第二部後編七十四話 怪人ハウンド エッカルト視点
(ヘリオーティス本部長エッカルト)
怪人ハウンド──
ヴァルタン邸を襲撃した翌日からそいつは現れるようになった。
狼のマスクを被った黒ずくめの怪人。
連日、王都に潜伏するヘリオーティスのアジトが攻撃された。
攻撃されればほぼ全滅。
情け容赦ない。
ヘリオーティスは王都から逃れるしかなかった。現在はローズ城に集結している。
そこに十人いようが、二十人いようが皆殺しにされる。相手はたった一人だというのに。
現場は毎回凄惨を極めた。嗜虐趣味のエッカルトでさえ目を背けたくなるほどだった。
形容するなら、まるで巨大な猛獣が暴れまわった後。
臓物は引きちぎられ脳味噌がぶちまけられる。殺すだけなら急所を狙えばいい。それなのに腹を掻き切り、首を最後まで斬らず、脳天を割り、手足を斬って大量に出血させる。そいつは構成員の肉体を必要以上に切り刻み、醜く損壊させる。より苦しませ恐怖を与えようと。
どうしてそんなことをするのか?
エッカルトは自身の経験からよく知っていた。
──怨恨だ
状況から鑑みるにヴァルタン家、もしくはアスター家の者に間違いない。
あの事件の直後から出没するようになったのだから。
アスターの長女、宰相の妻モーヴの死は計算外だった。まさか自害するなんてことは──
陵辱だけして悪い噂を流すのが目的だったのである。ちょっとした精神的な嫌がらせだ。煽るのが目的だったから、死人を出すつもりは毛頭なかった。ここまで強い恨みを買う事態は想定していない。
『ささやかな嫌がらせのつもりがねぇ。まさか死にやがるとはぁ……洒落の分かんねぇ連中だよ』
性に寛容な庶民だったら珍しい話かもしれない。だが、ここアニュラスにおいても貞操観念の強いインテリや貴族はいた。身分の高い低いは関係なく、色恋に関する殺人や傷害もよくある。人が人に執着するなんてことは人の世であれば当然だ。人間は余計な知恵を持って生まれてきてしまったのだから。
だから、モーヴのことも全く予想できない範疇ではなかった。その可能性を考えなかったのはエッカルトの怠慢であった。
緊張を解すため、懐からスキットルを出し蒸留酒を煽る。隣にいる相棒のグレースにも差し出したが断られた。
エッカルトがいるのは、とある酒場の屋根裏である。
事前にここで会合が行われると情報を流しておいた。しばらくヘリオーティスは大人しかったから、この大きな餌にハウンドは食らいついてくるだろう。二百人くらい伏兵させてある。酒場の中、厨房、建物の周りにも。
エッカルトとグレースはハウンドが逃走した時に備えて屋根裏で監視することにした。
『熊や獅子狩るのと一緒だからなぁ。これぐらいの備えは必要っしょ』
ハウンドの正体や残忍なやり口より、気になるのはアジトの情報をどこから得たかということである。内通者がいたとみて間違いなかった。
『やっぱりあいつかぁ……シャウラぁ』
最近入会した雑用係の少年で怪しいのがいた。
襲撃事件の直前から姿を消している。
エッカルトは勘を働かせ、襲撃場所をアスター邸からヴァルタン邸へ変更したのである。
『覚えとけよぉ……クソガキぃ』
今回の情報は敢えて泳がせておいたシーマの間者に掴ませた。ハウンドは絶対に来る、エッカルトの直感はそう告げていた。
こういう時は外れない。絶対に、だ。
「クソ亜人野郎めぇ。捕らえたら滅茶苦茶に拷問して死体を切り刻んで王城に送りつけてやるぜぇ……」
「ちょっと、何ブツブツ言ってんだい? 集中しな」
グレースに怒られた。
そういうグレースはチクル※をクチャクチャ噛んでいる。今日は麻袋をかぶらず目元だけマスクで覆っていた。暗がりでも目立つ金髪はキツく縛り上げ、エッカルトと同じく身体にぴったり合った戦闘服姿である。
いつも身に付けている戦利品のネックレスは付けていない。今日は隠密に徹底するようだ。
苛立って見えるのは気のせいか……
蜘蛛の巣だらけの屋根裏は埃がこんもり積もっていた。身動きすればモワッと舞い上がり何も見えなくなる。
埃とカビの臭いが混ざり、薬品っぽい臭いへと昇華している。埃は人間の皮膚や髪、布類から剥がれ落ちた滓が集まった物だ。つまり動物性。そしてカビは菌類。菌類は他生物に寄生し変容させる性質を持つ。動物性である埃と菌類が合わさって、別の物質に変わっていてもおかしくなかった。
