第二部後編 五十話「奪われていく」のあと 知恵の島のレーベ②
(レーベ)
一週間前──
シリンがアスターからの依頼でランディルを連れて来た時には驚いた。
同じ高等部に入学することになったから、世話を頼むと。
寄宿舎のレーベの部屋まで直接やって来たのである。
「は!? 何考えてんの、あの人?」
執事のシリンに怒りをぶつけてもしょうがないことは分かっていた。
しかし、度重なるアスターの横暴ぶりに我慢できなかったのだ。
シーマが盛られた毒の分析──これは個人的な興味でしているからまだいいとして、エデンへ発つ前に大量の魔法の札を用意しろと言ってきた。
「アスターさん、普通に魔法を発動するのと違って札に封じるのは結構時間かかるんですよ。魔力も消耗するし……」
「明日の夕方には発つ。一日で用意しろ」
「……あんた、僕の話聞いてた?」
「知恵の島の寄宿舎に入れたのは誰のおかげだ?」
「国王陛下から戴いた報奨だから、アスターさんのお陰ではありません」
「みなし子のお前の後見人になってやってるのは誰だ? 人の権威を傘に着て傲慢に振る舞ってる癖につべこべ言うんじゃない。明日の昼過ぎにシリンを寄越すからそれまでに用意しとけ。頭でっかちのクソガキめ」
このような言い振りである。
『どっちが傲慢だ? クソジジイめ』
これは心の中だけで呟くに留めた。
エデンへ発つ前のアスターとこんなやり取りをしていたのである──
「高等部の編入試験、全教科満点だったそうだ。しかし、まだ幼く性格的にも問題あるから傍で見守って欲しいとのこと」
シリンは珍しく事務的に要件を伝えた。
余計なことを喋るなと言われているのかもしれない。
「急なことなので入学手続きはまだ終わってないが、先に寄宿舎へ入り授業を受けても構わないそうだ。寄宿舎は同じ部屋にするよう手配した」
どうせ、アスターの圧力で無理にねじ込んだに違いない。何が目的かは知らないが。
「シリンさん、アスターさんから余計なこと喋るな、無理にでも従わせろって言われてるんでしょう?」
思った通り、シリンは困り顔で顎髭を撫でた。
盗賊だったことなど想像つかないくらい上品に整えられた顎髭である。
元々盗賊らしくなかったとはいえ、今ではすっかり良家の執事らしい風貌だ。金属製義手の指関節をポキポキ鳴らしたりしなければ完璧である。これは考え事をしている時の癖だ。
「レーベ、すまないな。お前の言う通りだよ。口止めされてる」
奥歯に物が詰まったみたいに一語一句、ゆっくりとシリンは話した。
「でもな、俺も全部は知らされてない。概要だけだ」
「知ってることだけでも教えてください。僕には知る権利がある。危険は皆無だと言い切れますか? 知らない内に巻き込まれてる可能性だってあるでしょ? ちゃんと教えてくれるまでは引き受けることは出来ません」
シリンはレーベから視線を逸らすと、ぷはぁ……とやや大袈裟に息を吐いた。
一緒にいたランディルを別室へ下がらせる。それから、ようやく話し始めた。
「どうせあの子と一緒に居ればバレることだから教えとく。あのな、ここだけの話だからな……」
静かな部屋にシリンの声はよく響いた。
アスターの権威を利用して四人部屋を一人で使っているから広々しているのだ。本で雑然としているのは仕様がないとしても。
授業中に呼び出されたので、寄宿舎に生徒は残っていなかった。
「この件にはイアン・ローズが絡んでる」
「イアン・ローズ!?」
思わず大声を出してしまい、レーベは自分の口を押さえた。
その名を聞くのは五年ぶりである。
全く予想だにしていなかった。
サチの身体にあった臣従痕から、生きていることは知っていたが……
「あの子供、ランディルはイアンが保護した孤児なんだ。死んだ弟と重ねているのか、思い入れがあるらしい。アスター様がエデンにいることは知ってるな?」
レーベは頷いた。
毒を盛られたシーマを救うため、蓬莱の水を求めてエデンへ向かった。知っているのはそれだけだ。誰を同行させたかまでは知らない。
「エデン侯爵とイアン・ローズが旧知の仲らしくてな、蓬莱山への入山を認めてもらうための交渉役を頼んだらしいんだ。ランディルのことを条件にしたかどうかまでは分からない。俺が知っているのはここまでだ」
『なるほど……』
レーベは首を傾げた。
「でも、妙ですね。彼を入学させるのが条件なら、戻ってきてからでもいい訳ですよね? なんでこのタイミングで慌てて入学させようとするのでしょう?」
シリンも首を傾げた。
この様子だと本当に知らないのだろう。
「まるでイアン・ローズがいない間にことを済ませようとしてる。「してやった」と既成事実を作って、頭が上がらないよう雁字搦めにするつもりではないですか? エデンへの同行以外にも、させたいことがある……イアン・ローズに何をさせる気なのかは分かりませんがね」
「勘ぐり過ぎじゃないのか?」
「シリンさんがあの人を信頼し過ぎるんですよ。多少疑り深いほうがアスターさんに対しては丁度いいのです」
謎が深まっただけだったが、取り敢えずレーベは引き受けることにした。
一時間もしない内に後悔するとも知らず──
