アップル、現代のジャン・ソレル
Ⅰ.野田病院からの退院
犬、スコッチが吠えた。大体二年と半年前の事だったと朗はタバコのわかばを吸って、その事を思い出していた。
「iPhoneは負け組」
スコッチはそう言っていた。どうして、犬の鳴き声が、そういう語句として耳に聴こえたのであろうか?
2018年の春の事だ。そのとき、朗は精神病院の野田病院から退院したばかりで、入院中、「魔女」の声によって悩まされ、治療を妨げられた事もあって、体調もまだあまり良くなく、精神状態にも波が見られていたから、スコッチが、何で、喋っているのだろうと言う非常な「現実」に気持ちがついていけていない感じを受けた。1年3ヶ月ぶりのスコッチの「進化」、この場合の進化とは個体の社会的要因による進化であり、賢明に著しく「知的」になったスコッチを迎えての実家への帰宅であった。
朗が犬の有り難さを深く知るのは、暫く経ってからだ。それは、村上春樹の『1Q84シリーズ』の新潮文庫版でその小説を全巻通読してから、改めて第5巻の表紙絵のヒエロニムス・ボムの「快楽の園」で戦っている犬の姿を見つけたときである。
犬は戦っている。悪不坐気など大嫌いなのに、悪不坐気をする。朗の事で、恐縮だが、スコッチのツナに引っ掛かって、つこけた事がある。犬は自分の身の周りの事は良く分かっていて、つこけた先には、母が捨てよう捨てようと思っていたに違いないバラの鉢植えがあって、私はそのバラに倒れかかり、バラの鉢植えを結果的に倒してしまった。夜遅い事とて、はっきり今となっては分からないものの、バラは折れず、無事であった。
犬は生きることの難しさ、知恵を知り抜いている。
ばら戦争という戦争をご存じであろうか?
イギリスで、1455年から30年間に渡って起きた戦争で、ランカスター家が赤ばらをヨーク家が白ばらの家紋を押し立て王位継承を巡り、貴族の生存競争とも相まみえ、結果的に貴族勢力が衰微し、君主権が一段と伸長することになった戦争である。
スコッチは恐らく、賢くなっていたスコッチは歴史の持つ、ある意味の時代同期性、シンボリスティックな意味での魔力を持ったバラを嫌ったのではないか、と朗は今にしてみれば思う。
犬が元来とても賢い、はっきり言えば「理性」を持っている生き物だと言うことは、犬を飼っている、或いは犬好きな人なら誰でも知っている事である。
スコッチは今日も父、弓哉といつもの散歩に出掛ける。スコッチ、至福の一時である。
今は、魔族の世で、日本は明らかに魔法国家からの干渉を受けつつある。
歴史とは、常に大体、権力が反対する力と反発しあい、対立と不和を、時には協調をもって突き進むことを意味する。対立と不和を位相で詰まり、トポグラカフィーに、位相的に捉えられた方が、大体歴史上の勝者になるようである。
ばら戦争に見られるように「権力」と言うものは大変魅力的で、だから皆大人は切望するのだが、そして、魅力に恋い焦がれているうちは、「バーレスク」に過ぎないのだが、権力、権威とは本質的に人を惹き付ける点があり、『赤と黒』の主人公、ジャン・ソレルの様に理論的である本は読んでいるものの、小説と言うものをあまり熱心に読んでいない、視野の狭い硬質的である自信家にとっては、事態に対しての多面的事実に基づく対処が出来ず、事態を混迷させることが多いので、矢張、空恐ろしいものである。
魔族に近いとされているアップル社の本拠地はアメリカのカリフォルニア州である。
