第一部前編 四十二話 進軍 カオル視点
(カオル・ヴァレリアン)
風が少し冷たくなってきた。
カオルが少し離れた所にいるサチ・ジーンニアを見ると、目が合った。
イアンはサチの事を大層気に入っているが、カオルは気に食わなかった。
剣の腕は大した事無いし、子供っぽい外見で貴族でもない癖にいつも堂々としているからだ。
あのイアンに対してもズケズケ物を言い、誰に対しても真っ直ぐな視線を向け、媚びたり恐れたり卑屈な態度を取ることはない。
「風が出てきたな」
サチが声をかけてきたので、カオルは近くに歩み寄った。辺りは薄暗くなり始めている。
「本当に上手くいくんだろうな?」
カオルがサチの事を睨みつけながら、低い声で言うとサチは笑って答えた。
「上手くいくかどうかはやってみないと分からない。ただ、今言えるのはこの方法が最善であるということだけだ」
カオルは鼻で笑った。
「要は自信がないと言う事か?」
「そんな事、一言も言ってないけど……」
「サチ・ジーンニア、俺はお前の事をこれっぽちも信用していない。お前が妙な動きを少しでも見せようものなら、斬ってやるからな」
脅してやったつもりだったが、サチは相変わらず涼しい顔をしている。
腹が立った。
まるでお前など相手にしないと言われているように感じた。
最初からは居なかった癖に。カオル達がヴァルタンの瀝青城で戦っている間、ローズの領地でのんびりとしていた奴が途中から現れてイアンに平然と意見し、我が物顔で兵を動かしている。それが許せなかった。
「何故、ガラク・サーシズを追放するように進言した?」
カオルは強い口調で尋ねた。
サチはイアンにガラクを追放するよう強く言ったのである。
「何故? 当然だろ。勝手な命令違反、捕虜の殺害を企てたのだから」
ガラクは謀反のきっかけとなったヴァルタンの瀝青城襲撃中、それぞれの城にいた子供の王子十六人を暗殺した。
それだけではなく、捕虜となった五人の王子の内、四人に毒を盛って殺した疑いもかけられている。
イアンは自分の預かり知らぬ所で、ガラクが勝手な行動を取ったことを快く思ってなかったから、追放は二つ返事で了承したのだ。
一人、運良く食事を取らなかった王子は一緒に死んだことにし、隠し部屋に監禁した。ガラクの他にも人質の命を狙う者がいるかもしれなかったからである。
「しかし、お前と違いガラクは最初の戦いで大きく貢献した。命令違反と言っても、イアンの為にやったことで責められるべき事ではない」
「貢献? 貢献だと? 赤ん坊や幼い子を殺すのが貢献と言うなら、もう戦いを降りた方がいい。間違いを間違いと言えないのなら、この反乱に何の意味がある?」
サチの言葉にカオルは一瞬ハッとしたが、直ぐにまたドス黒い感情に支配された。
「お前はユゼフ・ヴァルタンと親しかったな。シーマ・シャルドンの腰巾着の」
カオルは言った。
イアンが二年早く王立学院に入学するまで、ユゼフはカオルと同じくイアンに家来のように扱われていたが、二年後、学院に入ってからはシーマの傍にいるようになった。
「まさか、シーマと繋がってはないだろうな?」
「それはない」
サチはきっぱりと答えた。
サチの真っ黒な瞳は澄んでいて少しの淀みもなく、やましい所は何一つ感じさせない。その目で見られると後ろ暗い気持ちにならざるを得なかった。
言いようのない敗北と劣等感を感じ、カオルは目を伏せた。
「そうそう、人のみてくれをとやかく言うのは良く無いとは思うが……」
サチは少し馬鹿にするように笑い、
「髭とか全然似合ってないし、髪も短すぎる。ピアスも外した方がいいと思うよ。何か痛々しい」
それだけ言って、サチは場を離れ船室へと降りて行った。
残されたカオルは唖然としてそこに立ち尽くしていたが、暫くすると腹の底からふつふつと怒りがこみ上げてきた。
カオルは顔に付けた装身具を外すと黒い海へ投げ入れた。
すっかり辺りは暗く、肌寒くなっていた。丸い月が東から昇るのが見える。
『何なんだ、あいつは。貴族でもない癖に』
サチ・ジーンニアが王立学院に入ったのは何かの手違いだったと聞いていた。元々は王都スイマーにある高校に通っていたのだが、あまりに成績が優秀だったため、校長の推薦で国策特待生として内海にある学術士養成学校へ行く予定だったのだと。
それがどういう手違いか、王族や名門貴族の子女が通う王立学院に入学する事になったのである。
