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第二部後編 二十六話「小太郎の人生」小太郎視点②

 その日、小太郎は緊張していた。


 寺の稽古場に偉い先生が来る。

 期待に胸を膨らませてもいた。弱い奴ばかりで張り合いのない毎日から脱却できるかもしれない。



「天然理心流?」



 同じく寺に通う同年代の少年に小太郎は問い返した。流派の名は聞いたことがなかった。



「江戸から来るんじゃ。きっとすげぇよ」


「そうなのか? 聞いたことねぇけど」



 何でも江戸の試衛館という道場から来るらしい。ややこしいことはよく分からないが、その流派の宗主、一番偉い人が見に来るとのこと。


 小太郎は早めに身支度を整え、稽古場へと向かった。


 本堂と東西に建てられたお堂が稽古場を囲んでいる。その日は本堂側に天幕が張られていた。

 天幕の中には少しだけ怖そうな爺さんと体格のいい若者が三人、床几に座っているのが見えた。若者の内、一人だけ総髪でそれ以外は綺麗に月代を剃っている。

 

 日光を反射する青々とした頭頂部は格好良かった。



 ──ええなー。ホンモノのお侍様じゃ



 あんまりジロジロ見ていると、若者の内の一人と目が合った。

 ハッとして下を向く。

 

 その時、寺の先生が、


「始めるぞ!」


 と言った。



 小太郎達は二人一組になり、打ち合い稽古を始めた。


 いつもは素振りから練習を始める。

 最初から打ち合うのは、偉い先生が来ているからだろうか。


 小太郎の相手は馬之助と言って、ここら辺では名の知れた豪農の息男だった。

 親が御家人株を買取り、最近では帯刀して(たぶさ)も武士風に大きく結っている。


 寺に通い始めた当初、意地悪をしてきた子供がこの馬之助だった。

 親無し子じゃ、夷狄の血が入っとる、だから異様にデカいんじゃ、と。


 この馬之助を中心に村の子供達は小太郎を避けるようになったのである。

 確かに十を超える頃には大人よりデカかったし、十五の時分には六尺を超えそうだった。


 夜中、誰かと行き会えば、化け物だと思われ全力で逃げられる。

 青白い顔はソバカスだらけで唇だけ妙に赤い。夷狄の子じゃと言われても仕方なかった。



「おい! ぬりかべ!」

 


 打ち合いを始める直前、馬之助は小太郎を屈辱的なあだ名で呼んだ。指をクイクイ動かして近くまで来るよう合図する。

 言う通りにすると、



「おめぇが負けろ。負けたら、若衆組※に入れてやる」


 と耳打ちした。



 小太郎は村の若者であれば必ず入る若衆組に入れて貰えなかった。組に入ってなければ、祭りの参加も出来ないし女子(おなご)と遊ぶことも出来ない。


 馬之助からの提案は考え方によっては美味しかったかもしれない。だが、考える前に小太郎の中で何かが切れた。


 何も答えず、後ずさりして元の位置へ戻ると正眼に構える。

 三白眼は獲物を完全に捉えた。



「始めっ!」



 合図と共に馬之助は大きく振りかぶった。

 懐に入るのは容易だ。

 普段、薄鈍い少年は豹変する。

 

 馬之助が振り下ろす前に左肩を突いた。

 胴着で防げないほどの衝撃に馬之助は体勢を崩す。すかさず小太郎は二打目を面に打ち込んだ。



「ぎゃあああっ」



 情けない悲鳴を上げて馬之助は尻餅をついた。

 パカン!

