第一部前編 百七話 信じる?(バルバソフ視点)
炎の帯びた剣で斬りつけると、影の集合体は耳触りな金切り声を上げて煙のように消えた。
「バル! 後ろだ!」
エリザの声に振り向きざま、斬りつける。休んでいる間はない。次から次へ影は宙を飛び、こちらへ向かって来る。
最初は一体だけだったのに、今は数えきれないほどの大群が二人を囲んでいた。
バルバソフとエリザを敵と認知したのか、影の塊の動きは素早くなった。
正面から当たれば吹き飛ばされる。
螺旋を描きながら動くそれに少しでも触れようものなら、薄いカミソリで切ったような擦傷だらけになった。
自然と前へ出て、エリザを庇うような戦い方になる。
「チッ……」
こういうのは苦手だ。
『俺は騎士様じゃねえ』
……と、エリザが吹き飛ばされるのが目の端に見えた。
『知るか!』
そう思いながらもバルバソフは後退し、エリザが落とした剣を拾い投げてやった。
「バル! これ以上戦うのは無理だ。あたしが囮になる! その間に扉の方へ行ってくれ!」
「ふざけるな! それなら囮は俺がやる!」
「ダメだ! あんたには王女様を助ける大切な役目があるんだ」
エリザはそう叫ぶと、影の群れへと突っ込んで行った。
エリザの姿が真っ黒な影に覆われて見えなくなっても、不愉快な金切り声は聞こえ続けていた。その不協和音を破り、エリザの叫び声が響く。
「バル! 行け! 行け────!!」
バルバソフは歯を食いしばり、数体散らばっていた影を煙にすると、扉の方へ走った。
だが、待っていたのは絶望的な状況だった。
扉には錠がかかっていたのである。
青銅の錠前は見るからに古い物で緑青が疎らな色模様を作っている。腐蝕はしていない。
バルバソフは鋼鉄のサーベルをこの錠前に激しく叩きつけた。火花。金属同士がぶつかり合う高音が何度も響く。
「畜生! 刃こぼれしちまう!」
キーン、キーンという高音に気付いたのか、影の集合体は動きを止めた。影達がエリザから離れ、こちらへ向かって来るのが見える。
「くっそー! 早く、早く、壊れろ!」
影の群れが目前に迫った時、金属音が崩れる音に変わった。音が変わった瞬間、ようやく錠は外れた。
一気に扉の向こうへとバルバソフは体を滑り込ませる。
慌てて閉め、内側から施錠した。(幸いにも内側の錠は開いていた)
勢いよくぶつかってくる影のせいで、扉は激しく揺れ膨張し始める。このままだと内側の錠も持たないかもしれない。
バルバソフは辺りを注意深く見回した。
人と魔物の気配はない。ガタガタ揺れる扉の他に音はなかった。
―――イケる!!
目の前の西塔を見上げ、身をかがめる。壁に沿いながら走り始めた。
『エリザ、すまねえ。死ぬなよ』
西塔の入り口は裏門の向きにあった。
西塔に入ったバルバソフは階段を小走りで登った。
塔の中には明かり取りが沢山あって、足下は何とか見える。後ろを見ても今の所、追っ手は来てないようだ。
『これで罠だったら、俺もエリザも助からねえ……』
気持ちの悪い汗が流れる。
『クソジジイ、どこが「大して危険な任務ではない」だ?……うまいこと戻れたら、絶対にぶん殴ってやる』
階段の途中にあるドアの全てを開け、中を確認する。その度に肝を冷やした。
しかし、バルバソフの不安を嘲笑うかのごとく、どの部屋も空っぽで鍵すらかかっていない。
埃にまみれたベッドや燭台などの家具が見えるだけだ。一度だけ鼠が飛び出してきて、心臓の止まる思いをした。
そして、ついに塔の一番上まで来た。
これが最後のドアだ。
見上げるとドアは少し開いていて、光が漏れている。
バルバソフの心臓は期待と不安が入り交じり、早鐘のように打っていた。
あと、数歩でドアにたどり着く……
その時、勢いよくドアが開いた。
目の前のにいたのは……
「ミリヤ!」
ミリヤはバルバソフを一目見ると、慌ててドアの向こうへ引っ込もうとした。
「待ってくれ! 俺はお前らを助けに来たんだ!!」
ミリヤの背中がビクッと震えた。
おもむろに振り返り、バルバソフの顔を見つめる。
茶色の瞳からは怯えや怒り、疑心、憐れみなどは一切感じられない。
ミリヤはじっとバルバソフを観察するかのように見た。
「頼む! 信じてくれ! 俺達の今の雇い主はユゼフ・ヴァルタンだ」
部屋の奥で誰かが動く気配がした。
「ユゼフ? ユゼフがいるの?」
甲高い女の声だ。
「いえ。ユゼフはおりません」
ミリヤは部屋の中に向かって言うと、バルバソフへ向き直り低い声で、
「入って」
と言った。
──あれ?