つまり、相当の期間この場所は放置されているということ。どちらにせよ不快な臭いには変わりない。
そこら中に転がるゴキブリの死骸に混じり、死因不明のほぼミイラ化した鼠の死体が転がっていた。間違いなく家主は建ててから一度も足を踏み入れてないだろう。
グレースは弾力のなくなったチクルをブッと吐き捨てた。エッカルトは眼帯のズレを直す。
いよいよ狂った猟犬の登場だ。
『いいかぁ……覚悟しろぉ。今日は狩る側じゃなくて狩られる側だかんなぁ』
入り口付近から物々しい雰囲気が漂ってくる。きゃぁとか、わぁとかいう叫声。緊張が高まる。
が、エッカルトの片目が捉えたのは怪人の姿ではなく青い炎だった。
次に悲鳴。絶叫──
酒場の三分の一は業火に包まれた。
刹那の出来事である。
火の勢いは天井を突き破り、エッカルト達のいる天井裏にまで達した。
「やべぇ……逃げようぜぇ」
煙の苦い匂いを感じながらエッカルトはグレースの腕を掴んだ。
「グレースぅ……」
グレースはピクリとも動かず、細長く空けたのぞき穴から下を見ていた。
「グレースってばぁ」
グレースの視線の先を追って、のぞき穴の向こうを覗き込む。
そこにはあいつが立っていた。
「ハウンド……」
狼のマスクを被った黒ずくめの男──
思ってたより長身でスラリとしている。
黒革のジャーキン※を羽織り、ピッタリしたチュニックに丈の長いブーツ。噂通り全身黒ずくめだった。
恐らく罠を仕掛けられているのを分かって来たのだ。これぐらいならヤレると。
『ふざけんなよぉ……』
抜刀もしないハウンドの堂々とした立ち姿にエッカルトは怒りを滲ませた。
奴の周りには用意した伏兵が二重にも三重にも取り囲んでいる。
瞬──
『あっ!!!』
ハウンドは一周し、自らを取り囲む兵士を薙払った。一列目──
綺麗に胴は斬られ、皮一つで繋がった上半身が後ろへ倒れる。ぱっくり綺麗に割れた肉が見えた。上から見るとハウンドを中心に花が咲いたみたいに見える。
速すぎて、いつ抜刀したのかも分からなかった。気づいた時にもう花は咲いていた。
『馬鹿な! 甲冑着てんだぞぉ!?』
ハウンドは休まず今度は反対回りに薙払う。
二列目──全滅。
飛沫を上げる間もなく肉塊となる。
流石に怖じ気づいた三列目は前進せず後退した。僅かの間、ハウンドの長剣が青い光をまとっているのにエッカルトは気付いた。
『マジかぁ……鋼鉄プレートをスッパリ斬るたぁどんな魔法剣だよぉ?』
アニュラスでよく使われるのはパイロという聖なる炎の魔法だ。それとは種類が違う。闇属性かと思われる。
『ひぁっ!! 飛んだ!?』
ハウンドは跳躍し、後ずさった三列目の背後に降り立った。驚異的な身体能力だ。獣だって三列に並んだ人間を飛び越えるなんて無理だ。
瞬く間に首が飛ぶ。飛ぶ。飛ぶ。飛ぶ……
ヒュンヒュンと効果音が聞こえてきそうだ。
逃げる間もなく……いや、状況すら把握出来ないまま兵士達は逝った。
段違いの強さを見せつけられ、エッカルトは唖然とするばかりだった。
いつの間にか天井裏が煙に汚染されている。やがて、呼吸できなくなるだろう。
『逃げなければ……』
しかし、足が動かなかった。
不意にグレースがエッカルトの口を抑える。
間一髪。
声を出してしまう所だった。
下には生臭い真っ赤なダリアが咲いている。
火は轟々と勢いを増す。
死神だ、死神がいる。恐ろしい悪魔が。
蒼銀色の瞳。
ハウンドがこちらを見上げていた。
『気配を消すんだ!』
グレースが耳に直接言葉を吹きこんだ。
気配……どうやって?
エッカルトは蛇に睨まれた蛙の状態だ。
全身が痙攣している……違う、震えているのだ。恐怖で。
その時、外に控えていた伏兵が叫びながら乱入してきた。
『今だ!』
グレースは屋根に拳を叩き込んだ。
バリバリバリッ……
骨組み、下地板、モルタル、煉瓦……これだけの構造物が容易くぶち抜かれる。
女の力でも人一人通れる穴が開けられる理由。それは拳に魔術をまとわせているからである。
グレースのようなプロのアサシンは純粋な腕力の代わりに術を使う。
グレースに腕を支えられ、エッカルトは何とか立ち上がることができた。
『この俺がぁ……なんちゅう失態だ』
『今しかない。逃げるんだよ』
グレースに導かれ、屋根の上へ上がる。
哀れな伏兵達が切り刻まれている間に、その短い時間に逃げるのだ。芋虫のように這って。
※チクル……ガムのこと
※ジャーキン……ベスト




