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第一部 前編 二話 シーバート視点

(シーバート老人)


 そもそも大陸には一つの国しかなかった。

 

 三百年前に鳥の王国とそれを囲む六つの国が誕生するまでは……

 

 建国と同時に出現したのは「壁」だった。

 

 国境をなぞって王国を囲う。

 それはまるで他国の脅威から鳥の王国を守るかのごとく五年~十年に一度出現した。

 

 壁の高さは六十キュビット(三十メートル)※ほどで天辺は波打つような波形、常に動いていた。遠くからみると、真っ黒な津波が押し寄せているようにも、邪悪で巨大な化け物が口を開けて迫っているようにも見える。

 

 壁を通り抜ければ、その先は千年先の未来の事もあり数分前の過去の事もあった。

 

 「壁」の中の時間は常に動いているため、受ける影響は位置からだけでは予測出来ないのだった。


 

 シーバート老人がかなり年季の入った歴史書を手に取ったのには、特別な理由があったわけではない。

 

 その本の黒い革表紙には「歴史書」の意味を表す古代語が金文字で刻み込まれている。厚さは五ディジット(約五センチ)※ほどもあるのに両掌に収まる大きさで、一ページにぎっしりと文字が詰め込まれていた。

 

 目の衰えた老人が読むには厳しい字の小ささだったが、これは一種のお守りのようなもので熱心に読む必要はないのである。

 

 それにページをめくるだけで、目を閉じれば大体の内容は瞼の裏に浮かんできた。 


 この歴史書は()ある人から形見に頂いた。前王立歴の物と思われる。

 

 鳥の王国建国以前、大陸がエゼキエル王のもとで一つだった時を前王立歴と言う。この時代の書物は燃やされ、ほとんど残っていないので非常に貴重な物と言えるだろう。


 

 弟子のレーベはまだ帰ってこない。

 

 ユゼフは王女の天幕を見張る為に行ってしまった。

 

 老人は薄暗い天幕の中、一人だった。

 一人、ユゼフの悪夢を気にしていた。

 

 夢は未来を暗示する。

 この大きな穴の空いた大陸(その形状を表現する古代語でアニュラス大陸と呼ばれている)では、多くの人に信じられていた。

 

 夢に見る未来。


 それは数時間後の場合も何千年も先の暗示であることもあった。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 「壁」が出現したのは二日前だ。


 カワウ王国の王城にてシーバートが帰国の身支度をしている時だった。

 

 鳥の王国ディアナ王女とカワウ王国フェルナンド王子の婚約儀式が執り行われたのがその前日。

 王命により長逗留(ながとうりゅう)はせず、すぐ帰国の準備に入った。


 


 シーバートがテーブルの端にあった歴史書を手に取ろうとしたその時だった。


 コンコン……

 

 控えめに扉をノックする音が聞こえた。荷物をまとめるのに忙しかったシーバートは無視しようかとも思った。だが……



「あっ……」



 貴重な歴史書がテーブルから滑り落ちてしまったのだ。その分厚い本は事もあろうか、テーブルの下で寝ていた猫の尻尾に落下した。

 

 「ギャーッ」と猫が叫び声をあげたため、何となく無視しづらくなり、シーバートは苛ついた調子で「入れ」と怒鳴った。

 

 恐る恐る入ってきたのは王女護衛隊の責任者であるダニエル・ヴァルタン卿の……従者だった。



「ヴァルタン卿の部屋に何か忘れ物でもあったかな?」

 


 ヴァルタン卿の従者が一体何の用かと(いぶか)しみながら、シーバート老は尋ねた。



「城門の前で学匠様に面会を求めている男がおりまして…」


「レーベは?」

 


 シーバートは男の言葉を遮った。

 シーバートへの連絡役は弟子であるレーベの役割だ。護衛隊長の従者の仕事ではない。



「あの、お弟子さんはどこに居られるか分からず、門番が途方にくれておりましたので私が御伝言をお預かりした次第でございます」

 


 それを聞くとシーバートは長く息を吐いた。

 

 レーベは非常に優秀だが性格に問題があった。わがままで尊大。勝手気ままに行動し、居場所が特定出来ないことはよくあった。幾ら注意しても適当にはぐらかされシーバートは手を焼いていたのである。



「それで、面会を求めている男というのは?」

 


 ヴァルタン卿の従者は少し言い淀んでから答えた。



「アダム・ローズと名乗っておりますが…」


「は!?」



 ここに居るはずのない者の名だ。

 脳裏に幾つも疑問符が浮かび、シーバートは眉間に皺を寄せた。

 

 

 アダム・ローズというのは王家の親族であるローズ家の落胤(らくいん)だ。第二王女ヴィナスの侍従になることでローズ姓を名乗ることが許されている。

 

 ヴィナス王女はディアナ王女の妹。

 王家と深い繋がりのあるヴァルタン家、ローズ家、シャルドン家の三家は外に子供が出来た場合、通常の貴族とは異なり放っておかないこともあった。

 

 何故ならこれら三家は王家の親族であり、高貴な血が流れているからである。その為、貴族でも平民でもない落胤が王候の侍従にされることは珍しくなかった。

 

 勿論、当の本人には選択肢はなく子供の頃から王子や王女の傍に仕えさせられる。そして男子が王女に仕える場合は宦官にならなくてはいけなかった。

 

 アダム・ローズはユゼフ・ヴァルタンの従兄弟であり、ほとんど同じような経歴の青年だった。



『鳥の王国にいるはずのヴィナス王女の侍従がこんな所にいる筈はないのだが……』

 

「それがアダム・ローズとは似ても似つかぬ老人でして、門番に追い払うように言ったのですが、殴られても蹴られてもその場を動こうとはせず鬼気迫る面持ちだったため、学匠様のお耳に入れておくべきかと参った次第でございます。」 

 


 ヴァルタン卿の従者は困り顔でそう答えた。

 シーバートは妙な胸騒ぎを感じた。

 そしてローブも羽織らず、すぐ城門へと向かったのだった。




 城門の前には白髪さえもほとんど抜け落ち、枯れ木のように水分の抜けた老人が血を流してうずくまっていた。

 

 シーバート老人は入れ歯で腰も曲がっており、毛髪も真っ白、襟足にしか髪は残っていない。それでも目の前の老人より少なくとも二十歳は若かった。



「顔を上げなさい」

 


 シーバートの声に反応した老人は顔を上げ、声の聞こえた方をしきりに見つめた。その目は白濁しており、あまりよくは見えていないようだった。



「シーバート様、その声はグランドマイスターのシーバート様ですね?」


「お前がアダム・ローズだと証明するものはあるか?」

 


 血まみれの老人は腰のポーチから手紙を出してうやうやしく差し出した。

 

 家紋が封蝋に()されている。

 

 三つ首のイヌワシ……それは鳥の王国ガーデンブルグ王家の家紋だった。




※ディジット……長さを表す単位。大体一センチ。指の幅の長さ。


※キュビット……約五十センチ。肘から中指の先までの長さ。


※スタディオン……長さと距離を表す単位。一スタディオンは二百メートル。

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