第五話 捜査(1)
電車の窓から流れる車窓を眺めながら、僕はため息をついた。
大きな都市だ……と改めて思う。
いくつもの高層ビルが立ち並び、天に向かって聳え立っている。まるで、この都市を中心に世界をが存在するかのような……そんな印象さえ思い浮かぶ。
だが、僕は生まれてこの方この都市しか知らない。
この日本最大の都市、紅都で生を受け、この紅都で育った。
だから、この海の向こうがヒトで無い者達の巣窟だという事がいまだに実感できずに居る。
いや、この国に住む、ほとんどのヒトがそのような実感をもって生きている。
学校で散々ヤクトやゾルガがヒトにとってどれだけ脅威であるのか教え込まれても、その教えている教師が実際に見た事はないのだから、いかに言葉だけで力説しようが、そこに説得力は無い。
ヤクトやゾルガが、どんな姿をしているのかすら、僕は知らないのだ。
僕が子供の頃、漫画等で扱われる事の多かった題材であるが、何故か10年ぐらい前を境に一切扱われる事が無くなってしまった。
その時に見た記憶では、黒いマントに長い牙……みたいな感じの、おどろおどろしい感じだったのだが……。
う~ん、本当は一体どんな姿なのか……
「な、な………って目…覚めたら…………居るんだ!!」
「だ……シロ寝て………もん。……電車ってやつ、私………解ん……し」
「だか…って……乗るや…………か!!」
「や……駄目な……」
「………ど……って………んだ!!」
………ん。
何か、遠くから声が聞こえる。この車両じゃない。別の車両からだろうか?
声からすると、男と女っぽいけど……痴話喧嘩かな? ちょっと気になるけど……よく聞こえないし。まぁいいか。
僕は、再び窓の外を眺める事にした。
とは言え、毎日眺めている代わり映えの無い風景だ。ぼんやりしているうちに、僕は職場へと辿り着いた。
◆
紅都署。
この紅都全域を取り締まる警察署。それが僕の職場だ。
最も、警察と言っても仕事自体はそれほど多いものではない。犯罪件数は月に10件あるか無いか、それが昨夜のような殺人となると年に数回程度。だから、僕のような刑事でもやっていけるという訳だ。
なんでまたそんな刑事という職業に僕がなろうと思ったかというと、まぁ亡くなった父親の影響なのだが……正直実際になってみて後悔はしている。
幼いころに憧れたものとはまるで違う世界。
毎日毎日書類整理だったり、たまに事件が起こってもひたすら聞き込みという地味な作業。事件が解決したとしても、爽快感などというものはまるでない。
常に携帯している拳銃なんかも、まだ一発も撃ったことがない。
果たして僕は、ここに居ていいのだろうか。
「はぁ……」
席に付いた途端、僕の口から溜め息が出た。
すると、ちょうど僕の側を通りかかった女性……シズナさんが気づいたようだ。お盆を抱えて歩いている所を見ると、お偉いさんにお茶でも出してきたのか。
「どうしたの?」
「いえ、昨日とうとうフラれちゃいまして……」
僕は自然と左頬を擦りながら答える。
「あらら」
シズナさんは、苦笑して僕を見た。
「私と仕事どっちが大事なのよ……とかお決まりの文句で平手打ちです。そんな事言ったって、仕事しなくちゃ食べていけないんだから仕方ないじゃないですか~」
僕はぐんなりと机の上に突っ伏す。
何というか、言葉に出したおかげで力が少し抜けた感がある。
「はぁ~~理解の無い人を選んじゃったのね」
あぁ……やはり、同じ職場で働いている女性は理解力がある。シズナさんは美人でやたらと包容力のある人だ。……だが、残念ながらその左手の薬指には既に誰かのものであるという証拠があった。
くそぅ、相手がやたらと恨めしい。
「そういえば、今日は随分と静かですね」
何気なくあたりを見回してみれば、刑事課は閑散としていた。
いつもなら、もっと騒がしいというのに、一体何があったというのだろう。
「あら、皆さん朝から忙しそうに動いていましたけど……何処に行ったんですかね?」
「えっ? 朝からってどういう事です?」
僕は時計に目をやるが、間違いなく今は出勤時間の10分前だ。一応、これでも遅刻だけはしたことはない。
「ええ、皆さん勤務開始の一時間前には揃っていましたよ。私は色々と準備があるので、朝は早く出勤する事になっているんですが、皆さんそれよりも早いので驚きました」
「えっ!? み、皆さんって辰巳さんも!?」
「ええ」
訳が解らない。
相棒の刑事をほっといて、何を勝手に動いているのか?
