第二部後編 四十八話 イアン対太郎 カオル視点
(カオル)
無謀すぎる。
相手は化け物の首領だ。
勝てる訳がない。
ここはイザベラの魔法の札を使って、逃げるべきじゃないのか……
カオルが同意を求めようとイザベラを見た所、
「面白いことになってきたじゃない! いっけー! イアン! 頑張れぇ!!」
『えっ!?』
イザベラは頬を上気させ、イアンの応援を始めた。
『一体、何を考え……』
よくよく考えてみたら、イアンはアスターを助けようと入山したのである。で、イザベラはそのアスターの邪魔をする名目で来たわけだから……イアンにはここでくたばって貰いたいということか。
しかし、興奮し拳を握るイザベラの様子からそのような思惑は窺えない。
ただ、純粋にこの成り行きを楽しんでいるように見える。
次にカオルの脳裏に浮かんだのはイアンが戦ってる間に逃げる、という選択肢だった。
だが、忠兵衛と小太郎に視線を投げるも、二人ともイザベラと同じ高揚状態にあった。
「すっげぇ……鞍馬天狗の末裔だってよ。牛若丸に剣術教えたっつう。絵草紙まんまじゃねぇか。かっけぇ……」
呟く小太郎に逃げる気配は全くない。
憧憬の眼差しを天狗とイアンへ交互に向けている。
忠兵衛に至っては笑みを浮かべながら腕組みし、試合観戦する気まんまんである。
目が合えば耳打ちしてきた。
「カオル様、よーく見ておいてください。人の上に立つ人というのはこういう人です。これからどのような道を選ぶにしても、見て損はないはずです」
「人の上に立つ?……イアンは馬鹿殿だよ。周りに迷惑ばっかかける」
「そうでしょうか?」
忠兵衛の揺るぎない視線はカオルを気後れさせる。嫉妬がそう言わせてるのだと見抜かれてるようで……目を反らした。
「イアン様は逃げる途中も常にカオル様のことを気にかけてましたよ」
忠兵衛の言葉にカオルは身震わせた。
イアンのお節介は昔からだ。
お山の大将が子分達を気にかけるようなものである。逃げてる時だって、自分で何とかできるのにうるさいぐらいだった。
「夜目が利かないカオル様のことを気にかけていたんです。カオル様だってイアン様のことを助けたでしょう?」
カオルは気づいた。
溺れているイアンを助けるのも、夜目の利かぬカオルを導くのも、目付役である忠兵衛の役割である。
忠兵衛は敢えて自分の役割を放棄して見守っていたのだと。
「俺はイアンの家来には戻れない。あいつの言いなりにはなりたくない」
イアンとの仲を取り持とうというのなら、いらん世話だ。カオルは不快感を露わにした。
「でも、友人にはなれるでしょう?」
「無理だよ。イアンみたいに高慢で我が儘な奴とは」
「イアン様も努力されてると思いますよ」
「どうだか……」
忠兵衛の人の良い笑顔を見ていると、チラッとでも逃げようと思ったことが恥ずかしくなる。イアンを置いていく選択肢は忠兵衛にはない。例え自身が死ぬとしても。
カオルがそんなことを少しでもちらつかせようものなら軽蔑されるだろう。
風が止んだ。
鳥の鳴き声どころか、昆虫の営みすら感じられなくなった。山全体が張り詰めた空気に支配される。そこにいる誰もが二人を注視していた。
睨み合う両者。
一見、置物のごとくピクリとも動かない。視線も動かさず。互いに腹の探り合いでもしているのか。
タァアアアン!
