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第一部前編 百三十五話「ユゼフ、おじさんの忠告を無視する」のあと(イザベラ視点)

(イザベラ) 

 

 (とお)ある天幕に明かりがポツポツつき始めた。煮炊きの湯気が立ち上ぼり、笑い声や楽しそうに話す声も聞こえる。


 グリンデルの王城、百日城の外で盗賊達は宿営していた。粗末な天幕を張り食事も自前で。

 王女を魔国から救い出すという大役を果たしたにもかかわらず、野兵以下の扱いである。



 誰かが歌っていた。

 少年のような高く張りのある声。

 古代の王と月の女神の恋物語だ。



『ああ、この歌、聞いたことある』



 イザベラはクレマンティの屋敷で侍女が歌っていたのを思い出した。

 

 古代の王が森を歩いていると、湖で沐浴する月の女神と出逢う。二人はたちまち恋に落ち、その場で愛し合うのだ。だが、王には妃がいて……

 

 この歌を歌っていた侍女はイザベラの父から気絶するまで殴られ、その後裸にされて屋敷を追い出された。


 父は往々にして偉そうで意地の悪い男ではあったが、残虐性を現したのはこの時が初めてだった。イザベラは冷ややかに一部始終を観察した。


 幾ら謝ろうとも、懇願しようとも、父は侍女を屋敷へ戻そうとはしなかった。

 

 季節は冬である。

 椿が豪快に花弁を撒き散らし、真っ赤な絨毯を作った。明け方になれば霜がおりる。

 

 素っ裸の侍女のことを思い、イザベラは身震いした。時々、遊んでくれた気の優しい娘である。歌もたくさん知っていて教えてくれた。

 イザベラが出来るのは、屋敷の窓から門に佇む彼女の姿を確認することぐらいだった。


 ──まだいる


 だが、月が隠れると彼女は見えなくなった……

 

 翌朝、ぼろぼろになった遺体が近くの川から引き上げられた。イザベラは大分経ってからそのことを知ったのだ。




 焚き火は暖かなオレンジ色の光で彼らを包んでいた。歌声のする方を見れば、狐の耳を生やした亜人がいる。確か名前はダーラ。

 

 誰かがイザベラに気付き、口笛を吹いた。

 イザベラは迷わず彼らの輪の中へ入って行った。

 

 途端に静かになる。

 イザベラは音のした方へ歩いていき、


「今、口笛を吹いたのは誰かしら? お前かしら? それともお前?」

 


 きつい口調で尋ね始めた。

 

 異様な雰囲気に気付いた狐の亜人ダーラは歌うのをやめる。先ほどまで笑っていた者もピタリ、話すのをやめた。



「私は主国宰相クレマンティの一人娘よ。いくら無教養と言えど無礼な態度は許さない。私の一声でお前らの首は簡単に飛ぶのだからね」


 少し離れた所に居たアスターが気付いて、レーベと共にこちらへ向かって来るのが見えた。



「娘、気でもおかしくなったか? ここはお前のような娘が来るような場所ではない。皆、戦いを終えたばかりで気持ちが(たかぶ)っている。女のモノを汚されたくなければ、すぐに立ち去れ」


 アスターは恐い顔で声を少々荒げたが、イザベラは怯まなかった。腰に手を当て、


「この人、誰のパパなの!?」


 (あざけ)ると、黙っていた盗賊達からクスクス笑い声が漏れた。


「おい、私は親切にお前のために言ってやって……」


「ねえ、誰かユゼフ・ヴァルタンのテントまで案内してくれない?」



 イザベラは高飛車にアスターの言葉を遮った。

 

 アスターのこめかみがピクピクひくつこうが気にも止めない。隣にいるレーベがアスターの腕をギュッと掴んでいた。


 額に小さな角とトカゲの尻尾を生やした少年──ラセルタが手を上げた。



「俺が案内してもいいけど、今は中に入れないと思う……」


「あら? 何故かしら?」


「今、ヤってるから」



 ラセルタの言葉は盗賊達から下卑た笑いを誘い出した。イザベラは別に平気だった。


「それは聞き捨てならないわね。でも私は自分の目で確認する。案内なさい」


 ラセルタが頷き、輪の外へ出ると、


「では、ごめんあそばせ」


 イザベラは背を向けた。

 ……二、三歩歩いてから振り返る。


「そうそう、お前、そう、歌ってたお前よ」


 イザベラが指したのはダーラだ。

 ダーラは困った顔をしている。


「とても美しい歌声だったわ。でも、ここはモズじゃない。グリンデルよ。古代の王の歌が衛兵の耳に入ったら大変よ。虫けらのように殺されるわ」

 


 言い終えた後には誰も笑っていなかった。

 イザベラは長いスカートが汚れないよう、両手で裾を摘まみながら優雅に歩いていった。




   †† †† ††


 ユゼフの天幕からはランプの灯りが僅かに漏れていた。


 ラセルタは「ここです」とだけ言い、立ち止まる。天幕の側には近寄ろうとしなかった。

 イザベラはそおっと近付き、中の音に聞き耳を立てた。中から聞こえるのは衣擦れと喘ぎ声……ラセルタの言った通りだ。

 


「ね?」


 体をこわばらせ戻って来たイザベラに対し、ラセルタは複雑な笑みを浮かべる。イザベラはしばらく腕組みした。


『さっき城を出る時、エリザに会ったからあれはミリヤよ。どういうつもりで……』



「まあいいわ。終わるまでここで待たせてもらう。お前は仲間の所へ戻っていい……そうだ、お駄賃をあげるわね」


「いらないよ」


 ラセルタは眉間に皺を寄せた。


「あら、何で?」


「俺は子供じゃない」

 

 イザベラはクスクスと笑った。


「何がおかしい?」


「……可愛らしいわね」


「馬鹿にするのか? なら、中でやってるのと同じことをしてやろうか?」


 子供をからかうのは楽しい。

 イザベラはヒラヒラと手を振った。


「あと、五年経てば考えてやってもいいわよ」



 ラセルタは顔を赤らめてイザベラの肩を掴んだ。逃れるのはたやすい。イザベラはするり、ラセルタの首に手を回した。顔を近付けて人差し指を立てる。



「……な、何!?」


「静かに……何か聞こえない?」


 ラセルタは真っ赤な顔で首を振った。


「誰か、何人も来る。隠れるわよ。こっちへ来なさい…」

 


 ラセルタの腕を引っ張り、ユゼフの天幕の向かいへ入る。今は誰もおらず真っ暗だった。


 イザベラはラセルタの腕を抱きかかえたまま、入り口に張り付いて息をひそめた。

 柔らかな胸に腕が押し付けられ、ラセルタは身体を硬直させる。



「あ、あの……」


「しぃーーーっ」



 やがてガチャガチャ甲冑の擦れ合う音が聞こえてきた。十人ぐらいだろうか……ユゼフの天幕へ入って行った。



『あの甲冑はグリンデル騎士団のものだわ……』

 


 数分も立たない内に、再び屈強な男達が天幕から出て来た。イザベラの(まばた)きがピタリと止まる。誰かを担いでいるのが見えたからだ。

 

 それは意識のないサチ・ジーンニアだった。

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