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第二部後編 二十六話「小太郎の人生」小太郎視点③

 境内に覆い被さる影がある。

 拝殿の脇に植えられた梅の木が好き放題に枝を伸ばしているのだ。

 真っ白な花はポツポツと開き始めたばかりで、甘い微香を漂わせていた。

 可憐な花は闇の中で淡い光を発している。



 ──今年、初の花見じゃ。もう最後じゃけどな



 梅の香りは寒さを少しだけ和らげた。

 小太郎は腹の傷に響かないようにゆっくり浅く、香りを吸い込んだ。



 ──初めて人を斬ったのは、いつじゃったか




 壬生の八木家に寝泊まりするようになってから、三カ月ほどが経った。

 御所の警備に出向いたり、死体の片付けをしたり、他には家畜の世話、日々の稽古、掃除、諸々の雑用等……忙しい毎日を送っていた。

 

 死体の片付けというのは、隊則に背いて(私闘や密通など)切腹になった者や病死した者、外で殺された遺体を引き取り、荼毘(だび)に付すのである。


 嫌な仕事だった。

 想像していたのとは全く違う生活に嫌気がさしていた。

 華やかな都で英雄的な働きをする自分を夢見ていたのに、地味で味気ない毎日。


 唯一の救いは、食事に困らなかったことと手当金を貰えたことだ。

 毎月三両もの大金が貰えるのは嬉しい。だが、違和感を感じずにはいられなかった。

 


 ──これじゃあ、侍でなくて商人だべ



 小太郎が追われる毎日に悶々としている間も、事態はコロコロと変わっていた。


 芹沢鴨と新見錦、平山五郎らが亡くなり、試衛館の近藤勇が筆頭局長、土方歳三が副長となる。局中法度が整備され、名も壬生浪士組から新撰組へと改められた。


 最も小太郎にとっては、訳の分からない怖そうなオッサン達がトップにいるより、気心知れた試衛館の面子が君臨する方が有り難かったが。

 


 そんなある日のこと。

 突然近藤に呼び出された。

 小太郎は屋敷の奥にある近藤の部屋へと。緊張した面持ちで向かった。

 

 近藤の部屋は八木一家の居住場所に隣接している。

 屋敷を新撰組に提供している八木一家は、奥の一画で暮らしていた。

 

 この屋敷の主、八木源之烝は優しそうな好好爺だった。

 家の物を貸せと言えば快く貸してくれ、柱に傷を付けようが困った顔をするだけ。


 毎日毎日、木刀の打ち合う音と怒号が飛び交う。京都守護職御預かりと大層な事を言っても、出所不明の乱暴者の集まりだ。内心では泣いていたかもしれない。


 回り廊下を歩いている時、庭で八木家の子供達が遊んでいるのが見えた。

 その中に頭三つ分飛び出している子供が……いや、沖田総司がいた。


 子供らと楽しそうに駒を回して遊んでいる。稽古以外では意外にひょうきんで能天気な男なのである。


 目が合った。

 小太郎は慌てて一礼する。



「おや? 蟻通。近藤先生の所かい?」


「ええ……」



 不安そうな顔付きの小太郎を尻目に、


「よし、暇だし私が付き添ってやろう」



 そう言うと、草履を脱いで廊下に上がった。


 にっこり破顔し、白い歯を見せる様は面白がっているように見える。

 緊張が和らぎ、小太郎は沖田と雑談しながら近藤の元へ向かった。



「子供……好きなんですね」


「ああ、嫁を貰ったら十人くらい産ませたいと思ってる。私があいつらぐらいの時はな、もう修行、修行の毎日であんな呑気に遊んでなんかいられなかったんだ。だからさ、のびのびと遊んでるのを見ると、羨ましさから一緒に遊びたくなってしまうのさ」



 小太郎も種類は違えど、孤独な幼少期を送っている。飄々と話す沖田に親しみを覚えずにはいられなかった。



「でも、今は嫁がどうの言ってる場合じゃない。不逞浪士が彷徨(うろつ)くこの物騒な京で治安を守っていかなきゃならんし。公儀のため、ひいては天子様のために。悪い奴らを斬って斬りまくらねば……まだまだ私もお前も精進の途中だ」


