第一部前編十二話「勘違い」のあと 頭領アナン視点①
(盗賊の頭領アキラ)
アキラ・アナンは苛立っていた。仲間が殺されたのだ。御者と見張り番二人、合計三人も。
何者かが宝を積んだ馬車の中に潜んでおり、脱出した。
御者は後ろから首の頸動脈を斬られ即死。見張り番二人は幌の内側から突き出された剣で心臓をひと突きに。幸い、馬車を見張っていた四人の内二人は脱走した馬を追い掛けたため大事なかった。
アキラは盗賊の頭として何があったか、知る必要があった。
が、最初の足跡を頼りに捜索しても徒労に終わる。曲者は途中から馬に乗ったのである。そして、その馬は見張りが逃がしてしまった内の一頭だと思われた。
騎乗してから向かった捜索隊も立ち往生。蹄跡が二手に分かれたり、途中から急に消えたりと工作されており、結局見つけることは出来なかった。
「こんなにコケにされたのは、初めてだ」
王女にも逃げられてしまった。依頼通りでなければ、報酬は受け取れまい。
「バルバソフはまだか?」
アキラは怒鳴った。
「はいっ! ただいま……」
近くに居た家来が体をビクつかせる。
国同士の境界にある土漠を過ぎ、深い森が広がるモズ共和国に着いていた。都市があるのは南西。それ以外は森林と山地の中に小さな村が点在するだけだ。
アキラがいるのは森を貫く一本道の途中。道から一歩離れれば、そこは魔獣蠢く危険なジャングルである。アキラ達は道沿いに並ぶ旅籠で休息をとっていた。
エールを口に含んだが、不味かった。
──このヤマが終わったら、貴族共が飲むようなワインをガブ飲みしてやる
アキラのイライラがピークに達する寸前、ドタドタと騒がしい音が旅籠の入口から聞こえた。
ようやく、姿を現したのはバルバソフだ。入口を通るため、熊のような体を最大限に縮ませながらヘラヘラ笑っている。横にミリヤという可愛らしい王女の侍女を従えて。
「アナン様、何度も問いただしたのですが、この娘はもう一人が馬車に隠れていたことを知らなかったようです」
開口一番がそれだった。アキラはバルバソフを睨む。
「そんな筈なかろう」
「しかし、弱々しい娘で嘘をついてるようにも見えませんし……」
バルバソフは先程から横にいる娘をチラチラ気にしながら話している。戦いにおいて強い力を発揮する一方で、この大男の知能は低かった。
「たかだか一日二日でだいぶその娘に入れ込んだようだな」
「へへ。見た目と違ってあっちの方がすごいんで……」
バルバソフは悪びれずニヤけた。
もう我慢の限界だ。逃亡者の捜索の為、この場所で二日ほど足止めを食らっている。
「女を痛め付けるのは好まないんだが……」
アキラは剣を手に取った。
「馬車で一緒に隠れていた者の名を言え」
剣先を喉元に突き付けた途端、ミリヤは震えながらすすり泣き始めた。
「よし、あと三秒以内に吐かなければ左耳を切り落とす」
ミリヤは赤ん坊がイヤイヤするように首を激しく振った。
「本当に……何も……知らないんです。本当に……」
バルバソフがそわそわし始めた。
「もう、止めましょうや。この娘は本当に何も知らんみたいだし……」
「ちょっと、お前は黙っとけよ」
確かに演技とは思えない程の怯えようだった。涙で潤んだ小動物的な瞳を見たら、憐憫の情を抱かずにはいられない。
弱い者をいたぶるのはアキラの倫理に反していた。
躊躇していたところ、離れたテーブルから近づいて来る者が一人。
「お困りのようですな」
現れた男は胸の当たりまで黒い髭を伸ばしており、それをリボンで結んでいた。年齢は四十代か五十代ぐらい。マントの汚れが気になるも、かなり良い身なりをしていた。孔雀の羽をふんだんに使った帽子を被り、ダブレット※には金糸で孔雀の装飾が施されている。
「こういった女に相応しい物の聞き方があるのだよ」
男は言った。
警戒したバルバソフが剣の柄に手をかける。近くまで来た男がかなり大柄なことに気付いたからだ。背負った大剣も息を呑むほどの迫力があった。
同道する家来は全部で百人ほどいたが、店の中にいるのは五人だけだ。アキラは男の周りに仲間がいないことを確認した。
「何者だ?」
「私はダリアン・アスターという」
「アスター? 貴族か?」
「以前は。二年前、鳥の王国を追放されるまでは」
「追放? 罪人なのか?」
「カワウとの戦争中怪我をした為に帰国し、一時、国の財務を任されていた。まあ、恥ずかしながら、国庫の金を少し拝借した為に追放されたのだ」
アキラはおぼろげな記憶をたどった。アスターという名前には聞き覚えがある。
戦時中、カワウ王国の王子二人を討ち取った男がそういう名前だったかもしれない。確か田舎に領地を持つ男爵だったが、戦地で華々しい働きをした為に帰国後、国政に取り立てられたとか。
