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第二部後編 二十六話「小太郎の人生」小太郎視点①

 イアンの意識はいずこへ──


 闇を通り光を通り、小太郎の中へと。イアンの心は小太郎と同化した。

 イアンの中に小太郎の軌跡が、想いが……流れ込んでくる。




───────────────

(新撰組隊士 蟻通小太郎)


 この国が、世界が変わると思っていた。

 どんな風に変わるかは分からない。

 ただ漠然と、今よりいい生活が待っているような気がしていた──


 きっかけは笑ってしまうぐらい安易。

 絵双紙の中の牛若丸みたいに格好良く敵をバッタバッタと倒し、不穏な世の中を変えたかったのだ。皆が憧れる豪傑になりたかった、ただそれだけ。


 

 月明かりが数間先まで優しい光を投げかけている。

 二日前までの悪天候は一転し、今日は良く晴れていた。開戦日に晴れて良かった……なんて呑気なことを考えてしまう。こんな状況なのに。


 小太郎は血の止まらぬ脇腹を押さえた。

 月明かりだけではよく見えぬが、浅黄色の隊服は胸の上まで赤く染まっているに違いない。

 


 ──痛みから解放されるのなら、このまま死ぬのも、いいかもしれない



 単調で整然とした辻を幾つも通り過ぎた。

 傾斜の違いはあれど、どこも同じ道に見える。小太郎が育った武蔵野とはえらい違いだ。



 ──一体、どこでどう間違った?



 こんな遠くの西国まで来て……

 知り合いもいない。道も勝手も分からぬ未知の国。一人淋しく、ただ夢だけを追いかけていた。


 都、武士、金、花街──


 だが、小太郎が見たのは憧れていたような華やかな都会生活ではなかった。


 血……血……血……血……

 脳裏を埋め尽くす緋色……そう、どこへ行っても血だった。



 ──何人切ったろうな……数え切れねぇや。もう、おらは人には戻れねぇ。死んだ所で堕ちるのは間違いなく地獄じゃ



 人気(ひとけ)のない暗い通りを一人歩く。

 戦場からだいぶ離れたから追って来る者はいない。血糊のベットリ付いた刀は鞘には収まらないだろう。その鞘も落としてしまって、もうどこにもないのだが。


 誰もいないと思いきや、辻の向こうから人が現れた。

 町人風情の男は小太郎を一目見るなり、尻餅をつき、口を蛙のようにパクパクさせながら後ずさった。


 無理もない。

 髷は解けてざんばらだし、血塗れの手には裸の刀が握られている。どこからどう見ても落ち武者である。加えてこの巨躯だ。


 小太郎はつまずきながら走り出した男の尻を見て、苦笑いした。



 ──こんな所まで逃げちまって、隊規違反で切腹じゃな……まあ、どうせ死ぬからどうでもいいや



 さっきの男が出て来た辻の向こうに神社へと続く石段が見える。



 ──やっと、退屈な迷路から抜けられる

 


 足は自然と石段の方へ向かった。

 石段を挟んで脇に生い茂るのはコナラだろうか。足元でピキピキとドングリの割れる音がした。

 

 小太郎は深呼吸した。

 ヒンヤリ湿った空気が喉を通り、膨らんだ肺の隅々まで染み渡る。冷気は血塗れの腹にまで下りてくる気がした。

 

 木々が作り出す独特の空気感。発せられる息吹がそうさせるのか、それとも木々に付着した菌類の匂いなのかは分からない。



 ──妙に懐かしい。神社っつうのは丘によく建てられるな。この感じ、東でも西でも同じじゃ



 うっすら雪の残る石段を一段、一段、登るごとにポタポタと血の滴が染みを作った。

 指先の感覚はもうない。

 白い息は暗闇へ吸い込まれていく。

 小太郎はこれまでのことを思い出した。




 蟻通小太郎は武蔵野の外れ、多摩川沿いの小さな村で幼少期を過ごした。

 捨て子だったのが、運良く神社の宮司に引き取られたのだ。この時代の神職は経済面、階級的にも恵まれている。田舎者だろうが生活に困ったことはなかった。


 十になると、近所の寺へ手習いに行かされた。勉強は苦手どころか大嫌い。寺の坊主はいつもしかめっ面だったし、ずっと正座させられる。小太郎はよく居眠りをして叩かれた。


 でも、それは些細な事だ。

 坊主に打たれるより、辛いこと。

 それは無視や陰口や仲間外れだ。



 ──オラはイジメられっ子じゃった



 仲間に入れない。無視される。からかわれたり、ど突かれる程度でも小太郎の心に大きな傷を残した。


 理由(わけ)は分かっている。



 ──オラがデケェからじゃ――



 身長は十の時点で五尺(百五十センチ)を超えており、大人よりデカかった。

 デカいのにぬぼぅとして鈍重で無口。目立つくらいの色白。周囲に気遣いが出来ないから、馬鹿にされる。しかも捨て子ときてる。

 

 だから、いじめられないために強くなりたいと思った。とても単純な動機。小太郎は剣の道に没頭していく。

 

 竹刀を持てば、ただデカいだけの少年は別人になった。


 水を得た魚のごとく、素早く動く。

 避ける。打つ。突く。

 技などという高度な代物ではない。

 獣の本能だけが小太郎を動かし、戦わせた。

 結果、村で小太郎に勝てる者は誰一人として居なくなった。


 しかし寺の稽古場では物足りない。面を着けて打ち合っても、ままごとのようなもので剣術というのには程遠かった。

 

