第十五話 必要に迫られて
「はぁ……はぁ……」
息を切らして膝をつき、もたれ掛かった氷の魔物の死体を横に倒す。
どさりと落ちたそれはぴくりともしない。
決着はついた。
「助かったよ、イヅナ」
「こっちこそ」
差し出された手を握り、立ち上がる。
「親玉がいなくなったらあとは雑魚だけだ。もう一頑張りできそう？」
「あぁ、なんとかな。上で凜々が頑張ってる。俺たちも加勢しないと」
「よし来た！ そうこなくっちゃ。じゃあすぐに――」
咲希が振り返って硬直する。
破壊された出入り口に、人影が立っていたからだ。
それは汚れた衣服を身に纏う、爛れて腐ったゾンビ。
その背後にも現れ、数が倍増していく。
「咲希！」
「あ、あぁ！」
腕を掴んで我に返らせ、そのまま引っ張るように逃げる。
広間から続く階段を駆け上り、凜々のいる廊下へと出た。
「イヅナくん！ ゾンビがたくさん！」
「わかってる！」
「後ろはゾンビだらけだぁ！」
背後では無数のゾンビが階段に押し寄せている。
倒れたゾンビを踏みつけ、重なり合い、段差を埋めて這い上がっていた。
「と、とにかくこの部屋に！」
近くの部屋に駆け込み、扉を押さえつける。
すぐに俺たちの居場所を特定したゾンビたちが、障害物を破壊しようと腕を振るう。
拳を握れもしない、叩けば骨のほうが折れる。
それでもゾンビたちはお構いなしに、扉を強くノックし続けた。
「な、長くは持たないぞ！」
咲希と一緒に扉を押さえつけて時間を稼ぐ。
「凜々！ 窓の外は！」
「駄目です！ 下にも集まってきてますよ！」
「あぁ、くそッ！」
この部屋に閉じ込められた。
「あぁあ……あぁ……！」
呻き声が大きくなり、ついに扉の一部が破損する。
内側に破片が飛び、腐った腕がいくつも伸びた。
それらは獲物を求めて虚空を掴み、俺たちを探し当てる。
押さえつけていた腕や肩を掴まれ、物凄い握力で締め上げられた。
「ど、どうするんだ！？」
「どうするもこうするも――」
やるしかないのか？
人を、人だったモノを、殺すしか――
「あぁあぁああ！」
破損が広がり、一体のゾンビが身を乗り出した。
虚空を噛んだそいつは俺に目を付けると、首を伸ばして噛み付いてくる。
目と目が合い、腐った顔の中に生前の面影を見てしまう。
このゾンビもつい数日前まで生きていた。
この人の人生があり、歴史があり、意思があったんだ。
それを失わせてしまうなら、それは人を二度死なせることにならないか。
目まぐるしく思考が巡る。
その最中にも時間は進み、そしてゾンビは目と鼻の先で頬が裂けるほど大口を開ける。
「くそッ」
瞬間、ゾンビのこめかみが打ち抜かれた。
「――」
目の前でゾンビが頭を撃たれて動かなくなる。
視線を先に向けると、ライフル銃を構えた凜々がいた。
「凜々……」
咲希が名前を呼び、泣きそうな凜々の顔を見て――稲妻を身に纏う。
蹴りつけるように扉を押さえ、靴底から雷撃を放つ。
閃光と共に伸びた一撃は扉ごと、部屋前のゾンビを一掃した。
焦げたいくつかの肉片を、打ち抜いた壁から差す月光が照らし出す。
宿泊施設の時のように吹き飛ばした訳でも、ホームセンターの帰り道の時のように足を壊した訳でもない。
自分の意思で、確実に、ゾンビを殺した。
嫌な臭いがする。
後悔はない。
「あたしだってッ」
部屋を飛び出した咲希が廊下の先に向けてナイフを振るう。
先ほどまで火炎を纏っていた刃は冷気を放ち、振りに合わせて幾つかの氷柱を放つ。
それはゾンビを貫くと共に凍結させ、粉々に打ち砕いて見せる。
「一掃するぞ！」
「あぁ！」
「はい！」
俺たちは間を置かずにスキルを使い続けた。
自分に思考する余地を、暇を、与えないように。
この日、俺たちは引き返せない一線を越えた。
§
最後のゾンビを殺し終えた頃には日が登り始めていた。
空の彼方、壊れた街並みに現れた太陽は、この世界に似つかわしくないほど綺麗に映る。
周囲の安全を確保した俺たちは、疲れ果ててその場に座り込んだ。
「終わった……」
「あぁ、そうだなぁ」
荒れた息を整え、咲希と言葉を交わす。
凜々はなにも喋らない。
「凜々」
名前を呼ぶと、朝陽を眺めていた凜々がこちらを向く。
「大丈夫か？」
放心しきったような表情をしている。
「私の……せいです……私が、魔物を撃ったから……血で、ゾンビが……」
「違う、そうじゃない」
「私……人を……」
「あれは人じゃない」
重い体を動かして、這うみたいに凜々の前まで向かう。
「でも、その前は」
「あぁ、そうだ。でも、今は違う。あれは、別の、なにかだ」
言い聞かせるように言う。
「イヅナ」
咲希を見ると、首を横に振られる。
それでは駄目だ、と。
「……そうだな」
認めるべきところは認めないと。
「たしかに、あれは人だったモノだ。それぞれに人生があった」
「……私はそれを殺した」
「あぁ、そうだ。俺たちが殺した」
今一度、咲希を見る。
今度は頷いた。
「魔物を撃つように頼んだのも俺だ」
「あたしもそれを止めなかった」
咲希が寄り添うように、凜々の側についた。
「俺たちは仲間だ。下した決断も、その結果も、一人には背負わせない」
凜々の手を取る。
「まだ礼を言ってなかったな。助けてくれてありがとう、凜々」
「イヅナくん……」
瞳から雫が落ち、堰を切ったように凜々は泣く。
それに連鎖するように、俺たちは寄り添い合って心に溜め込んだ感情を吐き出した。
よければブックマークと評価をしていただけると嬉しいです。
