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第二部後編 五十話「奪われていく」のあと 知恵の島のレーベ①

カットしたレーベ視点です。

(レーベ)


 ノートに書き込む振りをして、レーベはずっと聞き耳を立てていた。


 学匠の卵が集う知恵の島。

 ここには学匠を養成するための機関が全て集まっている。

 尖った塔の集合体である校舎は小等部、中等部、高等部、最高学部と分かれていた。勿論、飛び級も可能だ。年齢ではなく能力で分けられる。


 レーベは高等部に所属していた。

 能力的には最高学部へ行っても問題ないほどの実力を持つ。しかし、同じ年頃の子供と過ごした方がいいというアスターの教育方針により、合わない同級生の中へ放り込まれたのだった。


 長テーブルが教壇の前に弧形を描いて並べられている。レーベは後ろから二番目の端に座っていた。

 授業が終わったばかりの教室は雑然としており、レーベのように自習する者、教室を離れる者、お喋りに興じる者、それぞれであった。


 レーベが後ろの生徒の噂話へ耳を傾けたのに理由はない。ただ何となく興味が湧いただけである。



 最近、巷で「ハウンド」という名前の怪人が出現しているらしい。

 狼犬の仮面を付けた黒ずくめの怪人はヘリオーティスの拠点を襲うのだという。



「すらりと背の高い男で長剣を振り回し、どんな相手でも一太刀で斬り伏せるんだと」


「相当の手練れだな」


「しかし、ヘリオーティスを狙うってことは亜人じゃないのか?」


「本当に犬みたいな顔してたりして」



 少年達は笑うが、ヘリオーティスの被害は甚大だ。ここ数日の間に三拠点も失っている。

 活動は鎮静化。大人しくなったヘリオーティスはディアナ女王のローズ城に集結しているそうだ。



『ヘリオーティスなど滅ぼされればいいのに』



 無宗教で王を持たぬモズ国出身のレーベからすれば、偏狭な血統重視の考え方は理解できない。モズは様々な人種、宗教を持つ人間で構成されている。亜人に対しても寛容な自由主義国家である。



 ヘリオーティスの話からどうして逸れてしまったのか。お喋りは宰相ユゼフ・ヴァルタンの奇行の話へと移った。

  


「とうとう宰相閣下は気が触れてしまったらしいな」


「何でも教会の前に薪を積んで亡くなった夫人を燃やしたらしい」


「火が轟々燃え上がって教会にまで移りそうだったって話だ」


「悪魔教でも信仰してるのか? 宰相殿は」


「燃え上がる炎を見てニヤニヤ笑ってたって」


「夫人も気の毒に…腹の子はどうなった?」


「その後、骨となった夫人と共に埋葬されたらしいが」



 ここまではいい。

 ユゼフが悪く言われようが、自業自得だしどうでもいいことだ。だが……


 

「ヴァルタンの屋敷を襲ったのはヘリオーティスの仕業らしいな。アスター様の次女は輪姦されたとか」


「アスター様は公爵以上でないと嫁がせないと豪語されてたみたいだが、これじゃあな……」



 これは聞き捨てならない。

 レーベの後見人であるアスターの悪口は。


 レーベは後ろを振り返り、噂話の主を睨みつけた。

 話途中だった少年は一瞬怯んだ。このそばかすだらけの少年は王室付学匠を代々輩出している一門の出身である。そして一緒に喋っていた二人は貴族の次男坊とか三男坊。

 

 知恵の島での序列を決めるのは本人の能力だ。ただしそれが全てではない。家柄やコネなども多少関係する。


 そばかすだらけの少年は優秀な一族の出というだけで皆から一目置かれていた。


 要は、いけ好かない奴。



「なんだ? レーベ・アスター、いやイルハムか」



 わざと言い間違え他の二人を笑わせる。

 孤児のレーベが後見人であるアスターの庇護下にあることを嘲笑ったのだ。

 

