第二部後編 三十三話「繋がる」より シャウラのエピソード③
(シャウラ)
北の旧ローズ領にて活動を活発化しているヘリオーティス。現在、旧ローズ領はほぼディアナ女王の支配下にあった。
ヘリオーティス──労働者の地位向上、貧富の差をなくすなどと謳っているものの、本質はならず者の集まりである。
暴力を好み、嗜虐的で残忍。
差別思想が原動力の憎悪の塊だ。
この異常な団体に潜入し、内部の情報を報告する、それがシャウラに課せられた試練だった。乗り越えた先に待っているのは騎士団への入団。
「もし見つかったらガキだろうが、拷問されて殺される。奴らのやり方はえげつないぜ? そんだけ危険な仕事だ。そんでもやれるっつうんなら任せるが……」
騎士団の面接役だったティモールはシャウラの真意を確かめるべく、鋭い視線を投げた。
シャウラも臆さない。
命を張る、張らないはまだよく分からなかったが、あの人への憧れは本物だ。
誰かを助けるためには燃え盛る炎の中、飛び込む勇気が必要なのかもしれない。
あの人、サチ・ジーンニアのように。
目を反らさないシャウラに対し、ティモールは満足げに頷いた。
†† †† ††
そして今、卑猥で醜悪なチラシが腕の中にある。亜人を保護する王とその王妃になる予定だった王女を貶める風刺画……
民衆から圧倒的支持を集めるシーマ国王はヘリオーティスの最大の敵である。
国王と敵対するディアナ女王が彼らの主君だ。
『大事な話をするって言ってたな』
エッカルトとグレースの部屋を出た後、シャウラは少々大袈裟に足音を立てた。
階段まで来て、今度は降りる音を演出。大きな音から次第に音を小さく……だんだん遠ざかっていくように。
階段を降りる音がすうっと消えていく所まで演出すると、足音を立てずに部屋の前まで戻った。
ドアはほんの僅かだけ開いている。
さっき「ガチャリ」とわざとらしい音を立ててから少しだけ開けておいたのだ。音は出さずにごくごく僅かだけ。
羽虫がやっと通れるくらいのその隙間から話声は漏れていた。
「……だからぁ……くくく……」
「あたいは……から……いいね?」
シャウラは顔を近付ける。
呼吸は浅く身じろぎせずに。
衣擦れの音すら命取りになる。
煙管から上る煙が細い隙間から漂ってきた。吸っているのはグレースだろう。
煙はシャウラの鼻腔を通り喉まで降りてくる。喉に違和感を感じ咳き込みそうになる。シャウラは唾液と共に煙を飲み込んだ。こめかみを冷たい汗が流れていく。
途切れ途切れに聞こえる彼らの会話に耳を澄ませた。
──何、言ってんだよぉ? そんなん危険過ぎる
──危険なものか。シーマはもうおしまいだよ。毒盛られて、おねんねなんだから。
──だったら、ほっときゃいいんじゃねぇの?
──シーマが死んでディアナ様が政権を握った後のことさ。賢しいアスターのことだから、国外へ逃げて復讐を目論むに決まってる。そうなる前に芽を摘んどくんだよ
──しかしなぁ……
──何も殺す必要はないよ。あんたも右目を奪われた報復が出来るしな。
──仕返しは勿論するつもりだよぉ。どんな卑劣な手を使ってもな? あいつは絶対に許さねぇ
──アスターの妻は三十くらいか、あんた好みの肉付きいい美人だよ。娘も母親似で可愛いって聞いてる。
──でへへへ
──女二人を辱めてやるだけさ。従僕がしつこく抵抗した場合はヤっちまえばいい
──しかし、証拠にならないよう俺らの仕業だって暗に知らせるんだろぉ?
──そこら辺は……まあ、任せときなって
──でぇ、アスターが怒り狂ってこっちの領域に入った時が年貢の納め時ってわけだぁ
──だな。周到に準備せねば。それと、ディアナ陛下には知らせないでおく
──なんでだぁ?
──失敗した時、ご迷惑がかかるだろ? あたいらヘリオーティスの存在を匂わせつつ、あくまで暴漢に襲われた風を装うんだよ。上手くいきゃ、ディアナ様も助かるし、あたいらの待遇も良くなるってもんさ
──なるほどなぁ……ん、どうした? グレース?
突然、会話が途切れた、と……
ダンッ!!