先に地面を蹴ったのはイアンだった。
『は?』
カオルが驚いたのは人間では考えられない跳躍である。助走もなしに十キュビット(五メートル)は軽く飛んだだろう。一気に間合いを詰めて斬りかかった。
火花が散る。
キツい衝撃音。
どちらかの刀が折れるのではないかと思うくらい空気を震わせる。
思わずイザベラも小太郎も驚きの声を上げた。
「わー! イアンっ!」
「はっはは……イアン様、すげぇ」
天狗サイドからも歓声が沸き起こった。
当のイアン達は聞こえてるのかいないのか、激しく打ち合う。
火花が散るたび上がる歓声。
どよめき。
踊る残像。
風を作り風を斬る。
どちらも引かぬ。
力は互角。
より荒々しい音の後、二人はバチンと弾け飛び、再び睨み合った。
「なるほど。それはエゼキエル王の天国月読だな。三百年前にも戦った」
「今のこいつの名は弓だ」
「果たしてお前は刀に相応しい男かな?」
ニヤリ、太郎は酷薄な笑みを浮かべる。
刃を頭上に振り上げた。
攻め前提の構えに一同息を呑む。
斬りかかると思いきや、そのまま振り下ろした。
刹那──
見えない打撃が繰り出される。
突風だ。
突風がイアンを直撃した。
少し離れた位置にいたカオル達も煽られる。
直撃でなくても木々をなぎ倒すほどの強風だ。カオルは両腕で顔をガードしなくてはならなかった。
イアンはよろめいた。
その隙を逃さず、太郎が斬り込む。
イアンは辛うじて受ける。
アルコが悲鳴を上げる。
急遽、立て直した体幹は僅かな隙を生んだ。
太郎の刃が、さっきまでイアンの受けていた刃が転移したように見えた。いや、実際はしてないんだろうが、残像すら見えない速度で移動したのである。
刃はイアンの肩を貫く。
そこに肉など抵抗物がないかのように、するっと。
「あっ!!」
声を上げたのはカオルだった。
イアンは声すら上げない。
唇を噛んで飛び退くだけである。
また、大きく跳ぶ。
足にバネでも付いてるんじゃないかと思うぐらい。
カオルの心にある疑念が芽生えた。
「もしかしてさっき刺された所じゃないですか?」
どす黒い疑念は忠兵衛の言葉により、ほじられることなくそのまま放置されることとなった。
「ほら、さっき蓬莱の魔女と戦った時に触手で刺された位置と全く同じです」
──だから、刀はスッと入ったのか。それにしても
相当痛いんじゃないか、とカオルは思った。
イアンは全く落ち着いている。
アルコを青眼に構え、さっきと全く同じ顔で太郎を睨んでいる。
脂汗一滴流す気配もない。
肩から血が吹き出ているのに。
「くくく……降参してもいいぞ。トドメを刺して楽にしてやろう」
勝利へ先立った太郎がほくそ笑んだ。
あれだけのダメージなら、ほぼ王手ではないか。
「降参? 冗談だろ」
だが、イアンは平然と笑う。
強がってる風には全く見えない。
イアンの方から仕掛けた。
今度は跳ばず走る。
残像も残さぬ速度で。
またカオルには転移したように見えた。
気付いた時にはもう刃同士が甲高い悲鳴を上げている。
イアンは間断なく打ち込んだ。
怪我を負っている人間とは到底思えない。
今度は天狗達がイアンの攻撃に歓声を上げた。
それだけ派手で刺激的、人を惹きつける。
敵だろうが味方だろうが、強い者が評価されるのは騎士団と同じである。
「人間離れしてる」
カオルは呟いた。
「ええ。でも英雄とはそういうものです」
すかさず忠兵衛が返す。
イアンを見れば、微笑まで浮かべているのだ。ついさっきの突風で飛んできた小枝やら小石に傷つけられたのだろう。頬や首も細かい傷だらけなのにもかかわらず。
──楽しんでいる。戦いを
血塗れた狼
刃を舞わせ 死の舞踊る
見つめる先にあるのは
獲物の心臓
拍動 呼気 精気
命を全身で捉え
刃を突き出す
自らの命尽きるまで
「いっけぇーーー! イアン、そう……わあっ! そこだ! いけ!」
イザベラが興奮して叫び続けている。
周りの目なんか気にせず、夢中でイアンの立ち回りに見入っている。
『こいつは男に生まれた方が良かったのかもしれない……』
そう思うカオルも冷静さはとうにどこかへ置いてきてしまっていた。
刃の悲鳴は耳をつんざき、皮膚をひりつかせる。そこにいる誰もが目を奪われる。熱狂する。惹きつけて離さない。
それがイアン──
突如、空気は変わる。
連続的な攻防がハタと止まったその時──
時間が止まる。
呼吸も止まる。
アルコが煌めく。
シュッ……
音はいやにシンプルで呆気なかった。
吐き捨てた痰のごとく軽く、簡単に飛ぶ。
だいぶ前に散った落ち葉が今頃になってヒラヒラと落ちた。
支配するのは静寂。
飛んだのは首──
真っ赤な薔薇が咲いた。