サチは最初酷いイジメに合っていたが、それをイアンが助けた。
サチは相手が集団であろうと絶対に怯む事はなく、誰に対しても平等に接し、誰かに追従する事はなかった。
いつも淀みのない真っ直ぐな目で人を見、はっきりと思った事を言い、自信に満ち溢れていた。
イアンにとって今まで自分より下の者に意見されたり、命令に逆らわれる事はなかったのでサチは新鮮で稀有な存在だったに違いない。
イアンはサチの事を信頼し耳を傾けるようになった。サチが自分に跪かなくても良しとし、言いたい事を言わせ好きなようにさせたのだ。
サチの言う事はいつも合理的で筋が通っているから、イアンが耳を貸すのは正しいのかもしれない。反論するにしても一の言葉に対して十以上の言葉が返ってくるため、大抵の相手は言いくるめられる。
王城を攻めるにあたって、カオルは当然自分がイアンと共に行くものだと思っていた。
それを途中からやって来たサチ・ジーンニアがひっくり返したのだ。
カオルは兵の三分の一を率いてローズの城を守る事になり、この名誉ある戦いには参加出来なかった。
サチは王城にてクロノス国王の右腕のクレマンティ卿の首を討ち取ったという。この一件でサチに反発心を持つ者達も大人しくなった。
しかし、これはイアンがサチに討ち取らせるようお膳立てしたに違いない。カオルはサチの剣の腕がイマイチなのを知っていた。
『この計画だって……』
イアンはサチを信頼しきって任せているが、本当に上手く行くものかどうか……
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
サチ・ジーンニアがローズ城にやって来たのは三日前だった。
イアンからの文を持って……
手紙には「サチの言う通り従うように」とだけイアンの字で書いてあった。
「どうやって包囲された城から抜け出た?」
カオルが開口一番に聞いたのはそれだった。
サチはパンを頬張りながら、アニュラス大陸の地図を広げた。どうやら食事をする時間さえ惜しいようで、食べながらすぐに本題に入ろうとした。
「……今? 今それを話さないと駄目か?」
「疑問に思ったことを聞いたらいけないのか?」
サチはパンをエールで流し込むと、少しイラついた様子で早口で話し始めた。
「城を抜け出すのはそんなに難しくはなかった」
「秘密の通路でも使ったのか?」
「そんなわけないだろ? 敵に認知されている。国王とヴィナス王女が逃亡する際にそれは使われてしまった……まず、逃亡兵の体を装う。深夜に正面から敵陣に攻撃を仕掛けている間に王城の背後の海へ小さいボートで脱出した」
王城の後ろは海が広がっており、その海を渡って北へ進めばローズ領にたどり着く。
穴の空いた大陸の南に王城は位置し、ローズ城は北に位置する。
「海側もがら空きってわけじゃないだろ?」
「逃走兵を装うと言っただろ? 百人くらい引き連れて白旗を揚げ、武器を海へ捨てた。勿論歩兵の格好で。正面から攻撃を仕掛けられてるんだ。人員取られて忙しいだろ。逃走兵に構っている暇はない。確保しようとしても全員は無理だったという訳さ」
「まるで鼠みたいだな。逃げ様が」
カオルはそう言ってせせら笑ったが、サチは意にも介さぬ様子で、話を始めた。
「鼠? 誉め言葉か。さあ、始めるぞ。ちゃんと集中して聞け」
まず、ローズの領内にいる兵一万人を王城に向かわせるため百人毎に小隊を組ませる。
大陸側に沿って海を渡るのは王統派の兵が居るためにできない。アニュラスの穴と呼ばれる内海の中を突っ切るのは難しい。
大きな軍艦で渡ろうとすれば小さな島々が散在しているのでスピードを出せないし、小回りがきかないので最悪事故を起こす危険性もある。何より目立っては敵側に進軍を気付かれてしまう。
かといって内海の中央部を渡ろうとしても、島にぶち当たる事はないが、複雑な海流が渦巻いている為に航海は困難だ。
そこで小隊ごとに漁船や商船に乗り込ませることにした。
「ちょっと待て。兵を八割王城に向かわせるのか?」
「そうだ」
「そうしたらこの城はどうする。ローズの領地はシャルドンの領地と隣接してるんだぞ。攻め入られたら終わりだ」
「だから、敵軍には絶対、進軍を気付かれてはいけない。それに今はローズの領地を守る事より王城の包囲を破る方が重要だ」
サチは納得していない様子のカオルを尻目に話を続けた。
