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第一部前編 百十五話 アスターとみんな③のあと(アキラ視点)②

(アキラ)

 

 イアンは呆然と足元に転がった娘の首を見ていた。


 落ち着いた声を先に出したのはクリープだ。


「アイローが恐らくライラを……」


「言わなくても分かっている」


 イアンは忌々しそうに言葉を遮った。

 それからアイローの鮮血を浴びて全身血まみれのアキラを見やった。


「アイローを倒してくれた事に礼を言う」 


「……仲間ではないのか?」

 

 アキラはそう言ってから、イアンの手元に気付いた。


「仲間? この化物が!? こいつらは俺達を襲ってきた敵だ。たまたま今の所は互いの利益の為、協力しているだけで身内に手を出せば、俺はこいつらに容赦するつもりはない」



 イアンは喋りながらアキラの方へと歩みよって来た。

 イアンの言う身内とは首を奪われた紫髪の娘のことか……化物達との協力体制?……考えている余裕はなかった。

 

 イアンの手に持っているものが人間の首だったからである。



「王女達を逃がした、と聞いた。取りあえずの報復だ」

 

 イアンはそう言って手に持っていた首を投げた。


 不思議と柔らかい床のせいか、首は二回ほど(まり)のようにバウンドするとアキラの近くまで転がった。



「バルバソフ……」

 


 濃い髭に覆われた(いか)つい顔はバルバソフに間違いなかった。

 さっきまでステンドグラスの向こうにいたのに……アイローの相手をしている間に一体何があったのか……

 

 近くには変わり果てたカレンの遺体も転がっている。アキラは心に穴が空いたかのごとく、即座に感情を出せないでいた。心に沸き起こった感情が怒りなのか、悲しみなのか、その両方なのか、判別する間もないまま「兄弟」を振って血を切った。



「王女が逃げたのに気付いたのはついさっきだ。俺達がもぬけの殻の西塔にいた時、館の壁を歩くお前らの姿が見えた。急いで西塔からお前らの所へ向かうと、丁度よくアキラ、お前が館の中に忍び込んで行くじゃないか。だから館の曲がり角に身を隠し、その男が一人になってから戦いを挑んだ……まあまあ強かったな。肩を軽く斬りつけられたし。着込みがなければヤバかったかもしれない。その後は回廊へ繋がる隠し扉があるのでそこからすぐにここへ直行したというわけだ」

 


 イアンは淡々と状況を説明しながら、光輝く刀を抜いた。

 バルバソフを斬った血は綺麗に拭かれていて、弓なりの刀身は妖しい光を放っている。



「今頃、丘の下で黒獅子どもがお前の仲間を一人残らず食い殺していることだろう。俺は一日猶予を与えてやったのに……愚かなお前の仲間は去ろうとはせず、王女を逃がした」


 イアンは剣を構えた。


「お前を始末したら、王女に向けて追っ手を送る」


 

 アキラは血でべとべとした剣の柄を握り直した。

 晴眼に構えたイアンは顔をやや下に傾け、上目でアキラの額の辺りを睨み付けた。


 それからイアンが斬りかかってくるまでに、一呼吸する間もなかった。

 

 腰を一瞬下げ、上から振りかぶって来たのでアキラは辛うじて刃を受ける。その後は様々な角度から次々に煌めく刃が襲いかかってくるのを何とか受けるしかなかった。

 

 イアンの攻撃は猛烈に速く、何とか反射的に避けるだけだ。技を返す余裕も、足を前へ踏み込むことさえ出来ない。

 

 呼吸が乱れて来たので、アキラは後ろへ飛んで逃れた。

 イアンは構え直し、獲物を狙う肉食獣の目でアキラの体の中心を睨み付けた。呼吸は少しも乱れていない。



「カオルよりお前の方が強い」

 


 イアンは体勢をピクリとも動かさずに言った。

 

 アキラはそれを複雑な思いで聞いた。

 子供の頃は何でも自分より優れているカオルに対して憧れや尊敬の念を抱いていた。兄より強いというのはアキラにとっては最高の誉め言葉のはずだった。だが、壁の向こうで臆病風に吹かれ、主君(イアン)を裏切ったカオルの行為はアキラの心に棘を残していた。

 

