第一部前編十四話 盗賊達① 頭領アナン視点
(盗賊の頭領アキラ)
「それで、みすみす小娘二人と優男一人を取り逃がした、と」
アスターの言葉に、頭を垂れていたバルバソフは青筋を立ててサーベルを抜こうとした。
それを制するのはアキラだ。
「お前は短気過ぎる」
頭領に言われては逆らえない。
まだ何か言いたそうなバルバソフは、荒々しく店の外へ出て行った。
宿屋に置いていた戦利品の女──確かミリヤと言ったか──に逃げられたことで余計に機嫌が悪い。
怪しげな三人組と遭遇した後、騒ぎが大きくなったためにアキラ達はナフトの町を出た。何せ、町中に巨大な魔獣が出現し、阿鼻叫喚と化したのだから。
今いるのはそこから数スタディオン離れた別の町だ。
「盗賊というのは案外意気地がないのだな」
得体の知れない髭の中年──アスターの言葉はいちいち癇に触った。
ナフトの町でバルバソフが追った娘二人の内、一人は剣を持っていた。女の剣だとバルバソフは油断してかかったのだ。
そして、不覚にも股関を蹴り上げられ、悶えている内に逃げられたという。
逃げられたのはアキラも同じだから、バルバソフを責めることは出来なかった。
──こんな時、兄上ならどうするだろうか……
アキラはいつになく弱気だった。
首から下げたロケットを外衣の上から触り、気持ちを静める。八年前、壁が現れた時に唯一信頼できる肉親の兄とは生き別れている。
腑に落ちない点が幾つかあった。まず一つ目はナフトの集会所近くで感じた原因不明の寒気である。
邪悪でおぞましいものに見られているような、そんな感じがした。その恐ろしい気配は怪しい男が姿を消すと同時に消え去る。
そして二つ目……
「あの男、すごく弱かった」
アキラは呟いた。馬車の中から見張り二人の心臓を一突きした手練れとは、到底思えないのである。
「しかし、取り逃がした」
アスターに向かって言ったつもりではないのに、言葉が返ってきた。
「熊男君が逃がした娘の一人は、すぐに顔をスカーフで隠してしまったそうだが、美しい金髪が見えた。そして、これ……」
アスターは逃げた男の剣を鞘から抜いて、銀色に輝く刀身を眺めた。
「冠の下に交差する剣の紋章が彫られている。これはヴァルタン家の物だ」
男はユゼフ・ヴァルタンで、逃げた娘の一人はディアナ王女に間違いない……ということが言いたいらしい。
「ただの従者が俺の家来を三人、叫ぶ間もない早さで片付け、魔獣を呼び出すのか」
「面白いではないか」
アスターは楽しそうに髭を弄った。
──何が面白いんだか
コルモランから催促の文が何度も届いており、アキラを不愉快にさせていた。
「ところで、あんたは横から口を出すだけで全く役に立っていないが……口だけではない所を証明出来るのか?」
アキラはアスターを睨み付けた。
「……まあ、当たる可能性は四割ほどだが、彼等が逃げた場所を推理してやってもいい」
「……四割だと?」
アキラは嘲笑った。
アスターは嘲笑を気にも止めず、モズ国の地図を広げる。
「人気のない、人の寄り付かない場所で雨露を凌げる場所……」
アスターは地図を指でなぞる。
「使われなくなった砦、古い遺跡、廃城、昔の神殿、教会……」
「そんな場所、幾らでもある」
「彼等は宿営地ではぐれた仲間と、どこかで落ち合うかもしれんな」
アスターは髭のリボンを結び直した。
「どうだか。隊長のダニエル・ヴァルタンは死んでいるし、敗走兵は沢山いるだろうが……そういえば、王女に変装した女と爺さんに逃げられた報告があったな」
「ほう……女と爺さんを取り逃がした奴等に罰は与えたのか?」
アスターの目がギラリと光った。
「いや。魔術で目眩ましされたと言っていたが……」
「貴公は甘い」
「あんたにとやかく言われる筋合いはない」
「まあいい、その爺さんというのは王室付学術士だな。壁の向こうと何らかの方法で連絡を取っている可能性もある……年老いた学術士で魔術が使える者……」
