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第一部前編 百六話「開戦」のあと(バルバソフ視点)

(バルバソフ)


 黒曜石の城、裏手は緩やかな坂道が沼地へと続いている。


 バルバソフとエリザはまず危険な村の外へ出た。そして塀に沿って城の裏手へ移動する。

 裏口の位置まで来たら、石塀を乗り越えた。


 塀を飛び越えた二人は辺りに気を配りながら、まず足跡を消した。その後、沼地の泥がついたブーツに砂をかけて乾かしてから丘を登る。城壁の前まではスムーズに来れた。


 ここまでが約束の九時前。


 二人は音を気にして甲冑は身に付けず、胴鎧だけを着けている。

 


「見ろよ!」


 エリザが興奮した声を出した。


「しーっ!」

 

 

 バルバソフがエリザの口に毛深い手を当てる。


 裏口の鉄格子が開いていたのである。どうせ入れないと鷹をくくっていた二人は愕然(がくぜん)とした。



「どうする? これで俺らは戻れねえぜ。心配してるユゼフの元に戻るなら今だ」


「あたしは行くよ。バルバソフ、あんただけじゃ心もとないからな」


「ふん。足手まといになるなよ」

 


 二人は城壁に張り付き、中を(うかが)う。

 中へ入ろうとするエリザをバルバソフは止めた。



「待て! 行くのは(いくさ)が始まってからだ」


 裏口から見える通路には全く人の気配はない。


「今、誰もいないんだ。あたしは今行った方がいいと思う」



 エリザはするりと体を中へ滑り込ませた。

 バルバソフは舌打ちし、後へと続く。

 

 外周壁と内周壁の間にある通路はひっそりとしていた。

 

 邪悪な気配は今の所ない。


 バルバソフは目の前に高くそびえる東塔を仰ぎ見た。魔物の出入りはないようだ。正面の内周壁には城内へ通じる木製の扉がある。そこも錠が外れていた。


 イザベラの書いた見取り図によると、この扉を通って城内へ入るよう赤い線で順路が記されていたが……



挿絵(By みてみん)

※見にくい場合、みてみんで画像拡大してください。



「錠が外れてる。塔から魔物が出入りする気配もないし、ここから西塔へ向かった方がよくないか?」


 エリザがバルバソフを見る。

 バルバソフは頭を左右に振った。


「もし罠だったらどうする? 話し合いで決めただろ? 外周と内周の間の通路を通って西塔へ行くと」


「通路には普通見張りを何人か置いてる。誰もいないんだから今がチャンスじゃないか?」


「ダメだ。決めた通りに行くぞ!」



 バルバソフは内周壁に張り付くようにして、カニ歩きで進み始めた。エリザは唇を尖らせ、不満そうな顔で付いて来る。


 しばらく進むと、法螺貝を吹く音が村の方から聞こえてきた。



「始まったか……」

 

 

 バルバソフは恨めしそうに呟いた。


 実はギリギリまでバルバソフはこの役目を拒否していたのである。が、普段は割りと大人しいユゼフが頑として譲らなかった。



『あいつ、意外と頑固なとこがあるな……』

 



 話し合いは深夜にまで及んだ。


 ユゼフは王女の救出を優先することがこの作戦の肝になると言い張り、その重要性について延々と説き続けた。


 途中から欠伸を連発し、アスターがうたた寝まで始めたので、とうとうバルバソフは堪忍袋の緒が切れた。



「おい! おっさん、寝てんじゃねえよ! てめえもなんか意見を言え!」


「あ……んあ?」

 

 アスターは寝ぼけた声を出しながら目をこすった。


「眠いから、もう話し合いは終わりにしよう。」


 アスターはとろんとした目で言った。


「……だってよ。ユゼフ、もう諦めろ。俺は何言われても首を縦には振らねえ」


 ユゼフは首を横に振った。


「頼む。行ってくれ。あんたが行ってくれないのなら、他の者に行かせることになる。それだと王女様の信頼を得ることができない」

 

 バルバソフはうんざりだという風に肩をすくめて、アスターの方を見た。


「「うん」と言えばいいではないか? こんなにしつこいのだから」


「みすみす罠に引っ掛かりに行く馬鹿な魚がいるか?」


「貴公は魚だったのか?」


「黙れ! 喩えだよ、たとえ!」


「意見を言えと言ったり、黙れと言ったり、どっちだ?」


 アスターはそう言って立ち上がり、天幕の外へ出て行こうとした。


「おい、まだ終わってねえぞ!」

 

 アスターは大きな欠伸をした。


「……要はびびってる訳だな」


「誰もびびってねえよ!」


「なら、安心させればいい。エリザを一緒に連れてけ」



 思いがけない言葉に動揺したのはユゼフだ。


「エリザを!? なぜだ?」


「王女もその方が信頼する。それに危険性が高くないと判断してバルバソフに救出をお願いしているんだよな? 危険性が高くないということは……勿論、エリザも一緒に行って大丈夫だよな?」


