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第一部前編 百三十六話「反発」のあと①(ディアナ視点)

(ディアナ)


 レースのカーテンから差し込む朝日は、ディアナを一層憂鬱な気持ちにさせた。



『朝が来てしまった。こうやって砂を噛むように毎日生き続けるのか……』



 昨日からずっと病人のように寝ている。

 食事もほとんど取らず……食べても何も味がしないのだ。眠くはない。時々まどろむことはあっても様々な思いが入り乱れ、眠ることはなかった。



「あの、王女様、外をお散歩されてはどうでしょう? とても気持ちのよい朝です」


 侍女の一人が恐る恐る声をかけた。


「喋りかけないで。舌を引っこ抜くわよ」


 ディアナは低い掠れ声で答える。

 ミリヤの姿はない。

 昨日のあの一件からイザベラに仕えさせている。


『このまま、何も飲まず食わずで死んでしまいたい……』



 思考は停止することなく、これまでの出来事が回転絵巻のように思い出される。頭の中をずっとぐるぐる回り続けるのだ。


 宿営地を襲われてユゼフと逃げたこと、馬車の中で震えながら盗賊がいなくなるのを待っていた時のこと、粗末な町娘の服を着てナフトの町を歩いていた時のこと……



『あの時、ユゼフは私の事を「ダイ」って呼んでくれた。離れないように腕を組んで……エリザが勘違いするほど、私達は本当に恋人同士のようだった……五首城にミリヤが現れるまでは……』



 ディアナは唇を噛んだ。

 ミリヤのことを思い浮かべるだけではらわたが煮えくりかえり、呼吸が苦しくなる。

 

 思えば幼い頃、ユゼフを遊び相手に色々なことをした。


 馬乗りになり城内を歩き回させたり、ふざけて侍女の服を着せてみたり、ああ、あと彼の亀に無理やりワサビを食べさせたこともあった。

 

 亀の時以外、ユゼフは怒らなかった。癇癪を起こして手を上げようが、蹴り付けようが、いつでも優しくしてくれた。

 

 そして、どんな時でもミリヤは空気と同じく側に居たのだ。



『彼が優しかったのは私が王女だからで……彼が見ていたのは私の側にいたミリヤ……』


 その考えに行きつくと、胸の苦しさは増した。


 ──火をまとった石が次々に落ちてくる中、ユゼフは私を背負って逃げた。あの時の骨ばってはいるけれど、温かい背中の感触は忘れられない……盗賊達が馬車に入って来た時、動かないよう後ろから抱きついてきた時のこと……口を塞がれ、すごく怖かったけど、彼の鼓動が私の鼓動に重なるのを感じた……


『それに彼は私にキスをしてくれた……』


 キスをしてと言ったら本当に抱き寄せ、額にキスをしたのだ。


『やっぱりミリヤを好きだというのは嘘なのでは……?』



 ディアナはむっくりと起き上がり、鏡台の引き出しを開けた。

 入っていたのは、五首城で別れ際にユゼフが渡した真鍮のお守りだった。

 太陽とその周りを囲む花……



「それはもしやシャリンバイのお守りでは?」



 言ったのは妖精族の娘だったか。紫色の髪の……


 そう、あの時これがシャリンバイなのだと初めて知った。魔国の城に助けが来る一日前のことだ。


 その日はイザベラではなく紫の髪と尖った耳を持つ亜人……ライラという娘が食事を運びに来た。ライラはディアナが首から下げているお守りを見て、


「男の人から頂いたのですね。羨ましい……」


 羨望の眼差しを向けたのである。


「何で分かるの?」


「シャリンバイはエゼキエル王の聖なる冠。花が咲いている時は愛を意味します。そして中心にある太陽は永遠の時の暗示です、つまりこれは……」


 ライラはこう言ったのだ。


「永遠の愛を意味します」



 ディアナはその古びたお守りを手に取った。

 それはプラムの種くらいの大きさだったが、装飾はとても細かい。小さな花がくっつきあって一塊になっている様を目で追えば、痛くなるほどであった。華やかではないが、何か心惹かれる美しさがある。



『これは彼が直に身に付けていた物だわ。これをミリヤではなく私に渡した』


 希望は確信に変わった。

 

『彼は優しいからミリヤのために嘘をついた。ミリヤとのことは一時の過ちに決まってる』


 目の前の鏡を見ると、ボサボサ髪が目に入った。目の下には濃いくまが出来ている。


『酷い顔だ。でも、直ぐにでも真意を問いたい……』


 ディアナはお守りを首から下げた。

 それからしっかりした声で侍女を呼びつける。


「顔を洗う。すぐに用意して」



 が、決意の後、すぐ心乱されることになった。


 たらいを取りに行こうと部屋を出た侍女と行き違い、イザベラが中に入って来たのだ。

 後ろにはミリヤを引き連れている。



「皆、出て行きなさい。私はディアナ様と大事な話がある」


 部屋に入るなりイザベラは侍女達を追い出そうとした。


「何なの!? どういうつもりで……」


「ディアナ様、とても大事な話です」



 甲高い声を張り上げようとしたディアナをイザベラは凄みのある声で遮った。

 

 ディアナの視線はイザベラの後ろへ注がれた。イザベラはともかくその後ろにいるミリヤが許せない。


 察したのか、イザベラが目で促しミリヤも他の侍女と共に出て行かせた。



「何なの? 急に……」


「ディアナ様、あなた、このままここに留まれば大変なことになりますわよ」


「大変なことって? 一体!?」


「女王陛下は自分の息子とあなたを結婚させるつもりです」


「何を言っているの? アンリはもう亡くなっているでしょ?」


「女王には隠し子がいたのですよ。陛下はユゼフを通じてあなたに伝えるつもりでした」


「ユゼフが?」


 そこでイザベラは注意深くディアナの顔色をうかがった。言葉を理解するまでの間待って、再び口を開く。


「時間の壁が消えるまでの十ヶ月間であなたの体に子種を宿すつもりです。そうすれば、あなたはグリンデルの王太子妃として逃れられなくなります」


「ちょっと待って! その隠し子の王子というのは今、どこにいるの?」


「私も詳しい事は分かりませんが、この城のどこかにおられるはずです」


 ユゼフから隠し子の詳細については聞いていないようだ。


「とにかく、逃げるのです。すぐ侍女の装いに身支度してください」

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