百の漁船と商船に乗り込んだ一万の兵は時間差で三十分置きに十通りの航路を使い、まずヤズド島、ドルード島、ファサー島、花畑島の順に上陸する。
着く順番が奇数の船は島に沿って南側へ移動し、予め用意された新しい船に乗り替える。偶数の船は北側から島へ上陸し、奇数の船が置いて行った船に乗り込む。
この四つの島々を支配する領主クルベット伯爵は元々クロノス王に不満を抱いていたため、調略は難しくなかった。
サチは王城からローズ城へ向かう途中でクルベット伯爵を口説き落とし、それぞれの島に五十の船を用意するよう要請していた。
島から島へ船を代え、バラバラに移動する。
そして最終地点の花畑島には「虫食い穴」がある。この虫食い穴は王城から十五スタディオン(三キロ)離れた場所に位置するアラーク島へ繋がっている。
虫食い穴を使えば、移動に二十日かかるところを三日で到達することができるのだ。
この謀反を知ってからサチは一番最初にアラーク島に軍艦を配備するよう、イアンに手配させた。
王城からシーラズ城はそう遠くない東に位置する。そしてシーラズ城も海に面しているから……内海の岸から連合軍を襲撃後、そのまま上陸しシーラズ城に攻撃を仕掛ける。
シーラズ城が襲撃されれば、王城を包囲している軍を一部向かわせる筈だから、その隙に包囲を破る。
ローズ城から連れてくる兵は一万、シーラズ城を守っているのも同じくらいと思われる。王城を包囲しているのは二万五千程度。これは王城の塔から大体確認したとのこと。
王城にいるイアンの革命軍は一万五千、それに内海の領主達から何とか援軍を得ることが出来れば……
「何故シーラズ城を攻撃する? そのまま、王城へ向かって包囲を破ればいいんじゃないか? 兵が二万居れば充分可能だと思うが。」
カオルは不満そうに言った。
「シーマはそれぐらい想定しているだろう。もし海側から包囲を破る為の援軍が来たらどうするか、それくらいの対策は立てているはずだ」
「自分の城が襲われる可能性は想定してないのか?」
「それも勿論考えているだろうが……沿岸に兵は十分配備されている……ここから先は着いてから話す」
サチの顔つきは自信に満ち溢れていて、少しの迷いも感じられなかった。
今、カオル達が乗っている漁船は作戦部隊の先頭だ。虫食い穴のある花畑島に向かって南へ移動している途中だった。花畑島へはあと三十分もすれば着くだろう。
カオルがサチと同じ船に乗り込んだのには、理由があると言う。
その肝の部分の説明はまだされていなかった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
『要は信用されてないってことか』
カオルは自虐的な笑みを浮かべると、丸い月を眺めた。
イアンが王になった時に右側に座るのはサチ・ジーンニアであって、子供の頃からずっと従って来た自分ではない事は分かっていた。幾らサチの欠点を探した所で勝ち目がないのも。
その時、大陸側の海に光るものが見えた。
最初は一つだったのが、二つになり、三つになる。
見張りの兵士が鉦を鳴らした。
一番大きい光は規則的に点滅を繰り返して、こちらに点滅信号を送って来た。
船室から数名伴ってサチが甲板に姿を現す。
カオルは隠す事が出来ないほど激しく動揺し始めた。
「やばい。(点滅信号で)漁船を検閲すると言ってきた。どうする?」
こちらの動揺を気にも止めず、サチはいやに呑気だった。
うたた寝でもしていたのか、目を擦り、口に手を当てて欠伸をする。それからカオルの問いには答えず、双眼鏡を覗き込んだ。
「やはりな。予定より早いが想定内だ」
「どういう事だ?」
「シーマは内海の警備は王連合軍ではなくて北側に領地を持つ領主に任せている。それは王城からローズの城へ着くまでに調べた。その人物は王議会員でもあり、以前領地の一部を略奪されていて、ローズ家をよく思っていない。そのことからローズにつかないと思われ、彼はシーマから信頼されている」
「北側に領地を持つ、領主?」
「リンドバーグ卿だ」
その名を聞くとカオルは全身の毛がザワザワと逆立つ気がした。サチは双眼鏡を目から外すと楽しそうに言った。
「これからリンドバーグを調略する」
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