 それに少し剣を交えただけで分かった。イアンとの圧倒的力の差を……



『勝てる相手じゃない……』

 


 でもここで負ける訳にはいかない。

 圧倒的力の差がある相手に打ち勝つには……捨て身になるしかない。攻撃の隙をついて、返し技をかけることは出来ない。隙を見つける間がないのだ。だが、剣を体に受けてからであれば……


 イアンはアキラの呼吸が整うまで待っていた。

 戦い方にこだわりがあるのだろう。

 バルバソフもきっと正々堂々と戦って負けたのに違いない。そう思いたかった。


 しばらくイアンは待っていたが、アキラの方から仕掛ける気配がないためゆっくり間合いを詰め始めた。

 

 アキラの背中を嫌な汗が流れ落ちる。

 後ずさりしながらどうすればいいか考えるが、いい案は浮かばない。


 イアンは狙いを定めた。

 避けられた後の剣の軌道もきっと予測していることだろう。

 アキラの(へそ)の辺りを狙って突きを繰り出すと、避けられたので下に構え直した。



 ──何故下に構えた?

 

 

 間合いを詰めている時に下段構えはあまりしない。防御力はあるが、攻撃には向かないからだ。


 アキラは予想外の構えに怯んだ。

 

 その隙に左大腿部を切られる。バランスを崩したのが運の尽きだ。すかさずイアンはアキラの下腹部を貫いた。

 

 決着はほんの一瞬でついた。


 激痛がアキラを襲う。これは致命傷かもしれない。

 その代わりイアンの上半身は今、ガラ空きになっていた。剣の軌道がずれてしまっているアキラに攻撃は出来ないと油断している。

 

 腹を刺され、崩れようとする直前にアキラは辛うじて掴んでいた剣の柄を握りしめた。ひと思いにイアンの心臓めがけて剣を突き出す。

 

 ……イアンは避け肩に剣は刺さった。

 

 イアンがアキラの腹から刃を抜くと、イアンの肩に刺さった刃も抜ける。アキラは崩れ落ち、イアンの前にひざまずいた形になった。


 腹から熱い血が溢れ出るのを感じる。

 捨て身の攻撃をしても、イアンに致命傷を与えることは出来なかった。



『完敗だ……』

 


 仕方ない。仲間の仇を打つことも出来ずにここで朽ち果てるんだ。これはきっと、憧れていた兄の裏切りに対する報いなのかもしれない。


 イアンは静かに血で濡れた刀をアキラの顔へ向けた。



「トドメを刺す前に何か言い残すことは?」


 アキラは黙っていた。イアンはバルバソフの首へ目線を落とす。


「その男は最後、お前に「すまなかった」と伝えてほしいと」


「なんで……」



 アキラは声を詰まらせた。

 

 顔を上げてイアンを見ると無感情な顔をしている。感情的な男だと思ったが、今は憐れみや怒り、悲しみを全て内にしまいこんでいた。

 


 ──人を殺す時はきっと誰でもそうなんだ。殺す相手のことなど考えたくもないし、考えた事もない。きっと皆一緒なんだ……


「……兄に、兄にもし会う事があっても、俺の事は決して話さないでほしい」

 

 カオルには惨めな最後を知られたくなかった。もし知ったなら一生それを背負って生きていくだろうから……


「わかった」

 

 イアンは冷たく応えると刀を振り上げた。


「イアン様」


 クリープが突然声を出した。イアンは刀を振り上げたままイラついた声で尋ねる。


「なんだ?」


「ステンドグラスの向こうに誰かいます。今火のようなものが……」



 次の瞬間、ゴンという衝撃音の後、ピキピキとひびの入る音が聞こえた。それはすぐにガラスが砕け散る高音へと変わる。

 

 玉座の後ろのステンドグラスは派手に砕け散り、破片がキラキラ光りながら床に落下するのが見えた。

 描かれたメシアや精霊達、咲き乱れる花々、太陽、ケルビムは全て粉々に砕け散った。



『なんて綺麗なんだろう』

 


 アキラは様々な色に光輝きながら落ちていくガラスの破片を見て思った。

 破片の滝が全て流れ落ちた後、姿を現したのは……



「アスターさんのお出ましですよ」

 

 ラセルタの飄々(ひょうひょう)とした顔が見えた。

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