第一部前編八十五話「エデン犬」の後 兄弟②(アキラ視点)
(アキラ)
嫌なことを思い出してしまった。
だから、考えるのは嫌いなんだとアキラは思う。考えれば考えるほど、出口のない迷宮へ迷い込む。心は闇へ落ちていくのだから。
短絡的に感情赴くまま、生きる方がいい。行動すれば、結果は必ずついてくる。今までだってそうやって生きてきたのだ。
アキラはハタと思いつき、ユゼフが使っている部屋へと向かった。まだ葬儀は始まったばかりだ。聖典を朗読中か、聖歌でも歌っているのではないか。当分、ユゼフは戻らないだろう。
アジトの中で一番大きな屋敷にアキラは居を構えている。そこでユゼフ達部外者も寝泊まりしていた。
屋敷の一階にあるその部屋を開けると、物音に気付いた鳥が籠の中で激しく羽ばたいた。
足元に固い石が、いや、亀が居てアキラは思わず転びそうになる。
「ごめん、アルメニオ、蹴ってしまった」
アキラは亀をどかしながら苦笑いした。五首城ではこの亀のために苦戦を強いられた。ユゼフからあの時の内情は聞いている。
ユゼフの部屋は雑然としていた。
いつも身綺麗にしているから、部屋も綺麗かと思いきや、そうでもない。慌てて奥にある祭服を引っ張り出したのだろう。開けっ放しの桑折から衣服やら本がこぼれ落ちていた。
ただし、匂いには敏感な様子。
ダモンの鳥籠の周りには、消臭のための炭が積まれてあった。
「デテイケ! ココハキサマノクルトコロデハナイ!」
醜い鳥はギャーッと叫んだ。
「まあ、そう言うな。ダモン、お前に聞きたいことがある」
鳥の羽はあまり美しいとは言えない配分で白、黒、黄が入り交じっている。不揃いの羽を開いてアキラを威嚇してきた。
あの五首城での戦いの後、アスターがこの鳥を捕獲した。イアン・ローズの鳥である。アジトに来て以来、ずっとユゼフが面倒をみていた。
「コノオクビョウモノメガ!! ヨワムシ、グズ、ノロマ!」
罵られながら、アキラは思う。
よくもまあ、ユゼフは耐えられるものだと。
可愛さの欠片もない鳥だ。この鳥を見ていると、飼い主がどんな人間かは想像つく。
「全く、醜い鳥だ。きっと飼い主もこいつにそっくりで不器量に違いない」
そんな風にアスターが言ったのも分かる。ユゼフは苦笑しながら、
「醜くはないけど……似てるかな」
と、答えていた。
鳥は籠から出たがり、バサバサと羽毛を散らした。細かい毛が埃と一緒に舞って、思わずくしゃみが出そうになる。
この鳥がイアンの鳥だと聞いた時、
『イアン・ローズの家臣なら、兄上も魔の国にいるのでは?』
と、アキラは期待した。
その考えは八年間の苦労を全て水に流してしまうだけの力を持っていた。
その時、ユゼフはアキラの考えを見透かしたように言ったのだ。
「カオルがイアンと一緒にいる可能性は高い。子供の頃からずっとカオルを傍に置いていたから」
その言葉を聞いて、アキラは居てもたっても居られなくなった。
アキラは自分を捨てた母を憎んでいたが、母を探しに行って戻らなかったカオルのことはずっと敬愛していたのである。何か事情があって戻ってこれない。兄に限って、裏切ることは決してないと、固く信じていた。
母が居なくなった後、父のアナンは後妻を迎えた。
そもそも、父は母と婚姻関係ではなかったのだ。恐らく母は娼婦だったのだろうと、成長したアキラは思うようになった。
後妻はすぐに男児を産み、私生児であるアキラは城に居づらくなった。両親に対する反発心は日々成長し、とうとう十四の時に家出したのである。
兄を探そうと思った。アキラにとってカオルは、強くて頼りがいのある兄。信頼の置ける唯一の肉親だった。
それから四年の歳月が流れ、様々なことを乗り越え、アキラも成長したが、兄のことは片時も忘れなかった。
カオルが居なくなってから一年後に時間の壁は消えている。しかし、その代わりに頑丈な石塀が越境を防ぐため築かれた。理由はカワウと鳥の王国の戦争。夜の国もその影響を受けた。国境付近は兵士が彷徨くようになり、簡単には越境出来なくなってしまった。
アキラが賊の仲間になったのは軍に雇われることを期待したのもある。戦時中、カワウ国は至る所から兵士を募っていた。傭兵として雇われれば、鳥の王国へ進軍する可能性もあるのではないかと思ったのだ。だが、ただの賊では大口の仕事はこない。地道に実績を積む必要があった。そうこうしている内に戦争は終わり、現在に至る。
「ダモン、カオル・ヴァレリアンを知っているか? イアンの傍らにいつもいたんだろう? 魔の国にいるのか? カオルも?」
アキラはダモンと目線を合わせ、通じるようにゆっくりと問いかけた。皆の前では個人的なことを尋ねづらかったから、初めて質問する。
アスターは敵の内情を探る為、この鳥を拷問すべきだと主張したが、ユゼフが反対した。
ユゼフはイアンと話し合い、説得出来るのではないかと考えていたのである。その際、イアンの大切な鳥を傷つけては交渉が上手くいかないと。
「ダモン、カオルだ。カオル・ヴァレリアン、知っているだろう?」
ダモンは少しの間、首を傾げていたが、丸い目をギョロリ動かしたかと思うと、急に叫びだした。
「コノウラギリモノ! ヨワムシ! オクビョウモノ!」
「裏切り者? 兄上は裏切り者ではない」
「シンジテイタノニ、ヨクモウラギッタナ、コノヒキョウモノメガ……」
「兄は……カオルは裏切り者でも卑怯者でも弱虫でもない」
「カオルノヨワムシ! カオルノウラギリモノ! ウラギリモノ!」
ダモンははっきりと「カオルの裏切り者」と言った。さらに耳が痛くなるほどの大声量で「ウラギリモノ!」と繰り返し叫び続けたのである。
アキラは青ざめ後ずさった。
ダニエル・ヴァルタンの従者ベイルが脳裏に浮かぶ。そう、自らが袈裟斬りにした……
『嘘だ。兄上が薄汚い裏切り者のはずがない』
アキラは逃げるように部屋を後にした。
廊下の窓から乳香の香りが漂ってくる。きっと、葬儀で焚いているのだ。
アキラは生きたカオルと会いたかった。たった一人の、心の支えだった肉親と。
作戦決行まであと二日──