「沖田先生くらい強くても、精進……ですか?」


「何を言う。人間、努力を止めたら落ちていくだけだぞ」




 話している内に着いた。


 部屋に通されると、奥に厳めしい顔の近藤、その少し手前に副長の土方歳三が座っていた。



「あ、私はただの付き添いです。蟻通ったら、怒られるんじゃないかとビクビクしてるから気の毒になって付いて来たんですよ」



 沖田の物言いに近藤は相好を崩した。

 大口を開けて、カッカッカッと豪快に笑う。

 以前から豪放で男気のある人だったが、最近一層立派になった気がした。



 ──近藤先生、やっぱり格好ええな



 小太郎は安堵し、憧れの目を近藤へ向けた。


 ゴホッ ゴホンッ……

 不意に咳払いをしたのは脇にいた土方歳三だ。そして、



「蟻通! おめぇ、働いてねぇな?」



 開口一番に発した言葉がそれだった。

 小太郎は愕然とするやら、屈辱やらで言葉を失った。精一杯の抗議は土方の端正な顔を眺めることしかできない。


 毎日毎日、息つく間もなく忙しいのに……働いてない、とは!?



「オイ! 何か答えやがれ! このデケェだけのウスノロが! 給料泥棒が!」



 土方の口汚さには慣れている。

 土方は美しい顔立ちには不釣り合いなほど、言葉使いが下品だった。



「蟻通、土方さんが仰ってるのはさ、まだお前は人を斬ってないだろ?……っていうことだ」



 横にいた沖田が教えてくれた。

 そうか、刀を腰に差して侍のような格好を許されているが、まだ人を斬ったことはない。妙に納得する。



「俺達は斬ってナンボだ。いいか? お(めえ)に機会を与える。まずは介錯だ……」



 土方が言うには、石川二郎という隊士が今から切腹するから介錯をしろ、と。

 年の近いこともあって、石川と小太郎はよく話した。陰気な小次郎にも分け隔てなく話しかけてくれる、明るく気さくな男だ。

 

 その石川が町家の人妻と密通していたかどで捕らえられ、切腹を申し付けられたと言う。

 確かに法度には「士道に背くまじき事」とあるが……

 隊士が増え、よく分からぬ不良浪士も受け入れたために作られた局中法度である。


 元々犯罪行為を自ら取り締まるために作られたもので、よっぽど酷い事をしなければ処罰されない……そう思っていた。実際逃走した者を追いかけることはなかったし、私闘……喧嘩も見て見ぬふりをする事が多かった。


 石川の場合はどう考えても微罪だ。

 見逃されている者も沢山いる。


 そんなの不公平じゃないか──と小太郎は思った。



「えっ、で、でも……」



 思わず言いそうになり、口ごもる。

 沖田に脇腹を突かれたのだ。



「石川は監察方が西郭(にしぐるわ)に連れて行った。今から行くぞ」


「へ!? 今から!?」



 余りに唐突で再び絶句する。

 キツい土方とは相反して、近藤は励ますように、



「蟻通、何事も経験だ。怖がってちゃあ、何も始まらない。ヤるんだ、ヤるんだよ。そうだ、その時は前触れなしに訪れる。男なら、ヤれと言われたらヤるんだ」



 すると沖田も、


「近藤先生のおっしゃる通りだ。一度、肉と骨を斬る感じを覚えれば、次からはもう普通になる。お前は後一歩、足が前に出ない状態だから、近藤先生が膳立てて下さったのだ。なぁに、心配ない。討ち損じた場合は私がヤってやる」



 と、追い打ちをかける。


 小太郎は後に戻れなくなってしまった。ここで「無理です」と断れば、おまえには向いてないってことになる。田舎に帰れと追い出されるだろう。


 算盤が得意だとか、火器の取り扱いに詳しいとか、営業能力に優れているとか……他に特殊能力があれば別だが、小太郎には何もなかった。




 数分後──

 小太郎は青ざめた顔の同僚、石川二郎を見下ろしていた。

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