†† †† †† ††
レーベが向かったのは、校舎の外れにある廃塔だった。
見るからにボロボロだ。
外壁は真っ黒に汚れ、積まれた石煉瓦の所々に隙間が出来ている。ほとんど使われないため、修繕を怠り老朽化が進んでいた。
塔の周りにはロープが張られ、「立ち入り禁止! 崩落注意!」とあちこちに張り紙がされていた。
レーベは全く躊躇することなく、ロープを跨いだ。先に入ってから上手く跨げないランディルを手伝う。足が思うように上がらないようだ。
結局、レーベは魔法を使ってロープを焼き切った。
塔の階段は上らず、隠し扉を開け地下へと。
「フォス!」
詠唱しなくても、呪文一つで壁がぱぁと明るくなった。
術にもよるが、光の魔法を詠唱無しで使える者は学匠の中でも少数だろう。詠唱に時間がかかるので札に封じて使うのが一般的である。
魔国へ行った影響だろうか。
レーベの魔力は抜きん出ていた。
明るくなれば、地下室の隅々まで見渡せる。
様々な実験器具、標本、模型、扉付き書棚……研究室の様を呈していた。
「ここ、僕の秘密基地だ」
にんまり微笑んで案内する。
少しずつ道具を集め、自分だけの居場所を作るのはそれなりに時間がかかった。
これもアスターの権威あってこその賜物である。
思った通り、ランディルは目を輝かせた。
「ここには結界が張ってある。僕と一緒でなければ入れないからね。君がいい子にしてれば、いつでも入れるようにしてやるよ」
今日のような行いは困る。
まず、やっていいことと駄目なことぐらいは分かって貰わないと。
──アスターさんさえ戻ってきてくれれば、何やっても許されるんだがな
「まだ分かんないだろうけど、今の僕達は非常に微妙な立場なんだ。状況が安定するまでは大人しく振る舞った方がいい」
「……レーベ、魔人の胎児サンプルは?」
「おい? 君、僕の話聞いてた?」
「魔人はなかなか子供が産まれないんだ。胎児は非常に珍しい」
ランディルは標本の一つを持ち上げ、上から下からと角度を変えて見ながら呟いた。
薬臭い瓶に入っているのは孵化する前のグリフォンの胚である。
レーベは肩をすくめた。
彼に何を言っても無意味らしい。
自分の興味のあることにしか目を向けようとしない。
この一週間、アスターの意図を探ろうと質問を重ねてきたものの、シリンから聞いた以上の情報は得られなかった。
イアンと暮らしていた──聞き出せたのはこの一点のみである。
その前の両親のことやどこで暮らしていたかなど、ランディルは何一つ覚えていない。不自由な手足や身体に刻まれた傷痕を見れば、哀れな環境に置かれていたのは一目瞭然であるが。
「早く早く……」
「まあ、待ってろって」
レーベは標本の並ぶ奥へとランディルを誘導した。
それは一番奥の大きな水槽の中を自由自在に泳ぎ回っていた。へその緒の代わりに二本の線が繋がっている。線は酸素タンクと逆さに据え置かれたフラスコへ接続されていた。ここから酸素と栄養を送っているのだ。
紫色の髪に尖った耳。一番の特徴は大きな蒼銀色の目と背中に生えた鱗である。動くたび、虹色の光を発する鱗はグリンデル鉱石みたいに美しかった。
「生きてる……」
ランディルは目を見張った。
驚くのも当然だろう。
胎児を水槽で飼っているのだから。
「三日前は息をしてなかった……」
三日前、自死したモーヴの遺体からこの赤ん坊は取り出された。
王城、知恵の館の地下室にて。
亜人が産まれたことでちょっとした騒ぎになったが、ユゼフが私生児ということは知られていたのでその血が悪さをしたのだろうと片付けられた。
いち早くこの情報を得られたのはラッキーだった。たまたま、ダーラから知らされたのだ。
その晩、レーベは亜人の変異を抑える薬をダーラに渡す予定だった。ダーラを通じて、ラセルタ、ジャメル、ファロフへ届けるのだが、取りに行けなくなったと連絡が来たのである。
お嬢様の付き添いでヴァルタン邸に居た所、襲われたと。モーヴ様が亡くなったと……文にはそう書かれてあった。
アスターの愛娘でありユゼフの妻のモーヴが亡くなったと聞いてレーベが胸を痛めることはなかった。何度か会ったことはある。美しく優しい人という印象。だが何よりもレーベの興味は腹の胎児へ向いていたのだ。
ユゼフは異常な力を持つ魔人である。
魔人の中でもトップクラスだろう。
その血を引く胎児が捨て置かれているのだ。
こんな美味しい研究サンプルを放っておくなど勿体ないことがあるか。
すぐさま知恵の館へ向かった。
学匠の間でレーベはアスター家の子供として認識されていたし、シーバートの弟子をしていた時の知り合いもいる。
学匠達は報告書やらの作成に追われ、時間外勤務を強いられていた。四方に注意を向けられるほどの余裕はない。
それを手にするのはそんなに難しくなかった。
小さな棺は研究室のテーブルに置かれていた。宰相へ届けなければならないが、誰も行きたがらないまま放置されていたのだ。
「僕が届けましょうか?」
彼らが諸手を上げて託したのは言うまでもない。レーベは胎児の遺体を持っていた標本と入れ替えた。
まさか、息を吹き返すとまでは思わなかったが……




