第二部後編 二十六話「小太郎の人生」小太郎視点④
数分後、小太郎は青ざめた顔の同僚、石川二郎を見下ろしていた。
刀の重量を感じながら、不思議とヤれる気がしている。
勿論、石川に対して哀れみを感じずにはいられない。だが、それよりも白刃で人を斬る、その行為に対する興味の方が上回っていた。
西日を浴びて銀色に光る刃は美しく、それでいて妖しげだ。
刀というのは不思議なもので、持っているだけで自分が強いような錯覚を覚える。
帯刀するようになってから、本物の侍みたいに格好良く斬ってみたいと思っていた。
……何を? 具体的には想像してなかった。でも、斬るとしたら一つしかないじゃないか──
人間だ。
土方が合図し、石川は震える手で脇差しを構えた。
静寂の中、一瞬で空気が変わる。
空間がフツ……と切れたかのような……奇妙な感覚。
音は聞こえなかった。
代わりに聞こえたのは、蛙が潰されたみたいな呻き声だ。
同時に石川の体が傾いた。
腹にちゃんと刺さっているか、背後からはよく見えない。石川の体は倒れそうなぐらい前のめりになっている。
くぐもった呻き声だけが小太郎の鼓膜を刺激し、それがしるしになった。
小次郎は刀を大きく振りかぶった。
──あれから何人斬っただろうか
沖田の言う通り、一度骨肉を断てば、次から何の抵抗も無くなった。
とは言っても、巨大な芋虫を潰した後のようないやーな感触はしばらく残ったが。
初めての時、嘔吐する者もいると聞いて、「なぁに、大袈裟な」と思っていたのが納得できた。
幸い、血の臭いに関しては問題なかった。死体の処理で慣れていたのである。
──オラは何も分かっちゃいなかったんだ。近藤先生がやれ、攘夷だ、公武合体だ、なんて言ったところでちっとも理解してねぇ。難しいことは思考停止してた。ただ、強くて格好いいあの人についていけば、自分もいつか本物のお侍みてぇになれると信じて……ただ信じてたんだ
腹を押さえていると、温かい血がかじかむ手をほぐしてくれる。外気に触れた血はすぐ冷たくなった。
──こりゃあ、血も凍るかもな
凍死するか、出血多量で死ぬか……
どちらにせよ、長くは持つまい。
死を目前にして、停止していた思考が動き出した。今まで露ほども考えなかった疑問が次から次へと浮いてくる。
あの時、何故石川は死なねばならなかったのか? 芹沢先生達は誰が殺したのか? 山南先生は何故? 伊東先生、藤堂さんは?
小太郎は暗い空を仰ぎ見た。
月はいつの間にか隠れている。
──まるで、獣じゃった
血に飢えた獣。
主人の意のまま、殺戮するだけの獣だ。
見上げた先にあるのは、穢れを知らぬ白い梅花。闇の中、浮かび上がる可憐な花はただ清らかで、物悲しかった。
冷たい頬が濡れる。生暖かい涙で。
小太郎は梅の花に顔を向け、泣いていた。
と、濡れた頬に何か落ちた。
一つ、二つ、三つ……
白い花弁がヒラヒラと舞いながら落ちてくる。闇の向こうから、幾つも、幾つも……
花弁というには脆く、そして冷酷だった。
──ああ、雪じゃ。雪が降ってきたんじゃ
小太郎の想いに呼応して、雪が降り始めたのだ。
チラチラ舞っては消える。儚さは美しい。なぜだろうか。心に呼び掛けてくる……そんな気がした。
小太郎、小太郎……
お前、何か忘れとるじゃろ? 大切なことじゃ。ほれ、まだお仕舞ぇじゃねぇ……
小太郎はアッと小さく叫んだ。
帯に手をやると、それを確認する。
『何か困ったことになったら、開けてみろと。お前の本当のおっ母から預かった物じゃ』
養父の言葉が頭の中でこだまする。
小太郎は血に濡れたそれを帯からむしり取った。
御守り──
元は褐色だったのが、今は一体何色になっているのだろう。暗いから分からない。
自分を捨てた実母が残した唯一の形見。家を出る時に養父が渡してくれたのだ。母はこのお守りと沢山の金子を置いてった。銭がなけりゃ、養父母は小太郎を育てたりしなかっただろう。
でも、どうして? 銭があるのに捨てたのだ? 実母に対する不信感は成長するにつれて強まっていった。
母は、身分高く裕福な家の娘だったのかもしれない。望まぬ相手との間にできた子供は嫁入りの邪魔となる。それで、自分は捨てられたのだと、小太郎は思った。
或いは遊女。花魁とか芸者。客に夷狄がいたのかもしれない。子供がいたんじゃ、仕事にならないし、身請けもしてもらえない。だから捨てたのだと。
不潔、だと思った。
それと同時に抑えようのない愛着も湧く。小太郎は母の愛に飢えていた。
困った時に開けろ……実母が小太郎に残した言葉はそれだけだった。
こんな物!……と思う気持ちもある。
しかし、そんなひねた気持ちは大きな期待の前では塵のように蹴散らされた。
小太郎はかじかむ手を懸命に動かし、御守り袋をこじ開けた。
ビリビリッ……生地の破ける音がした瞬間、目の前が白くなる。
思っていたのとは違う。
傷が立ちどころに治ってしまうとか、豪傑が現れて助けてくれるとかではなかった。
現れたのは光だ。
小太郎は目を細めながら自嘲する。
──そうじゃ、オラは牛若丸じゃねぇんだからな。弁慶が助けに来てはくれねぇか
辺りは眩い光に満たされていた。
虹色の……様々な色が混じり合った光。
きっと、天国はこういった光に満ちているのだろう。
小太郎は驚かなかった。
助からないのは分かっている。痛みからようやく解放されると安堵した。
──いよいよ、迎えが来たか
瞼を閉じ、小太郎は光に身を任せた。