 ユゼフは黙っている。


「よし! 決まりだ。これは大して危険な任務ではないから、バルバソフとエリザで行け……それでは私はこれで失礼する」



 アスターがいなくなった後、エリザを呼んで三人で救出の手順を確認した……


『結局またあのジジイに丸め込まれる形になったな』

 

 バルバソフは昨晩のことを思い出して渋顔になった。


『いつかあいつ、地獄に落ちるぞ』


 



 後ろを振り返ると、カラスのような鳥の群が塔から飛び立っているのに気付いた。



「しゃがめ!」

 

 

 バルバソフはすぐ横にいるエリザの腕を掴んだ。


 しゃがんで壁に張り付いていれば、塔からこちらは見えない。二人は東塔が静かになるまで、しゃがみながら移動した。

 

 


 城の端から端までは一体何歩、歩かねばならぬのだろう。


 張り付きながら壁を移動するにはとても長い距離だった。左へ曲がるカーブまでたどり着く頃には、二人とも緊張と無理な姿勢のせいで汗だくになっていた。

 


『よし! あのカーブを曲がれば城内へ通じる扉があるはず……』



 体を引っ付けている壁の向こうには西塔がそびえ立っている。

 

 バルバソフは塔を見上げてニヤリとした。

 見取り図が正しければ、あそこに王女達はいる。あともう少しだ。ここまでは敵に襲われず済んでいる。


 注意深くカーブの先を(うかが)いながら進む。



『あと少し……あと少しだ……』



 折れ曲がった道の向こうがもう少しで見える……その時だった。

 

 真っ黒な塊がぶつかって来たかと思うと、バルバソフの体は宙に浮いた。



「うあ?」


 

 一瞬、魔甲虫の群れに襲われたのかと思った。


 バルバソフはその邪悪な黒い物体に数キュビット※弾き飛ばされ、外周壁へ叩きつけられた。

 

 魔甲虫の群れでは、ない……

 

 それは幾つもの人影の集合体で、バルバソフの背丈くらいの細長い楕円形を形作り、グルグル回りながら移動している。



「バル! 大丈夫か!?」


 エリザが駆け寄った。


「くそっ! 出やがった!」



 話には聞いている。この化け物は王女をさらった時に現れたやつだ。これは使い魔というやつで、操っている本体が別にいる。



「やりやがったな!」



 バルバソフは背中の痛みに堪えながら飛び起き、サーベルを抜いて化け物に飛びかかった。


 サーベルは空を切り、影の集合体は真っ二つに割れる。

 

 が、二つに割れた影の集まりは螺旋を描きながらこちらへ向かって来た。バルバソフはそれをまた切り、蹴散らした。

 

 蹴散らされた影は再びくっつき二つに戻る。今度は両側からバルバソフに向かって突進した。

 

 高速で螺旋を描く影達がバルバソフを挟みこむと、血が霧吹きのように飛び散った。

 

 影自体が刃物のように鋭いのか、高速で回っているために発生した風がカマイタチのようにバルバソフを襲ったのか……恐らく後者だろうが……両腕の皮膚は薄い刃物で切りつけられたかのごとく傷だらけになった。

 

 バルバソフは(かが)みこんで前にぐるりと転がり、それから逃れた。すかさずエリザが剣で影を蹴散らす。


 エリザはバルバソフの腕をつかんで立ち上がらせた。



「今の内に行くぞ!!」

 


 バルバソフとエリザは全速力で走った。

 

 厄介な敵だ。

 逃げ切れるならそうした方がいい。


 だが、何も考えずエリザの後を追っていたバルバソフは途中で気付いた。



「待て!! 待て! 戻ってる!」



 バルバソフの声に立ち止まり、エリザは振り返って影の塊から大分離れた事を確認した。

 

 蹴散らされてからくっつくのに少しだけ時間がかかるらしい。すぐ追って来ない所を見ると、持ち場を守る事に重点を置いていると思われる。



「なぜ逃げる!?」


「逃げてない。一旦退却しただけだ」


「びびってるんなら、帰れ。俺は行くぞ」


「バル、パイロは使えるか?」


「はあ!? 使える訳ねえだろうが!」


「じゃあ、あたしに偉そうな事言うんじゃねえよ!」


 そう言うと、エリザは「パイロ」を唱えた。

 たちまち両手に握りしめた剣が炎をまとう。


「あたしの魔力じゃ、レーベのように威力の強いパイロは出せない……でも剣に炎を帯びさせることぐらいはできるんだ」


「……やるじゃねえか」


「だてに一年間「魔法使いの森」で修業してた訳じゃない。パイロは聖なる炎だ。邪悪なものにダメージを与えることができる……ちゃんとお願いすれば、バルの剣にもやってやるよ」



 エリザはにやにやしながら、上目遣いでバルバソフを見た。

 バルバソフは仏頂面で自分の肩を叩く。



「あ──! 分かったよ! 頼む。俺の剣にもやってくれ」


「お願いします、は?」


「分かったよ。くそっ! ……お願いします」



 エリザがパイロを唱えると、バルバソフのサーベルにも炎がぐるぐると円を描きながら絡みついた。



「行くぞ!」



 サーベルが炎をまとうや否や、バルバソフは走り出していた。




※キュビット……一キュビット、約五十センチ

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