アスターは上を向き、目を閉じる。
「……ああ、思い出した……グランドメイスター、シーバート……優秀な学匠である」
アキラはチッと舌打ちした。アスターの大仰な身振りにはもううんざりしている。
「そのお偉い学匠様が逃げたからってどうなんだよ?」
「王女達と必ずどこかで落ち合うはずだ」
「どこで、だ?」
「まあ、急かすな」
アスターは再び地図を指でなぞり始めた。
「そもそも王女とその軍はどこへ向かおうとしていたのか?」
「グリンデル王国側の壁が薄いと、ヴァルタンの従者から聞いたが……」
「壁に薄いも厚いもなかろう。そもそもグリンデルに背を向け、反対方向へ向かっているではないか。反対回りだと大陸の四分の三を回らなければならない。着くまでに一年はかかるぞ」
「早馬で行けば半年で行ける」
「王女を連れてか?……頼むよ、坊や」
アスターはそう言って大笑いした。
──坊やだと? 盗賊の頭領であるこの俺を
アスターの目が鋭い事に気付かなければ、アキラは斬りかかっているところだった。
不意にアスターはピタリと笑うのをやめる。
「戦時中、カワウに攻められてこのモズが戦場になったことがある。鳥の王国軍は西のカワラヒワとの国境辺り、ソラン山脈まで追い詰められた。私は既に帰国していなかったのだが、後で面白い話を聞いた」
地図上のアスターの指がソラン山脈で止まった。
「「虫食い穴」だよ。虫食い穴を通って同盟国であるグリンデルから援軍が来たのだ」
「虫食い穴?」
虫食い穴のことをアキラは知っていたが、実際に見たことはなかった。鳥の王国内には沢山あるそうだが。
「そう虫食い穴だ。援軍のお陰で鳥の王国軍は盛り返し、カワウ国軍を逆に追い詰めることができたのだ」
アスターはそこでエールを飲みながら、木の実を摘まんだ。
「これが王女、ユゼフ・ヴァルタン、メイスター・シーバート」
と、木の実を地図上に並べ始める。王女はクコの実、女剣士はくるみ、ユゼフはカボチャの種、シーバートは干し桑の実……
──全く何を遊んでるんだか……
アキラは呆れながらも、この変な男に期待し始めていた。
「虫食い穴の詳しい場所は知らないが……近くにこんな場所が……」
アスターは指で指し示した。
「……五首の城か」
その時、足元でガタガタっと音が聞こえた。
アキラとアスターはテーブルから飛び退く。
「何者だ?」
アキラはテーブルクロスを素早く引っ張った。
木のコップが倒れ、中に入っていたエールがこぼれる。こぼれたエールは地図上に大きな染みを作った。
テーブルの下に居たのは少年だった。
「ちょ、待ってください。僕は食べ物を少し頂いていただけです。殺すのはやめてください」
剣を突き付けられた少年の手にはパンが握られていた。
「全く……それは持って行っていいからさっさと失せろ」
緊張感が一気に緩んで、アキラは投げやりな口調になった。身なりはそんなに悪くない。どこかの不良少年か。テーブル上の食べ物をくすねていたのだと思われる。
盗賊という裏稼業を続けていると、あらゆることに敏感になり、用心深くなる。いつ、間者や刺客が潜り込んでいてもおかしくない。少しでも油断すれば、足元をすくわれる世界だ。
走り去ろうとした少年は、急に止まって振り返った。
「なんだ? 何かあるのか?」
「先程、ソラン山脈の話をしていましたね」
「子供には関係のない話だ」
「僕の村が前にあそこら辺にありました。戦争で焼かれてもうないですけど……」
「何が言いたい?」
「道案内は必要ありませんか? お小遣いをくれれば、やりますよ。僕はあの辺り詳しいんです」
少年は人懐っこい笑顔を見せた。アキラはアスターを見る。
「丁度いいではないか。可愛らしい少年だし、賢そうだ」
アキラは頷いた。こういう時、決めてくれるのは助かる。
「子供、名は何という?」
「レーベと申します」