 同時に響く軽い破裂音。竹刀は簡単に折れた。



「やめっ!!」



 雷声轟き、振り向くと、天幕にいた爺さん……近藤周助先生が立っていた。

 怒られると思った小太郎は、デカい体を精一杯縮こませた。



「こっちへ来なさい。お前だよ、そこのデカいお前」



 明らかに小太郎のことを呼んでいる。

 恐る恐る周助の前に行くしかなかった。



「名は何という?」



 緊張してしまい、上手く答えられない。モゴモゴ答えると、


「はぁっ? 名前だよ、名前。もっと大きな声ではっきり言いなさい」



 周助の声は明らかに苛立っていた。


「蟻通、蟻通小太郎……と申します」



 消え入りそうな声で答えた途端、突然隣にいた男が笑い出した。

 始まる直前、目が合った若い侍だ。



「あははははは……蟻に小太郎とは! 君、面白いねぇ」


「こら、宗次郎、口を挟むでない。蟻通小太郎と言ったな。年は幾つだ? 苗字を名乗るということは帯刀も許されてるのか?」


「……帯刀は許されておりません。神社の養子なので苗字があるだけです。年は十五で……」


「身長は? 六尺※はいってそうだが……」



 矢継ぎ早に浴びせられる質問は、息継ぎする間さえ与えなかった。

 呼吸困難になりそうな小太郎に対し、周助の機嫌は良くなったようだ。

 質問を終えてから周助は側にいた侍と談笑した。



「それにしても、宗次よりデカいんじゃないのか? ほら、並んでみろ……ほぅら、やっぱりな。五寸※ほど高い。十五で、この身長とは大したものだ」


「年齢的にまだ伸びるんじゃないでしょうかね。でも、顔は幼いですよ」


「お前が言うか?」



 周助は歯を見せて笑った。

 確かにその侍の顔は高身長に比べて不釣り合いなぐらい幼い。妙な親近感が湧いた。



「私は沖田宗次郎という。君とは三つ違いだ。よろしくな、蟻通君」



 眩しすぎた。

 名乗った男を小太郎は目を細めて見つめることしか出来なかった。




 ──思えば、あれが全ての始まりじゃった



 あの後、江戸に来ないか、門人にならないかと勧められた。丁度、人手に不足していたから、道場の雑務を手伝えば下宿させてやるとも。


 暗い森を手探りで歩いている所、急に明るい道が開けたような感じだったのだ。稽古が終わると、養父母のいる神社へ駆け戻った。天にも昇る心地で。



 ──人生で最高の瞬間じゃった。オラは強いと、これからもっともっと強くなると……生まれて初めて認められたんじゃ



 義両親の許可を得た小太郎は数日後、江戸へ行った。


 試衛館の門人になってからは、ひたすら強くなるため励んだ。

 天然理心流の稽古では、竹刀だけではなく木刀も使う。それも丸太のように太く重いものを。


 手は間もなく豆だらけになった。

 豆は破け、皮が硬くなる。

 すると不思議なことにずっしりした木刀が手に馴染んできた。


 今思えば、重い木刀での稽古は理にかなっていた。普段手に感じている重量が刀に近ければ近いほど、より実戦に近付けるのだ。


 稽古は厳しかった。

 特に沖田は容赦ない。

 上手く避けないと、木刀で打たれることもあった。手加減されていても、醜い打撲の痕はしばらく残った。



「蟻通! 動け! もっと動けよ! お前、何回死んだ? 真剣だったら一秒で終了だぞ?」



 激しい口調で毎日怒鳴られる。

 稽古が辛くて辞める者は沢山いた。

 沖田は年輩者だろうが同様に指導する。キツい口調で罵倒し、平然と打ちのめす。


 沖田総司房良……若くして天然理心流免許皆伝、北辰一刀流免許皆伝。自他共に認める実力者。この塾頭に文句を言えるのは、近藤勇と山南敬介ぐらいだった。


 小太郎が試衛館の門人になってしばらくして、近藤周助は全ての権限を婿養子の勇に譲って隠居した。


 後の新撰組隊長、近藤勇である。

 近藤勇は沖田と同じく高身長で体格もよく、見るからに怖そうな男だった。

 

 そんな強面の近藤勇より沖田の稽古の方が数倍厳しかったのだから、かなり壮絶だったのだ。一部の噂では師匠の近藤より強いとまで言われていた。


 年齢、経歴や身分、全ての煩わしい事がここでは関係ない。

 あるのは強さだけだ。


 純粋な強さ……それだけを一途に求めた。


 沖田を嫌がり、比較的優しめの山南や井上源三郎に稽古をつけて貰いたがる者は多かった。


 が、小太郎は逆だった。

 厳しければ、厳しいほどいい。

 稽古の厳しさは辛くなかった。

 身体が傷だらけになろうが、夜痛みで寝れなかろうが構わない。

 ただ、ただ、強くなりたかったのだ。

 



 冬の夜は静かだ。

 小太郎は町の様子を眺めるのをやめ、拝殿の階段に腰掛けた。

 血は止まりそうもない。



 ──オラは死ぬんだろうか



 誰もいない神社は寒々として、心細かった。

 拝殿の茅葺き屋根は今にも崩れ落ちそうだし、欄干の塗装はすっかり剥げ落ちている。もしかしたら、何年も神社としての機能を果たしていないのかもしれない。

 

 小太郎が育った神社とは全く違う。

 だが、神社特有の空気感のせいだろう。奇妙な懐かしさを覚えた。

 懐古心がそうさせるのか、急に胸が苦しくなる。



 ──嫌だ! 死にたくねぇ! こんな所で……たった一人で



 思えば、ずっと一人ぼっちだった。

 神社の養子とはいっても、元は捨て子だ。

 養父母には男女の兄弟がおり、小太郎はいつも疎外感を感じていた。


 虐められはしなかった。

 彼らは悪い人間でもなかったと思う。

 小太郎のような捨て子を拾って育ててくれたのだから。

 だが、何となく合わなかったのだ。養父母とも、兄弟達とも。


 江戸へ行くと行った時、義父母がホッとした顔をしたのも無理ないことだった。

 無愛想で身体ばかりやけにデカい木偶(でく)の坊が居なくなるのだから。


 小太郎が試衛館に来てから二年後の春、文久三年二月、近藤達は幕府肝煎りの浪士組に参加するため上洛した。


 近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬介、井上源三郎、永倉新八、原田左之助、藤堂平助、斎藤一……試衛館のそうそうたる顔触れが一度に居なくなってしまう。


 人の減った試衛館はガランとして、つまらなかった。

 小太郎は数ヶ月間、鬱々と過ごすことになる。


 モヤモヤした気持ちがサアッと晴れたのは同年の六月だ。壬生浪士組として藤堂平助が隊士募集のため上京した。小太郎が飛び上がらんばかりに喜んだのは、言わずもがな。


 誘われれば、二つ返事で承知した。

 過酷な運命が待ってるとも知らず。


 小太郎、十七の秋だった。




※若衆組……当時の青年団のようなもの。祭礼、治安、風紀維持に当たる。


※六尺……大体二メートル


※五寸……十五センチ

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