バルバソフはホッとしたものの、ミリヤの視線に違和感を感じた。
──まるで……まるで今のは……アスターが何か考えてる時の目みてえだった
バルバソフの記憶の中のミリヤはか弱く、おっとりした可愛らしい女だった。
王女の侍女らしく仕立ての良いガウンをまとっている。灰色ウール……少々地味な色だが、品のある感じだ。
部屋へ通すと、ミリヤは背伸びをしてバルバソフの耳に口を近付けた。生暖かい息が吹きかかる。
「ひざまずいて……」
目の前には見たこともないほど、美しい娘が立っていた。
ナフトの町でぶつかった時は輝く金髪しか見ていない。
バルバソフは口をあんぐり開けて、ミリヤに後ろから小突かれるまで動けなかった。
「ディアナ殿下よ」
やっと、バルバソフがひざまずいて頭を垂れると、ディアナはミリヤに尋ねた。
「この男は?」
「盗賊です」
「……なんですって!?……まさか、私を最初に襲った連中なの?」
「ええ」
頭を垂れているので王女がどのような表情をしているのかは見えなかったが、息遣いから立腹しているのは感じて取れた。
『やべえ……』
「お前に傷を付けたのはこの男?」
ディアナのキンキンした声が響いた。
「いいえ。別の人です。この人は守ろうとしてくれました」
「それで、何か? この男が私達を助けに来たとでも言うの!?」
「はい」
「信用できないわ」
そこで会話は一旦途切れた。
バルバソフがその何か言うべきか迷っていると、ミリヤが口を開いた。
「この人は嘘をついたり、騙したりすることの出来ない性格です」
「何で分かるの!?」
「……それは……そのぉ……私が盗賊達の元にいた頃、この人は……私の……」
「じれったいわね! 早く言いなさい!」
「この人は私の……その……愛人でした」
「!?」
「最初は恐ろしくて大人しく従っていました……だけど、一緒に過ごす内、見かけとは違い優しい人だと感じるようになりました。彼は私を自分の女にする代わりに他の男達から守ってくれました」
しばらく、ディアナは沈黙した。
バルバソフはいたたまれなくなり、今にも逃げ出したい気持ちに駆られた。
緊迫した空気の中、影の化け物にやられた傷がヒリヒリ痛みだす。
「……こいつがお前の男だからと言って、信用できる理由にはならない」
ディアナは何か奥歯に詰まっているような、話し方をした。
「イザベラ様のお話ですと、そろそろ助けが来るからニーケ殿下を迎えに行くと。部屋の鍵は開けておくとおっしゃってました。このタイミングで来たという事は信用してもいいのではないでしょうか? そもそもモズの盗賊がわざわざこんな所へ来る理由が見つかりません」
「黙りなさい!……何なの!? 普段、愚図でのろまの癖に……この私に意見するっていうの?」
ミリヤは口をつぐんだ。
バルバソフは今言うしかないと、頭を垂れたまま口を開いた。
「王女様!」
低く野太い男の声にディアナは怖気づいたのか、後ずさる。
『バルバソフ! 無礼を働いてはダメ!』
横にいるミリヤが小声で言った。
「大丈夫だ、ミリヤ。話させてくれ。俺にも言い分がある」
バルバソフは顔を上げて王女の方を見た。
『美しいが、まだ小娘だ。王女だからってビビる必要はねえ』
「王女様、聞いてくだせえ。あっしどもは最初、カワウの王家に仕えるコルモランという男に雇われてました。だが、今はユゼフ・ヴァルタンがあっしどもの雇い主でごぜえます」
ディアナは「ユゼフ」の名前を聞くと、体をピクリと震わせた。
「ユゼフは今、この城の正面からイアン・ローズに戦いを挑んでいます。魔物達の軍と……全ては王女様のためでごぜえます」
ディアナは胸元で揺れていた真鍮のお守りを握りしめた。
「もし王女様があっしを信用してくださらなかった時の為に王女様とユゼフしか知らない事柄を聞いてあります。ユゼフは別れ際にお守りをお渡ししているはずです。真鍮の……太陽の周りを花と葉が囲んでいる……もしかして今、首から下げているそれでは?」
彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「ユゼフが助けに来たとイザベラから聞いた時は、夢ではないかと思った。私はユゼフが直接助けに来てくれるものとばかり……」
ディアナは指で涙を拭った。
「分かった。お前を信じる」