 転機が訪れたのは、十五の時だ。

 江戸の試衛館から出稽古に訪れた近藤周助先生に声を掛けられた。


 運命が変わったその日──

 近藤先生の他にも何人か、試衛館から門人が指導に来ていた。その中には有名なあの人も。



 ──沖田先生……あの沖田総司が来たんだ。あんな田舎のみすぼらしい寺に



 あの時の事は今思い出しても浮かれてしまう。生まれて初めて人に認められたのだ。鈍臭くて力だけ強い馬鹿が。


 


 いつの間にか、小太郎は石段を登り切っていた。 


 登るまで鬱蒼と立っていた木々がなくなり、突然パアッと拓ける。境内はそれなりに手入れされていた。

 とは言っても、草は膝あたりまでボウボウと伸びている。


 誰もいない神社が陰気に感じるのは暗いからか、寒いからか。


 小太郎は足を引きずりつつ、鳥居をくぐり、拝殿の前までたどり着いた。


 ホッと一息──と思ったら……

 

 

 足元がふらついた。

 大爆音が地を揺るがしたのである。


 大砲だ。

 今日、あの音を聴くのは何度目だろう。



 ──反則だべ。あんなん。勝てっこねぇじゃろ

 


 腹の傷は砲弾の破片にやられた。

 小太郎が所属するのは旧幕府軍である。京都へ進軍する途中、鳥羽街道で新政府軍と接触。戦いの火蓋が切られた。


 戊辰戦争の初戦。

 世間で言う鳥羽伏見の戦い。

 

 末端の小太郎からしたら、難しいことは何も分からない。ただの戦だ。今まで散々殺してきた薩摩と長州が手を組んだ、それだけ。


 旧幕府軍は薩摩、長州率いる新政府軍に数の上では勝ってるものの、夷狄(いてき)から買った大砲の数が違った※



 ──剣じゃったら、負けんかった。ふざけんな! わしらは泣く子も黙る新撰組じゃ。高髷、高下駄で京の町を歩けば、隊服着んくてもビビって、みんな道あけやがる。わしらは最強じゃった



 そう、最強だった……

 その言葉は心に浮かび上がった途端、醜いシミのように残った。


 境内から見下ろせば、伏見の町が一望できる。小太郎は拝殿を離れ、見やすい所へ移動した。


 町は燃えていた。

 家屋は赤々とした炎を燃え上がらせ、舞い上がった火粉はここまで届きそうだ。下界は月が照らす上空より明るかった。

 振り切ったと思っていた硝煙の臭いが再び漂ってきて、小太郎は身震いした。



 ──奉行所のある辺り、火の海じゃ。皆逃げたんじゃろか? 助からんよ、あれじゃあ。怯懦じゃ、敵に背を向けるな。逃げるは恥じゃ切腹じゃと言われてきたが、強大な力の前じゃみんな同じじゃ。土方先生だって、斎藤先生だって、井上先生、監察の山崎さんも……逃げたか。でなきゃ、死んだか



 小太郎はいつも厳めしい面の土方歳三が慌てて敗走する様を想像し、吹き出しそうになった。



 ──近藤先生があんなことにならなきゃ、この状況よりマシだったかもしれねぇな



 ひと月前、新撰組局長近藤勇は伏見城下で銃弾を受けた。

 大阪城で療養中のため今回の戦には参加せず、代わりに指揮をとったのは副長の土方歳三だったのである。


 近藤を襲った犯人は大体分かっている。

 伊東甲子太郎率いる御陵衛士の残党であろう。更にそのひと月前、油小路にて伊東ら御陵衛士を待ち伏せして惨殺したからだ。



 ──あん時のことは思い出したくねぇ……たったの七人を五倍以上の人数で取り囲み、滅多刺しにした。ついこの間まで先生、先生と慕っていた人達を



 忌々しい記憶を打ち払おうとしても、脳裏に無惨な遺体と綺麗な死に顔が浮かび上がってくる。


 伊東甲子太郎、藤堂平助、服部武雄、毛内有之助……血塗れの遺体は刺す所がないぐらい穴だらけだった。言語化しようとしても、むごいの一言しか思い浮かばない。一方、蜂の巣と化した胴体と相反して月光に浮かび上がる死顔は美しく、気高さすら感じた。



 ──難しいことは分からねぇ。でも、みんな国のために戦った。尊皇攘夷……天皇様に国をお返しして、夷狄から守るんじゃと。みんな同じこと言ってたのにどうして? 倒幕か佐幕、どっちが正解なのかは分からねぇ。けんど、誠の気持ちは同じだったはずじゃ



 忘れていた痛みが脇腹を刺し、小太郎は呻いた。


 使い物にならぬボロボロの刀を見やる。

 寒さで硬くなった手を柄から放すのには時間がかかった。一本、一本、指を放すと、あんがい軽い音を立てて刀は地面へ落ちた。

 

 上洛する直前、養父がくれた刀。

 死ぬまでは絶対放さないと、そういう気持ちでずっと戦ってきた。


 が、刀が身体から離れると、幾分軽くなった。

 ホッと息を吐けば、力が抜けていく。

 自然と笑みがこぼれた。



 ──でも、もうおしめぇじゃ




※当時、薩摩藩は大砲を製造していた可能性が高いという説も。

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