第一部前編 百一話 イアンとエリザ(エリザ視点)
(エリザ)
玉座の間は広々していた。
壁や床も黒曜石で造られているからか、空気がひんやりしている。足下はよく磨かれた黒曜石に見える。何故か柔らかい毛皮の上を歩いているような感触がした。何より不思議なのは心臓の拍動のような規則的振動が足の裏から伝わってくる。
この奇妙な空間にて、玉座から数段下がった所にエリザはひざまずいていた。
玉座の後ろには巨大なステンドグラスがはめ込まれており、そこには伝説の獣ケルビムや天使、動物達が描かれている。左右の壁に等間隔で設えてある擦りガラスのお陰で広間は明るかった。
「贈り物の心遣い、感謝する」
古代の王が使っていたと思われる黒曜石の玉座に腰かけたイアンは穏やかな様子で礼を述べた。
魔の国では手に入りにくい、塩や胡椒、香料などを献上品としてイアンの為に持ってきたのである。
先ほどからエリザは顔を上げる事ができず下を向いていた。
「エリザベート、側まで来るがよい……ちゃんと顔を見て話したい……もっと上だ。もっと上がって来い……そうだ、もっと近くへ」
イアンはエリザを玉座の真正面まで来させると、
「顔を上げよ」
と言った。
エリザは顔を上げてから、すぐに赤面し目を伏せた。
『ユゼフの話と全然違う……』
「どうした?」
「申し訳ございません。緊張しています」
「そうか、怖がることはない。お前を傷つけるようなことはしない。俺の知り合いにお前のように甲冑を着て腰に剣を差している女がいる。彼女の事を思い出した。お前も剣を使えるのか?」
「……ええ、まあ少しは……」
「では今度、是非手合わせしてみたいものだ」
「光栄ですが、イアン様はとてもお強いと聞いております。私の相手などしてもつまらないと思います」
「そんなことはない」
イアンは尖った八重歯を見せて笑った。
「エリザ、お前の話が聞きたい。顔を上げよ。目を見て話してほしい」
エリザは顔を上げて、イアンの大きな褐色の目を見た。
燃えるような赤毛は確かに人目を引くが、顔立ちは美しい。
「どうした? 俺の顔に何かついているか?」
「……いえ、あの、すみません……想像していたのと、あの、違っていて……」
「どんなものを想像していたのだ?」
「……えと、ダモンに似ていると聞いていたものですから……」
「……太っていると?」
「……まあ、そんな所です……あともっと怖そうな方かと……」
イアンは不機嫌そうな溜め息を吐くと、声のトーンを落とした。
「どうせ、あいつから聞いたんだろ……ユゼフは他に俺の事をなんか言ってたか?」
「……余計な事は言うなと言われています。怒らせるからと」
「あいつの言いそうなことだ。別に俺は何を言われても怒りはしない……そうだ、エリザ、お前の話だった。出身はどこだ? 兄弟は?」
「きっと、言ってもご存知ないと思います。内海の奥地のブカン島という小さな島です。父はその島の領主です。弟が一人います。十も年が離れた弟です。なかなか母が身籠らなかったために幼い頃、私は息子の代わりとして男の子のように育てられました」
「ブカン……地理だけは得意なんだ……内海の東部ビジャール諸島……近くにバーネとサッカズという島はあったか?」
「そうです! その辺りです。よくご存知で」
エリザは緊張から解放され、嬉しそうな声を出した。
「そんな内海の奥地からどうしてこんな所にいる?」
「あの……家出したんです。親が決めた婚約者が嫌で……父親より年上の人で……」
「家出娘か!」
イアンはそう叫ぶと楽しそうに笑った。
「エリザ、お前とは気が合いそうだ」
「家出してからはモズで生活していました。魔法使いの森で魔物と戦って修行して……私、騎士になるのが夢なんです。本当はカワウとの戦争で騎士として戦いたかった。戦功を上げれば、女だからと馬鹿にされません。士官になって兵を指揮したいんです」
「……いい夢だ。俺がこんな状態でなければすぐにでも我が軍に入隊させるのだがな……」
イアンは呟いた。
「ユゼフとは魔法使いの森で出逢いました。最初は王女様と一緒に素性を隠していました。二人の事を知ったのは五首城でです」
「五首城では戦をしていたと後で聞いたが……」
「盗賊達のことですね。今ではいい仲間です。年齢も同じくらいのが多いし、そんなに悪い奴等ではないですよ。ユゼフが……」
話の途中でエリザはハッとし、話し過ぎたことに気付いた。
イアンは大きな目でじっとエリザを見ている。
「ごめんなさい。あんまり話すなと言われてて……でもイアン様がお優しいのでつい、つまらない話をベラベラと話してしまいました」
「ユゼフの目的はなんだ? どうしてお前を遣わした?」
「ディアナ王女様をこちらにお渡し頂きたいのです。ユゼフは出来ればイアン様と二人でお話したいと」
「……なるほど」
「イアン様にとって悪いようにはしないと言っていました」
イアンが黙りこんだので、エリザは不安になった。
「あの、イアン様?」
「待て。今考えてる」
イアンはエリザを手で制した。
ほんの数秒だったかもしれない。だが、エリザにはとても長く感じられた。
「分かった」
やっと口を開いたイアンの顔からは強い決意が感じられた。
「何か質問はあるか? 何でもいい」
「お城に四人で住んでいるとライラという子から聞きました。今でもそうですか?」
「……ライラ、生きていたんだな……そうだ、いや、五人かな。クリープがいるから」
「あの、お城に入って行った魔物達はどこにいるんですか?」
「魔物達は専用の塔にいる。城内は歩き回らないよう言ってあるからお前が見ることはないだろう」
「食べ物はどうしているのですか?」
「クリープが調達してくる……クリープというのは従僕だ」
「ディアナ王女様はご無事ですか?」
「無事だ」
「魔物達はイアン様が操ってるんですか?」
「違う」
「では誰が?」
「それは言えない。俺からも質問していいか? 何故お前はここへ来た? 魔物が入るのを見ているなら、危険だということぐらい想像つくのに」
「……ユゼフの役に立ちたかったからです」
「……そういうことか」
イアンの顔に哀れみの色が浮かんだ。
「こんなこと言うとお前を傷つけるかもしれないが……お前は利用されているのかもしれない……」
「……」
「俺だったら愛している女を危険な場所には絶対に行かせない。絶対に、だ」
「ユゼフも最初は反対していました。でも私が無理を言って行くことになったんです」
「お前は優しいいい子だ。お前のような娘にこんな事をさせているユゼフに憤りを感じる」
「誤解しないでください。ユゼフは悪くありません。イアン様の事も心配だと言っていました」
「あいつが、俺の事を!? まさか……」
イアンはそう言うと鼻で笑った。
「いいか? ユゼフと二人で話してもいい。仲間の所へ戻ったら、すぐに連れてくるがいい。だが、これはお前の勇気と心根に免じてだ。あいつと話した所でお前達の望むような結果にならないと思うが、恨むなよ」
面会の約束を取り付けたはいいが、イアンはユゼフに対していい感情は抱いていない。エリザは不安になった。
「イアン様、ユゼフのことを怒らないで下さい……お願いです。ユゼフを傷付けることはしないで……」
エリザの悲痛な訴えにイアンは唇を歪めた。
「いいだろう。面会中はあいつに何もしない。その後どうなるかは保障できないが」




