第二部後編 四十七話 天狗 カオル視点
(カオル)
瘴気が太陽を隠してしまった。
空は明るいので真っ暗闇ではないが、薄闇程度には暗い。
カオルにはイアンや忠兵衛が話している「気配」が分からなかった。
何となく気持ち悪い、薄気味悪い感じはする。この感じの内訳というか、細かい所がイアン達には分かるのだろう。
そんなことより、イアンやイザベラの態度にモヤモヤしていた。
『あんな言い方しなくたっていいじゃないか』
露骨に足手まといだ、馬鹿だ、ノロマだと罵られた。自分達のことは棚に上げて。
『そもそもイザベラがあの化け物の屋敷に泊まるって言い出したんじゃないか。それに魔法が使えなくなったのだって自分が不用意に出された物を食べたせいだし、魔法の札だってどれがどれだか分からなくなってるし……』
鬱屈した不満はパンパンに膨らんで心の中で噴出していたが、本人達に言う勇気はなかった。
『イアンも溺れ死ねば良かったのに。助けてやったそばからノロマだ、なんだと……』
イザベラの魔法の札で川が出現した時、溺れるイアンをカオルは反射的に助けてしまっていた。
礼を言ってきたのには驚いたが……
結局、イアンはイアンのままだった。
いつでも場の中心にいて支配するガキ大将。
奔放で自分勝手。感情の赴くまま動く。それでも皆に好かれる。どんな人であろうと虜にしてしまう。
身分を失おうともそれは変わらないのだ。
そして、カオルも結局は変われなかった。
強い者の影に隠れ自我を抑圧する。劣等感の塊。そのくせプライドだけは高い。
五年前、イアンの呪縛から逃れたと思った。
これからは自由に自分を出していけるのだと。だが、イアンがいなくなったことは単に後ろ盾を失っただけだった。
不利な環境では、どのみち卑屈に生きざるを得ない。カオルはそれを全て周りのせいにしていただけなのだ。
──兄上が不幸だと感じるのは自分が変われないからだ。それをユゼフ達のせいにして逃げているだけなんだ
死んだアキラが最後に残した言葉──
認めたくなくても頭の中でこだまする。
アキラの言葉が正しいということはここにいるイアンが証明している。
全てを失ってもなお、イアンはイアンなのだから。
「何をボサッとしてる? 集中しろ」
イアンが褐色の目で睨んでくる。
大きな三白眼。見るだけで人を威圧する。
この目が昔から嫌いだった。
「来るぞ……」
イアンが言うや否や、強い風が吹き付けた。
両腕で顔を防御する。
折れた枯れ枝が舞った。
バサッ、バサッ、バサッ、バサッ……
轟音に近いほどの羽音が連続して起こる。
ダモンのとは比べ物にならないぐらいの。
空から巨大な鳥が舞い降りてきた。
──鳥!?……いや、鳥人?
山伏のような着物を着ている。
山伏というのはエデンの山々を巡る修行僧である。丸い綿毛みたいな梵天のついた袈裟をかけ、錫杖※を持ち、頭にはちょこんと箱状の頭巾を載せていた。
足元は高下駄、あるいは鳥の足を剥き出し。一応五本指あるが、足の皮膚は細かい鱗で覆われ鋭い鉤爪を持っている。顔つきは鷹とか鷲の類だ。中には人間の顔をしている者もいる。
そして、皆一様に真っ黒な翼を持っていた。
「天狗だ……」
忠兵衛が呟いた。
何となく聞き覚えがある。
カオルは記憶の糸を手繰り寄せた。
『確か幼い頃、アナンの城で。乳母が話してくれた伝説の怪異……怪異と言うより、山の神に近い存在か。とても強い力を持つ。天上から地に堕とされた堕天使……』
見た目は鳥人だから、鳥人が魔人化した姿なのかもしれない。
一人、二人、三人……
次々と山伏の格好をした鳥人達が降りてくる。彼らの羽ばたきで木々が倒され、丁度よく場所ができていた。
間断なくやってくる空からの来訪者にカオルは絶句した。凄い人数だ。
こんな数の化け物相手に勝てるわけ……ない。
どの天狗も大柄で小柄なエデン人とは違う。腰がガクガクしだした。
「しっかりしろ! 剣を抜け!」
イアンはアルコを抜き構えた。
真っ直ぐに立つその姿から怯懦は露ほども感じられない。
イアンに続き、忠兵衛と小太郎も剣を構えている。
カオルだけが剣を抜けずにいた。
動きたくとも強張った身体は頑として動こうとしないのだ。
真正面に降り立った天狗は一番大柄で強そうな天狗だ。身長はイアンと同じくらいだが、重量感が違う。広い肩幅に厚い胸筋はイアンの二人分あるだろう。一人だけ錫棒ではなく帯刀し、手には大きな羽団扇を持っていた。
ふと、その天狗が背負っている刀に気付いた。
──安綱……蒼馬!!