アップル社の製品、iPhoneを捨てるべきである。彼らは失敗した。失敗、つまり芸術のためのパソコンだったのに、魔法化に飲み込まれており、世界は地獄を見ています。アップルは今や「魔女の手先」と成り果てました。朗は自分も最近まで、アップル社の製品を、Macを使っていたので、判るのですが、Macは技術もそうですが、ユーザーが進歩しなかったが故に滅んだ、何時までも良心的な「左の良い子」で居続けたために滅んだ。それは、作家として、朗が自分自身にも問いとして問い続けているものです。
Ⅱ.只のデブの作家
政治勢力の保守は、何かを守るために存在し、革新は何かを改めるために存在します。
しかし、真の保守とは、何かを守るために何かを創造します。本当の政治を歴史の流れ、魔女の手から人間側へ引き寄せる。『保守本流』とは、そう言う法律を作り、時代を政治によって建て直し、国家の目標を再度、設定し直すことが出来る政治家の事を指します。
朗は作家である。
ファンタジー作家である。
朗は、今や早稲田の鵬志会で活躍していた頃の華麗な朗では最早無い。かと言って、モード系ファッションで東京の渋谷を闊歩していた朗でもない。
ただのデブの作家である。歯も三本欠けた。近年では、糖尿病にも罹患した。
しかし、朗は中々それも良いのかもしれないと思っている。小説が書けているからである。
小説家、未来の小説家達よ、全力で小説を書き、芸術の底力を魔族に見せよう。
右傾化する、はっきり言ってしまえば、魔女化に対抗するためにトランス保守化する保守本流を私達、作家は食い止めなければなりません。ファンタジー作家をコントロールする政治家達の「声」に負けおじみしていては決して駄目です。
ドストエフスキーの『悪霊』がお勧めです。
近代文学におけるファンタジー文学の傑作です。
Ⅲ.キスから始まる午前三時
世界恐慌間近の1920年代、お金はあったかもしれないが、世情は荒廃し、人心は苦い自我を抱え、小さく小さく内側に籠っていた。
時間のある限り、小説を書いていこう。
Macを捨てない限り、脅迫的にあなたは自分の影に付きまとわれることになる。
小説が少し質が落ちても良いでしょ。
おかしいでしょ、車より遥かに安い値段で、「小説」を書く手段が手に入り、その上、音楽も決まりきった値段で、安く聴き放題、インターネットも出来、サードパーティーのソフトウェアーも充実し、一流の作家も使ってて、「安心感」もある。正に芸術オブ芸術、今では、奴隷が使う、奴隷のためのツールである。
良心がうずかないか?Mac使うってことは、これはインターネットでも僕と同じ意見を持つ人が現れたから言うことだけど、村上春樹さんの『騎士団長殺し』の主張を否定する事になるんだぜ。
Macが無いと不便だよな。
豚はブタブタもので、酢豚を食べた時に感じるシャキシャキ感は塊を歯で噛みしめる喜びである。
ウィンウィンの関係は、マルクス主義と矛盾する。
魂の現体化が進展中である。
シニフィエ・シニフィアンが全て解け、現体化が完了した時、魔族は人類をどうするだろうか?デカルト、ベーコン、ニュートン、ガリレオは生き残る可能性が高いが、それ以外は案外負けが込んでいると言える。
お星さまとごく小さい機能を持つ国と、疑える個人しか残らんよ。
小説がこのまま、魔族の構造転換を破壊出来なければ、そうなるんだよ。
朗は急いでいる。
状況を覆すには、長編小説を書く時間と教養の習得が欠かせなく、朗は、ガラケーのボタンを手の指で懸命に押し続けた。
地面をキスの嵐が見舞う。愛は作家達に流布し、人類最高の変革をもたらす。
キスから始まる午前三時であり、韓国の急場を救った朗は、雲に勝った朗は、歴史の闇雲に勝った朗は、新たな戦場を求めて、阿蘇の天然水が湛えられたマグカップを手にした。
星は瞬き、星辰の運行を変え、夜空には奇蹟が起きる。
全て、恋人達の愛情は貴し、ではある。
WORLD・LOVE。