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ある砂漠の竜のおはなし

ある井戸でのおはなし

作者: 烏十ヰ

 地平線までずっと茶色の砂が燃えていました。それほどに、昼間の砂漠は暑いのでした。水がなければ死んでしまいます。ですから、水を汲む役目はとても大切です。

 少女が一人、砂漠を歩いていました。村はずれの井戸へ、水を汲みに行く途中でした。ふだんは村を流れる川を使うのですが、今日はどうしても遠くの井戸へと行かねばなりません。村から少し離れれば緑の畑は消え、ずっと彼方まで砂の海です。重い足を一歩一歩ひきずりながら、少女はかんかん照りのお天道様の下を進みました。

 すぐに干上がってしまう細い川沿いの土地は豊かとはいえず、村にただ一本の隊商道はさほど大きくもありません。このあたりの住民は、川から引いた少ない水で、オオムギやヒヨコマメなどの作物を作っていました。そうしてできた作物を、時々やってくる隊商に売ったり、地主に納めたり、盗賊に奪われたりして暮らしていました。

 とうとう井戸へとたどり着きました。しかしそこで、少女ははたと立ち止まってしまいました。井戸の横に、見知らぬ男が立っていたのです。背が高く、見慣れない風体をしていました。村の者ではありません。男は水を汲むでも、太陽の光を避けるでもなく、ただ井戸の横に立ってじっと中を覗いていました。

「こんにちは、お兄さん。そんなところで何をしているの? わたし、水を汲みたいのだけれど」

 少女は話しかけました。すると、男はようやっと少女に気付いたように、顔を上げました。

「ああ、ごめんね。僕はただ、この水を見張っていたんだ。どうぞ、好きなだけ水を汲んでいっておくれ」

 少女は言われるままに、つるべを井戸に落としました。

「水を見張っていたって、どういう意味? あなた、村の人じゃないわよね。背が高いし、きれいな青色の髪をしている。それに、見たことのない色の刺繍をしているわ」

 少女の言う通り、男はこのあたりでは見ないほど、真っ黒な外套に身を包んでいるのでした。それは砂漠の日差しを受けて、うっすらと藍色の光を反射しました。

「きみは賢いね。その通り、僕はきみの村の人間じゃない」

「じゃあ、どこから来たの?」

 男は答えず、ただほほえみました。

「井戸に棲む竜の話を知っているかい」

 男が急に話を変えたことに少女は少し戸惑いました。

「井戸が涸れて困っていた竜にミルクをあげたら、お礼に金の卵をくれた話? そんなの、赤ん坊から老人まで、ここで育った人間ならみんな知ってるわ。欲張り息子が竜の尻尾を切り落としたから、怒った竜は井戸の水に毒を混ぜて息子を殺しちゃったんでしょう」

 男はゆっくりとうなずきました。

「僕は最近知ったんだ。――きみは、その話を信じるかい?」

「わたしが信じるかですって。あれはただのお伽噺でしょう。それともあなた、自分が井戸に棲む竜だとでもいう気?」

「だとしたら、どうする? ミルクをくれないと、この井戸に毒を混ぜる竜だとしたら?」

 少女はあきれたように肩をすくめ、つるべをひっぱりあげました。

「もし本当だとしても、今あなたにミルクをあげることはできないわ。ミルクも家畜も、何もかも足りないの。水もね。だからわたしがこんなところまで水汲みに来なくちゃならないんだわ。こうなったのも全部、馬鹿げたことで他の村と争っているせいよ」

「どういうことだい?」

 少女は、自分の村が水源地をめぐって他の村と争いをしているのだと話しました。長く続いた日照りのせいで、川の水が少なくなってしまったのです。隣の村は、細くなった川をせき止め、自分の村に水を引きました。そんなことをしたら少女の村の川はすっかり干上がってしまいます。争いが起きるのも、無理のないことでした。

「ただでさえ生活は厳しいのに、わざわざ争って余計に貧しくなるなんて、どうかしているわ。日照りが厳しいのなら、みんなで助け合えばいいのに」

 男は黙って、少女の話を聞いていました。少女はその様子をじっと見て、ふと眉をひそめました。それから静かに息を吸い、尋ねました。

「あなた、ひょっとして隣の村の人?」

 男は首を振りました。

「いいや、違う。僕はこの村に住んでいないし、他の村にも住んでいない。僕は村に住まないんだ。僕が宿るのは井戸だけさ」

 少女はやっぱり訝しげに、男をじろじろ眺めました。

「そうね。あなたみたいな人は見かけたこともないし、隣村の人間ならこの井戸に毒を混ぜるだなんて冗談でも言わないわ。ここの井戸水は、隣村にもつながっているんですもの」

 なるほど、と男はつぶやいて、少し目を細めました。

「少なくとも水はまだ引けるわけだ。……ミルクさえくれれば、僕らが毒を使う必要もなくなるのにな」

 少女は首を振りました。

「そんなことをすれば、わたしたちはあなたを殺さねばならなくなるわ」

 少女はもう一度、つるべを井戸に落としました。

「それは困る。でも、困っている旅人はこころよくもてなすのが賢明ではないのかい」

「変なことを言うのね。あなたはこの井戸に住んでいるのでしょう?」

 男は答えず、ただ黙ってほほえみました。

 少女は重たくなった革袋を、よいしょと持ち上げ言いました。

「じゃあ、わたしはもう帰るわ。ミルクもあげられないけれど、村に来れば一晩の宿くらいはある。井戸水に毒を混ぜるくらいなら、考えてみて」

 少女は村へと続く道を、一人帰っていきました。男はその背中に向かって、

「ああ、そうするよ」

 と言いました。

 そうして、男は一人になると、真っ黒なベールを取り出して頭に巻きました。顔まで覆うその長いベールは、日差しを受けて鋭い金属のように藍色に輝きました。

「助け合う、か。やはり住み処のある人間は奪うしか能のない我らとは考えることが異なる。残念なことだ。あんな賢い子まで殺してしまわねばならないとは」

 男は砂丘の向こうを見上げました。遠くに小さく黒い一団が、男の部族の仲間が、砂埃を上げてやってくるのが見えました。

「でも、僕らも生き残らねばならないんだ」

 かんかん照りのお天道様は、まだまだ沈む様子もなく砂漠を燃やしていました。

 このあたりの住民は、川から引いた少ない水で作物を作っていました。そうしてできた作物を、やってくる隊商に売ったり、地主に納めたり、

 盗賊に奪われたりして暮らしていました。


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