父エンゾが持たせてくれた魔除けの刀……
婆さんの屋敷に忘れてしまった刀だ。
カオルは思わず凝視してしまった。
意図せず鋭い鷲の目と目が合ってしまう。
天狗は嘴を緩めた。
「まさかショウモン様の刀を持ってるとはな。我々もおいそれとは近づけぬわけよ。エデン平家は蓬莱の神々と契約しているはず。この地を決して犯さぬと。用もないのに蓬莱山へ立ち入らぬはずだが……まさかここに平家の者はおらぬよな?」
刀を返して欲しい──その一言が喉に引っかかり出てこない。カオルの出来る精一杯は目をそらし、一歩下がるだけだった。
反対に一歩前へ出たのはイアンだった。
顔を見れば、烈火のごとく怒り狂っている。
どう考えても圧倒的力差のある相手に対し、激怒しているのだ。
「言ってることが分からないが、貴様が持ってる刀は俺の仲間の物だ。盗っ人が偉そうに話すんじゃない。現れたのならまず名乗るのが道理だろう。この馬鹿鳥が!」
罵った。
イアンにとって相手の強さや頭数より、刀を盗まれたことの方が重要なのである。
天狗はしばし唖然としていたが、やがてけたたましく笑い始めた。
強い邪気が空気をビリビリ震わせる。
振動が直接頬に伝われば痛みすら感じる。
皮膚を切るのではないかと思えるぐらい鋭い。イアン以外は皆萎縮した。
「人間風情が……我に名乗れと……はっはははははははは……」
「おかしいか? 俺はまともなことを言ってるだけだがな」
「……人間……ん? お前、なんか違うな」
天狗が笑うのを止めた。
猛禽の目が鋭くイアンを捉える。
「魔力を封じ込めているようだが、魔人?……少々光の民の気配も入っているが……なんか不思議な奴……まあいい」
その天狗、カオルの刀を持った首領と思われる天狗は声を張り上げた。
「我こそは鞍馬山僧正坊が末裔、蓬莱山太郎坊である! 聖なる蓬莱山に立ち入るならず者はこの太郎が成敗してくれる!!」
咆哮に近い叫びは山を揺るがした。
木々は折れんばかりにしなり、隠れていた鳥共が飛び立っていく。
イアンの肩にいたダモンもこれでもかってぐらい縮こまっている。閉じた羽の中に頭を押し込み、いつもの半分くらいの大きさまでに。
イアンは全く怯まなかった。
「ふん、偉そうにたかが鳥風情が」
「愚弄する気か。八つ裂きにするぞ? だが、その前に名前ぐらいは聞いてやってもいい」
「いいだろう」
イアンは大きく息を吸い込んだ。
「我が名はイアン・ローズ。親友と亡き母のため、蓬莱の水を得るために来た。邪魔立てする者はどんな奴だろうが斬る!」
カァー、カァ、カァ……
鴉が一羽、近くの枝から飛び立っていった。まだ残っていたのだ。普通の鳥が……
天狗どもは呆気にとられている。
幾ら偉そうにしていても人間だ。
余りにも怖いもの知らずで驚いたのだろう、そうカオルは思ったのだが……
「驚いた。イアン・ローズだと?」
どうやら驚いているのは違う理由のようだった。
天狗達の首領と思われる蓬莱山太郎は鋭い猛禽の目をまん丸にしている。
「我ら天狗は山伏や神社、平家との交流もあり、人間社会にも通じておる。だから、謀反人イアン・ローズのことも知っている。確か五年前、魔国で死んだと……」
「あいにく、死に損なってな」
イアンは八重歯を見せ自嘲した。
太郎は驚きを隠せずにいる。
「表向きは現宰相ユゼフ・ヴァルタンが倒したことになっているが、実際は英雄ダリアン・アスターが倒したのだと」
「どちらも間違いだ。言っとくが、アスターの爺より俺の方が強いからな? そのアスターもこの山に来てるはずだが会ってないか?」
「なんと!」
天狗どもが俄かに色めき立った。
アスターの名は魔物達にまで知られているということか。
英雄が……あの英雄がここに来たのかと。
魔の集団を高揚感が包み込んだ。
そんな中、一人の天狗が太郎に耳打ちした。
太郎の顔がみるみる内に変わっていく。
それまで好奇心だけ膨らませていたのが、興奮状態へと。凛々しい猛禽の顔には何とも言えぬ笑みが浮かんでいた。
「もしかして鵺を倒したのはアスターか。こんなことはエゼキエル王以来だ」
「まあ、実際会ってみるとクソジジイだけどな。アスターとやり合いたきゃ、まずこの俺を倒せ!」
カオルにはイアンの行動が信じられなかった。
化け物相手に喧嘩をふっかける。
命乞いするなら分かるが。
太郎はニヒルな笑みを浮かべた。
冷たくゾッとするような笑顔……
顔が猛禽だからそう見えてしまうのかもしれない。
「いいだろう。勝負してやってもいい。ただし、後ろに控えてる連中は手出しするなよ。一騎打ちだ」
「当然だ。俺が勝てばその刀は返してもらうからな?」
イアンの肩からダモンが飛び立つ。
放たれる殺気──
こちらも余裕の笑みを浮かべている。
※錫杖……杖の頭に大環が付いており、その大環には六つの小環がかけられている。




