第二部後編 三十三話「繋がる」より シャウラのエピソード①
まだ八歳の少年だったシャウラ。
彼もまた、サチに救われた内の一人。
──弱き者のために、自らが火へ飛びこむ
それを目の当たりにした少年が実際にいたのである。
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(シャウラ)
※第一部前編「52話 救出」より。
平穏な日常に恐ろしい悪魔が現れた。
機械兵士──
火を噴き、グラディウスを振り回す。
天幕は焼かれ、帳場※のテーブルは叩き割られた。
買い物を楽しむ人々で賑わっていたバザールは一瞬で地獄と化したのである。
それは五年前の出来事──
シャウラは母に連れられ、バザールに来ていた。
白っぽい日干し煉瓦で作られたドームが回廊を覆うバザールは、シラーズの観光名所でもある。主国最大級の商業施設は迷路のように入り組んでおり、大人でも迷子になるぐらいだ。いつでも縁日のようなこの場所がシャウラは大好きだった。
その日も大勢の人で賑わっていた。
シャウラは母に木剣をおねだりするつもりだったのだ。母は更紗※のドレスを買いたいと言いつつ、金細工の店に寄り道している所だった。
突然、何かが割れる音、怒号、金切り声が一度に聞こえてきて……辺りは煙に包まれた。
一瞬の出来事である。
至る所、真っ白になり、煙を吸い込んだシャウラは激しく咳き込んだ。
つい数秒前に遠くから聞こえた人々の悲鳴が今は耳元で聞こえる。
訳がわからなかった。
金切り声に近い悲鳴や駆ける足音。
誰かが倒れる音。怒鳴り声や泣き声。
誰かがぶつかってきて、何度も吹き飛ばされそうになった。
煙は嗅いだことのない嫌な臭いだ。
喉は痛いし目から涙が止まらない。鼻水も出てくる。シャウラは気持ち悪くなり、母の手だけは離すまいと夢中で握りしめた。
気付けば、握りしめた母の手が妙に重かった。鉛のようにずっしりと……
煙がサアアアっと晴れた時、シャウラは目を疑った。
必死で握っていた手の先に母はいなかったのだ。握っていたのは母の腕だけ……
母の肘から先は煙と一緒に消えてしまったのである。
八歳の少年には何が起こったのか全く分からなかった。
ただ、ただ、心を支配したのは圧倒的恐怖──
カタ…カタタ…カタタタタ…カタカタカタ……
聞き慣れない音は目の前から。
降ってわいたように現れた灰色の戦士からだ。
そいつがオートマトンだった。
落書きみたいな顔に全身くすんだ灰色をしている。手に持っているのは古びたグラディウス。まん丸な目はシャウラを捉えていた。
──動けない
「危ない!!」
いきなり突き飛ばされたと思ったら、今度は爆風に吹き飛ばされた。
どんな音だったかは覚えていない。
衝撃の方が強すぎて、バーン!だったかドーン!だったか、はっきりは分からないのだ。
間違いなく言えるのが、しばらく音を失ったってことだけ。
助けてくれた娘はマリィと名乗った。
太股から血をダラダラ流したマリィは、煙の来ない場所へシャウラを連れて行ってくれた。
マリィの顔を見たシャウラは気抜けして泣きそうになった。だが、まだ泣く所ではない。防衛本能が作動し、シャウラは涙をグッとこらえた。
シャウラ達を襲ったオートマトンは自爆して消えたが、他にいる可能性は否定できない。
逃げ惑う人すらいなくなったバザールの中をシャウラとマリィは死人のようにフラフラ歩いた。出口を目指し……次第に煙は濃くなっていく。
実際の時間はどうだったか……
シャウラの中ではほんの僅かな時間だった。起こったことを解する余裕はなく、楽しいショッピングは刹那に地獄絵図と化した。
沢山いた買い物客は腕だけになった母と同様に消され、後に残るのは亡骸とうめき声──
