハウンドだってことは。
地獄へ行くなら一緒に連れて行ってくれ──