 こんなことは初めてである。

 英雄であるアスターの人気は飛ぶ鳥を落とす勢いだ。アスターの権威と優秀な成績があれば、ここでは無敵のはずだった。



『アスターさんの権威が弱まってる?』


 嫌な考えは当たっていた。

 そばかす顔は不細工に顔を歪ませ、不快な笑みを浮かべた。


「アスター卿は今、行方不明だな。家族みたいな君なら居所を知ってるんじゃないのか?」


「アスター様は今、バカンス中だ」


「どこで?」


「プライベートなことは教えられない」


 少年達の間にドッと笑いが起こった。

 ほら見たことかとそばかす顔がしたり顔をする。


「アスター様は壁を渡って国外かもしれないぞ。そのまま戻らなかったら君はどうなるんだろうね?」


 こんな馬鹿どもを相手にするだけ無駄だとレーベは思った。しかし、アスターの名が効かないのは大問題である。



 ──それだけもう落ち目ってことか



 シーマのため国事に奔走してきたユゼフの評判は最悪ときてる。

 国王シーマが病にかかって、姿を見せなくなってもう二週間。同時に軍を仕切るアスターまで姿を消した。



 ──本当に蓬莱山から戻ってこれるのだろうか


 この疑念は数日前からレーベの中でくすぶっていた。

 もし、アスターが失敗した場合、レーベの立場も危うくなる。その場合は……ディアナ女王に庇護を求めるか──


 こんな時、レーベは非常にドライである。

 情など露ほどもない。

 アスターが役に立たぬなら、別の者に乗り換えるだけだ。人情は師匠だったシーバートが亡くなった時、一緒に失った。



『女王側にいるエリザさんと連絡を取ろう、エリザさんならきっと力になってくれるはずだ』



 そんなことを考えていると、レーベの隣にいた少年が突然立ち上がった。


 この少年は訳あって一週間前からレーベの傍らにいる。長過ぎる睫毛を(しばたた)かせ、レーベに因縁をつけてきた少年達を睨みつけた。


 本人の話だともっといっているそうだが、見た目は八~十才と幼い。高等部にいる生徒は大体十六、七くらいなので相当浮いていた。

 少年というより、少女に近い可憐な外形と裏腹に苛烈な性格をしている。


 つい今しがたまで一心不乱に読書していた彼が噂話に反応したのは予想外だった。読んでいたのは分厚い鳥獣図鑑である。興味を持つととことんそれに囚われてしまい、周りが見えなくなるのだ。


 彼は何故かグリフォンの羽ペンを握り締めていた。

 石盤に書く時は石筆を使うし、紙にメモ書きする時は木炭を使う。羽ペンは(ふみ)や正式な書類を作成する時に使う物だ。勉強する時に使う物ではない。少年が羽ペンを握っているのには違和感を感じた。



「ランディル?」


 

 違和感の原因を探る前に結果が出た。

 少年──ランディルは羽ペンを振り上げ、そばかす顔の手に突き刺したのである。



 鳥類を思わせる悲鳴が教室中に轟く。


 驚愕と恐怖。

 本人も含め、周りはパニック状態に陥った。

 こういう時、どうすればいいのか?

 レーベは反射的にランディルの腕をつかんで、教室を飛び出た。

 

 走る。


 ツルツルした石の廊下を滑りそうになりながら、必死に。

 廊下を走り抜け階段を降りる。

 何本も枝分かれした通路を通り迷宮の奥へ。


 立ち並ぶ石の塔は巨大なペンを地面へ無造作に差しているかのごとく見える。塔同士は密接しているから上階でつながっていたり、中へ入らないと通り抜けられない場所もある。

 慣れているレーベにとっては何でもないが、知らない人から見れば入り組んだ校舎は迷宮だ。


 呼吸が足に追いついていかなくなった頃、ようやく逃げることに疑問を感じてきた。



『何で僕が逃げないといけないんだ? ちっとも悪くないのに』



 ランディルを掴んでいた腕を放す。

 急に解放されたランディルは転びそうになった。必死に逃げていたから気付かなかったが、ランディルの荷物までレーベが持っている。

 重い石盤の入ったバッグ二人分は肩に食い込んでいた。



「図鑑を置いてきてしまった」


 無感情な声を出すランディルにレーベは苛ついた。あれだけのことをして平然と図鑑の心配をしているのだ。


「あとで取りに行けばいいだろ?」


「エゼキエル王時代の鳥獣図鑑だ。まだ半分しか読んでない」


 濃い碧茶色の瞳は狭い世界しか捉えられない。ランディルにとって今大事なのは読みかけの図鑑のことだけなのである。


「お前……信じられない」



 鳥みたいにきょとんと首を傾げる姿はランディルの異常さを知らない人からすれば、可愛らしく見えることだろう。だが、レーベは一週間一緒に過ごして彼の異常さを把握している。不気味としか思えなかった。


 肩に食い込むバッグをレーベは下ろした。

 痛いのはバッグを掛ける肩だけじゃない。

 反対の腕も物凄く痛い。


 というのも、足の不自由なランディルを半ば引きずりながら走っていたからに他ならない。

 当のランディルは一切気にしていないが。



「何で刺したりしたんだよ?」


「ムカついたから」


「……ムカついたからってお前……」


「だって、レーベを困らしてた」


 無感情のように見えて、知らない内に懐かれていたらしい。


 ──全く、どう育てられたらこんな風になるのか


「図鑑、取りに戻る」


「駄目だ」


「どうして?」


「今戻ると、面倒臭いことになる。そんなことよりもっと面白い物がある」


「面白い物?」



 ランディルは長い睫毛を瞬かせた。

 あとは割と簡単だ。

 案外、単純なのである。

 好奇心を刺激してやれば簡単に(なび)く。



「魔人の胎児のサンプルがある」



 案の定、レーベの言葉にランディルは微笑んだ。睫毛に三分の一隠された目の瞳孔が開いている。まるで、猫じゃらしを追いかける子猫みたいに。

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