「貴公は尋問の仕方を知らないように見える。私に任せてくれれば、すぐに白状させることができるだろう」
男は長い髭を弄りながら言った。
「ふん。面白いことを言う。そこまで言うなら試してみるがいい」
「まず貴族的尋問に必要なのは死を覚悟した者をギリギリまで追い詰めること」
アスターは胸元からキラリと光る物を取り出した。
「さあ、そこに居る熊のような君、娘の口にハンケチを詰め込みなさい」
拒否するバルバソフにアキラは従うよう促した。アスターが手に持っているのは細長いクギだ。
「美しい顔を傷つけるのは一番最後にしよう」
何の前触れもなく……
言い終わるなり、アスターはミリヤの左手をテーブルに置き、釘を突き刺した。
詰め込まれたハンケチにより、悲鳴は低い呻き声へと変換される。
主人と女将は奥へ引っ込み、何人かの客が出て行った。幾ら金切り声を封じようとも、気配で分かるものである。
剣を抜こうとするバルバソフをアキラは静止した。
「まだ釘は途中までしか入っていないのだよ。お嬢さん」
アスターは細身の金槌を振り上げた。
「さあ、言いなさい。誰と一緒にいたのかを」
ミリヤは歪めた顔を激しく横に振った。容赦なく金槌は振り下ろされる。
ハンケチで塞がれた口から苦しそうな声が漏れる。また釘は叩かれた。二回目、呻き声、三回目、呻き声……
耳に流れ込む音は鳥肌が立つほど不快な音楽だ。アスターは鼻歌を口ずさみながら、リズミカルに金槌を振り下ろした。彼の部分だけ切り取れば、楽しそうな日曜大工の一景に見える。
「ほらほらまだ始まったばかりだ。右手も両足もまだだし、ロープも蝋燭もまだ使っていない。それにね、おじさんは針金付の鞭も持っているのだよ」
「もういい。やめろ」
アキラはとうとう耐え切れなくなった。
嗜虐趣味には反吐が出る。バルバソフが待ってましたとばかりに、ミリヤの口からハンケチを取り出した。
楽しそうだったアスターは不満げに唇を尖らした。
「まだ序盤も序盤。これからと言う時に何を言うのだね?」
「とにかく、おまえのやり方は不快だからやめろ」
アキラは怒鳴った。
「盗賊というのは案外臆病なのだな」
アスターは嘲笑する。
「臆病ではない。弱い者を痛めつけるのを好まないだけだ」
「弱い者? この娘が? どうして弱いと分かる?」
「見るからに弱いだろうが」
「見た目だけで判断するとは愚かな」
その時、家来の一人が慌てた様子で店に入ってきた。
「アナン様、例の件ですが……」
家来はアキラに耳打ちした。また、雇い主コルモランからの催促だ。アキラはうんざりした。
「そうか。下がっていい」
だが、良い気分転換になった。コルモラン→王女→逃げた……単純な連想で思いつくものである。突如、ひらめいた名案にアキラは微笑んだ。
「娘、王女は捕まえたぞ」
勿論はったりだ。だが、大当たり。ミリヤの顔色は明らかに変化した。
──やはりな。最初に言ったことは嘘だった
娘が最初に言った通り王女が兵士達と逃げていたら、今頃はもっと安全な所にいる。この森で捕えることはありえない。
手口や足跡から馬車にいた逃亡者は明らかに男。この娘が自らを犠牲にしてまで守ろうとするのはおかしかった。
──馬車にいたのは二人。その内一人は王女だ
「一緒にいた男は逃げたようだ」
アキラが言うと、ミリヤは唇を強く噛んだ。
「その逃げた卑怯者の名前は分かるか? こちらも仲間を殺されたんでね、仕返ししたい」
ミリヤはしばらく下を向いていたが、小さな声で答えた。
「……ユゼフ・ヴァルタン」
「聞いたことがないが、ヴァルタン家の者か?」
「私生児です」
「なるほど、騎士か? 剣術の腕前は?」
「いえ。ただの従者です。騎士ではありませんし、剣の腕前など聞いた事もありません。戦ったこともないのでは」
ミリヤは淡々と質問に答えた。嘘を言っているようには見えない。
しかし、幌馬車の中から心臓をひと突き。見張りは二人とも絶命していた。
幌という目隠しをした状態で敵の心臓を一度ならず二度も一突きで仕留めるなど常人のなせる技ではない。
「男の特徴は? 兄に似ているのか?」
「特徴はこれといって……」
ミリヤは言いかけてから思い出した。
「右目尻にホクロがあります。背は普通よりは高めで黒髪短髪、少し痩せています。お兄様には似ておりません」
「性格は?」
「大人しいです。ゆっくりとした話し方をします」
ミリヤは怪訝な表情で答えた。
──ただの従者だと? 戦ったこともない?
「ユゼフ・ヴァルタン、必ず捕まえてやろう」
アキラは微笑んだ。
※ダブレット……男性用の上衣のこと。