鋭い振動──
シャウラが体をくっつけていたドアはブルルッと震えた。何かが反対側で突き刺さったのだ。
喉まで出かかった叫び声をシャウラはグッと飲み込んだ。
──げっ……グレース、ナイフッッ!!
──鼠かもしれねぇ
グレースが呟いた時だった。
それはまさに天の救いだった。
外から派手に瓶を割る音と怒鳴り声が聞こえてきたのである。治安の悪い地域では日常茶飯事。喧嘩だ。
シャウラは騒がしい音に便乗してその場を離れた。
なるべく音を立てずに走って、走って、走って……
階段を転げ落ちるように降り、裏戸を開けて外へ出た。正面に面している彼らの部屋からは見えないはずだ。
しばらく走り続ける。息が続かなくなるまで出来る限り遠くへ。抱きしめたチラシは何枚か落としてしまったかもしれない。
倒れそうなぐらい走った後、道端にへたり込んだ。薄汚れた住宅が建ち並ぶ路地裏だ。早くティモールへ知らせなくては。
でも、どうやって??
二日前、ヘリオーティスが王都に入ったと知らせたばかりだった。
使い鳥のエイドリアンは海の向こうエデンにいる。
鳥の飛行速度が優れているとはいえ、虫食い穴を駆使した上、船で二週間かかる場所だ。
それにアニュラスの穴──大陸の中央に空いた広大な海は横断できない。
詳しい理由は分からないが、無限空間と繋がっているために海からも空からも渡れないのだ。虫食い穴を使わず、無理に突っ切ろうとすれば、時空の狭間に飛ばされ永遠に戻れない。
そういう訳で、エイドリアンは迂回しているに違いないのだった。
輪型の大陸の内側をほぼ半周することになる。距離にして五万スタディオン(一万キロ)、エイドリアンは時速千スタディオン(二百キロ)くらいか。エデンと王都の間を往復一週間で帰ってこれるかは難しい所だ。
『一体、どうやって知らせればいいんだ』
呼吸が落ち着くにつれ、頭の中も冷静になっていく。エイドリアンが戻るのはさっきいた宿屋の一室だ。あそこにいなければ、ティモールと連絡取れない。
このままシャウラが逃げた場合、彼らは計画を変更するだろう。そうなれば、ティモールに知らせた所で意味はない。
シャウラは必死に思考を巡らせた。
彼らが盗み聞きされたと確証を得た可能性。聞いたのがシャウラだと気付いた可能性。
宿屋の裏口には誰もいなかったし、正面の喧嘩に人は集まっている。誰にも見られてないはずだ。
腕の中のチラシへ視線は落ちていった。
チラシを宿の階段に落としてなければ、盗み聞きの犯人にされないかもしれない。
『確か、千部あるって言ってた』
シャウラはチラシを数え始めた。
何枚か落としてるかもしれないが、どこに落としたかで状況は変わってくる。
……チラシの枚数は九九六。
やはり落としている。足りないのは四枚。二回数え直しても同じ。
シャウラは人目に注意しつつ、通った道を戻り始めた。
まず道端にチラシが一枚落ちているのを見つける。次は古びた建物の外壁に張り付いているのを。三枚目は……拾ったのだろう。酔っ払いがブツブツいいながら、手に持っていた。
一 …… 二 ………… 三……
『あったっ!!!』
思わず小声で叫んでしまった。
路地を少し入った所に置かれたダストボックス。その取っ手に醜悪なチラシは引っかかっていた。落とした最後の四枚目。風で飛ばされたのが運良く留まっていたのだ。
紙がよれて王の顔は一層嫌らしく歪む。ギュッと握り締めれば、手の中で潰れた。
──知らせなければ
連中は無辜※の人を、英雄アスター卿の夫人と娘を辱めようとしている。あってはならないことだ。
──絶対に止めなければ
シャウラは強く思った。
真面目にチラシ千部を配った後、シャウラはヘリオーティスが待つ宿屋へ戻った。何食わぬ顔で小遣いを受け取った後、宿を出て走る。
走って、走って、走って……
目指すは王城──夜明けの城。
使い鳥エイドリアンは当分戻ってこない。ティモールへの連絡は諦めた。
この間者の仕事は騎士団偵察部の仕事だと、ティモールはそう言っていた。ならば、その偵察部の隊長に直接伝えればいい。
※無辜……罪のないこと。




