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第一部前編 百十八話「憧れの人」のあと(ラセルタ視点)

(ラセルタ)

 

 ラセルタはアキラの手当てをしようと、背負っていた荷物を下ろした。



「ラセルタ、俺はもう助からない。手当ては不要だ。アスターの援護を頼む」


 ラセルタは黙って包帯を取り出している。


「ラセルタ! 聞いているのか?」


「聞いてますよ。アナン様。でもあなたは死なないんです」


「!?」


 ラセルタは腰に付けた巾着袋から小瓶に入った赤い液体を取り出した。


「レーベからくすねて来ました。これが本当の最後の一本です」


「それは……」


「傷がたちまち回復する魔法の薬です」

 


 ラセルタはアキラにそれを飲ますと、服を脱がし、腹に包帯を巻き始めた。

 

 止血する必要はなかった。

 血はピタリと止まっている。



『すげぇな……ほんとに魔法の血だ』



 ふと、目の端にむっくりと起き上がるクリープの姿が見えた。

 

 アスターとイアンは刃を激しくぶつけ合い、火花を散らしている。クリープは気配を消した状態でそろりそろりと扉の方へ移動していた。



「アナン様、ごめんなさい」

 


 ラセルタは包帯を巻く手を止めた。

 両手をパッと地面につけるや否や、四つ足でクリープの方へ向かう。

 

 クリープは音を立てずに走り出していた。

 クリープが扉の前まで来た時、ラセルタは高速で通り過ぎ正面に立ち塞がった。



「ダメ、ダメ。あんた、化け物の仲間を呼びに行くつもりでしょ?」


「どいてくれませんか?」

 


 クリープは無表情のまま言った。

 肩から腹まで切りつけられた傷はまだ血が出ている。



「どくわけねーだろ! バーカ」

 


 ラセルタは小柄な体には大き過ぎるサーベルを抜いた。クリープに抜刀する間を与えず、斬りかかる。

 

 俊敏さには自信があった。

 亜人であっても外形が違うだけで普通の人間と変わらない者は多い。だが、ラセルタはトカゲの特性を持っていた。

 

 魔国に来てからその能力はより向上した。

 ここの瘴気(しょうき)や邪悪な気がそうさせるのか……理由は分からない。

 

 どこからどう見ても弱そうで何のオーラも感じられないこの男に動きを見切られるとは思ってなかった。



『さっきのアスターさんの攻撃……咄嗟だったとしても今の俺だったら二打目は確実に避けれてた』

 


 しかし、どの方向角度から斬り込んでも、クリープにはラセルタの動きがあらかじめ分かっているかのようだった。綺麗に避けられる。



『あれ? おかしいな?』



 ラセルタも呼吸を乱していないが、クリープも全く乱れていない。かなり高速で動き続けているのだから、普通の人間であれば次第に呼吸が乱れてくるはずだ。

 

 ラセルタの脳裏に浮かんだのは作戦会議のビジャンの言葉だった。



 ―――クリープを侮ってはいけない……あいつは多分殺し屋だ


『そんな……まさか?』



 しかし、無表情で避け続けるクリープには何かゾッとさせるものを感じる。

 

 ラセルタは攻撃をやめた。



「もういいですか? 行かせてください」

 


 無感情な声でクリープは言う。

 

 激しく動いたのに眼鏡は全くズレてない。

 汗すらかかず、紙に書いたような顔をして出て行こうとした。

 

 ラセルタはまた前に立ちふさがる。



「どいてください」


 ラセルタが(かぶり)を振ると、クリープは背後のアスター達をチラリと確認した。


「どいてください」


「嫌だ! お前も剣を抜け! 戦え!」

 

 今まで全く感情を見せなかったクリープの瞳に一瞬迷いのようなものが見えた。


『……あれ?』


「だって……君は……まだ子供じゃないか……」


 クリープは囁くような小声で呟いた。


「……え??」


 