絶望の中、シャウラとマリィはひたすら出口を求めて歩き続けた。一縷の希望だけを追い求め……
だが、すぐに過酷な現実を突き付けられる。
火は猛烈な勢いでバザールを食らい、汚れた息を吐く。吐き出された灰色の噴煙は膨張し、全ての場所を浸食しようとしていた。
とうとう、シャウラ達は前も後ろも煙に挟まれ、身動き取れなくなってしまう。
二人が逃げ込んだのは、とある青果店の天幕。ここなら多少、煙の猛襲を防げる。
一時の安堵──
マリィの顔はどんどん白くなっていくし、煙はどんどん濃くなっていく。
天幕の中でシャウラは震えるしかなかった。
そんな時に「彼」が現れた。
──サチ・ジーンニア
その名はシャウラの脳裏に焼き付いた。
あのまま火に飲まれ、死んでいたはずのシャウラとマリィを助けてくれたのである。
黒髪、澄んだ黒い瞳。
シャウラの育ったシラーズでは見たことのない顔立ち。どこか異国的で中性的でもある。吟遊詩人の歌に出てきそうな……美男子だと思った。
彼はマリィを背負い、シャウラの手を引いて煙の中へ突っ込んだ。
彼の逞しい腕の感触をシャウラは今でも忘れられない。身を挺して危険も顧みず、シャウラ達を救ってくれたのである。
英雄とはまさに彼のことだ。
この五年間、憧憬の念が薄れることはなかった。
──成長したら、あの人のお側に仕えたい!
ずっと、思い続けていたのである。
それなのに……
シャウラは正面にいるガラの悪い金髪坊主を見た。金髪坊主の右目は眼帯に覆われている。一方、左目はキョロキョロ動いていた。軽薄な青い瞳──これは悪巧みしているときの顔だ。
シャウラが今いるのは王都スイマーの下町。寂れた宿屋の三階である。
二日前からこのならず者御用達の宿屋に滞在していた。
『やばっ……目ぇ合った』
機嫌が悪い時に目が合うと、ど突いてくるから注意が必要だ。
だが、金髪坊主はニッと笑った。
幸い機嫌は良かったようだ。
「シャウラぁ……ひと仕事やんぞぉー。てめぇの仕事はチラシ配りだぁー」
チラシの束を渡された。
チラシには卑猥な絵が描かれている。
下半身丸出しにした銀髪の王と狼の獣人。
王は獣人に一物をしゃぶらせている。その足下にはティアラを投げ出した全裸の姫君が……苦悶の表情で血反吐を吐いている。恐らくこれは亡くなったヴィナス王女だろう。銀髪の王は言わずもがな……
見るに耐えない風刺画だが、これを全部配らなければ今日の飯にありつけない。
「ウケんだろぉ、これぇ……グレースが描いたんだぜぇ」
グフグフと下品な笑い声を立てる。
この金髪坊主の名はエッカルト・ベルヴァーレ。一言で言えば、糞野郎。
「お前の配る分は千部だよ。もう給仕はいいから、さっさとチラシ配りに行きな。あたいとエッカルトは大事な話があるんだ」
鉛管から煙をくゆらせながら、エッカルトの向かいに座る女がまくしたてた。
緑の瞳に金髪。
適度に膨らんだ唇と適度な大きさの目と鼻。男の理想をそのまま形にしたような愛らしい顔立ち。整然とした顔立ちとは反対に、ムチムチした体つきは少々下品な印象を受ける。
息を飲むほどの美女だが、愛用のネックレスを見れば誰しも凍り付く。
首に下げたそれには干からびた性器や鼻、唇、眼球、舌などが連なっている。彼女が拷問で殺した亜人の物である。
彼女はグレース。
一言で言えば、アバズレ。
エッカルトの相棒だ。
彼らはヘリオーティス。
貧しき者の味方、労働者階級の地位向上を目指すレジスタンス。
この国を汚染する害悪、亜人を排除する活動をしている。
シャウラは一礼して部屋をあとにした。
──どうしてこんなことになったのか?
こんなクズどもと一緒にいる理由は?
きっかけは今からちょうど三カ月前にさかのぼる──
※帳場……カウンター
※更紗……草木などの文様が染められた布地