 ラセルタの脳裏に浮かんだのは魔甲虫の実験をした時のことだった。


 あの時、ユゼフはラセルタを子供扱いして実験に反対したのだ。あんな風に大人から思いやってもらったことはなかったから何だか新鮮だった。



「俺は十五だ。子供じゃない」

 


 ラセルタは胸を張って言った。

 年齢より幼く見えるから、実年齢を言って安心させようと思ったのである。

 

 が、クリープの瞳には困惑の色がありありと浮かんだ。今度ははっきりとだ。



「まさか、子供だから傷つけたくないとでも?」


 ラセルタの質問にクリープは顔を背けた。


「でも、俺はどかないよ。どうするの?」

 


 クリープは剣の(つか)に手をかけ、またすぐ離した。今度は腰から鞘ごと剣をはずし始める。


 不審な動きはラセルタを不安にさせた。ジリジリ……構えを崩さず一歩下がる。

 

 クリープは剣を腰から外すと、鞘から出さずにそのままラセルタへ突き出した。


 ラセルタは攻撃されてもすぐ受けれるよう構えているつもりだった。それなのに先の丸い剣鞘が急に伸びたかのごとく感じた。

 

 気付くと胸の下の窪みを鋭く突かれ、呼吸が出来なくなっている。続けてクリープはラセルタの両肩口を突いて、あっという間に動きを封じてしまったのである。



『あらかじめ、避ける軌道を予測していたかのような……』

 


 崩れながらラセルタは痛みよりも悔しさを滲ませていた。倒れる寸前、表情の乏しいクリープが驚いた顔をしたのが見えた。



「ラセルタ!」

 

 アキラの声と駆け寄る音が聞こえる。

 

『もう回復したのか……ユゼフ様の血すげぇ……』

 

 倒れるラセルタの横を通り過ぎ、アキラは走り出したクリープを追った。


「待て! 待ちやがれ!」

 

 

 広間を出て回廊が折れ曲がる手前、先程まで重傷者だったと思えない速さでアキラはクリープに追い付いた。

 

 背中を斜めに斬りつけられ、クリープは床に突っ伏す。そのまま、アキラはトドメを刺そうと剣を振り上げた。



「待って!」

 


 辛うじて声を上げたのはラセルタだ。

 低い天井と幅の狭い回廊はラセルタの声を響かせた。

 

 アキラはラセルタに気付き、眉間に皺を寄せる。

 

 ラセルタは夢中でかぶりを振った。

 アキラは当惑した様子でしばらく止まっていたが、クリープの襟首を掴んでラセルタの所まで引き摺った。



「どういうことだ?」


「アナン様、その人を殺さないでください」

 

 ラセルタはかすれ声で言った。


「何で?」


「何でも。その人、さっさと俺を殺して逃げれたのにそれをしなかった」



 アキラは険しい顔でクリープの顔を見た。

 クリープは相変わらず無表情で床の一点を見つめている。



「ラセルタ、お前も盗賊の端くれだから分かるよな? 敵に情けをかけることがどういうことか。俺達はやるか、やられるかの世界で生きてる。敵に情けをくれるというのはそれだけ自分の身を危険にさらしているということだ」


「でも、その人、悪い人じゃないです」


「だから……」


 アキラは心の奥に抑え込んでいた怒りを爆発させた。 


「そいつらはバルバソフを、カレンを、カスラーを、アラムを殺したんだ」


「もっと死んでます。黒獅子に五人食い殺されました」


「!?……じゃ、なんで」


「アナン様、この人逃げてるのに後ろから斬りつけましたよね?」


「……それはこいつが仲間を呼びに行こうとしたから……」



 アキラは言葉に詰まった。

 ラセルタは無邪気な茶色い瞳をアキラへと向ける。アキラは下を向いた。



「この人はすぐ斬り殺せたのに、俺が子供だから剣を抜かなかったんです」


「……分かった。縄を取ってこい。こいつは捕虜にする」



 アキラは(うつむ)いたまま、命令した。

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