そもそも、何故自分には連絡が来ないのか。
試しに携帯電話の着信に目を向けるが、やはり連絡のあった形跡は無い。
皆が騒がしいという話を聞いて、頭に浮かぶのは、昨日の変死体。
やはり、ヤクトの仕業というのは本当なのだろうか?
……ふと、そこへ場違いな声が響いた。
「やっほー。紅都署の刑事さん達~~元気してますかな!!」
勢いよく扉が開かれ、その男はそんな何処か気の抜けた能天気な声を放った。
「………」
閑散としていた室内が、余計に静まり返った。
数少なかった他の刑事達と、シズナさんまでも凍りついたように止まっている。
声の主は、初めて見る男だった。
恐らく、僕と同年代か少し上。だが、その男を表すべき言葉がうまく思いつかない。
……あえて搾り出すとするなら、チャラチャラした感じ……と言うべきだろうか?
グレーの高級そうなスーツに、これまた高そうなネクタイ。
肌の色は、東洋人のくせに、髪の色は金髪だ。それでも顔立ちからしてハーフには見えないから、ただ染めているだけだと思われる。
まるで、どこぞのホストのような風貌の男だった。
男はしばらくの間、返答を待っているようだったが、どうも気まずい空気が漂っている事を肌で感じたようだ。顔を引きつらせて、苦笑いを浮かべている。
「フランク過ぎる」
その声と共に、何やら「ごすっ」という鈍い音が響いた。
「お、おうっ!!」
男は何やら腹部を押さえて、後ずさりをした。
そこで僕は初めて、男の隣に立つ少女の姿を認識した。
「あ、相変わらずの突っ込みだねぇアリスちゃん」
金髪男にアリスと呼ばれた少女は、男よりも一歩前へ出る。
僕は思わず息を呑んだ。
それは、まるで西洋人形のような少女だった。
腰まで伸びた銀色の髪に、ドレスのような紺色の服。それでいて、顔すらも何処か人形のように作り物めいている。まるで、本当に人形なのではないだろうかと錯覚すらするほどだ。
こんな美少女が、なんでまたこんなチャラ男と行動を共にしているのか、理解に苦しむ。
「あ、あの……どちら様でしょうか」
少女の登場でようやく氷も砕かれたのか、シズナさんが元に戻ったらしい。
アリスと呼ばれた少女は、シズナさんに目を向けると、律儀にペコリと頭を下げた。
「申し遅れました。私たちはレッド・カンパニーより派遣された者です。昨夜起こった“ヤクト”絡みの事件についてお話を聞こうとこちら伺いました」
ざわ……と室内がどよめいた。
レッド・カンパニー。
少女は確かにそう言った。
それは、この国の最大の企業の名。いや、企業というか、この国そのものと言っても過言ではない。
なにせ、そのレッド・カンパニーの本社があるからこそ、この都市の名は“紅都”と呼ばれるらしいのだ。
正直、僕はよく知りはしないのだが、この国をヒトのみの国家へと昇華させる事が出来たのは、このレッド・カンパニーの力があったからだと言われている。
この国の至る場所でこの企業のロゴは目にするし、電化製品から食品産業まで手広く様々な分野に手を伸ばしている事は知っているが、元々は何の会社だったかという事は、誰も知らないらしい。
噂によれば、何やら強大な後ろ盾が存在しているらしいが、詳しい事は何も明かされていない。
一体、そのカンパニーの人間が、どうしてこんな場所へ?
いや、そもそもなんで昨日の事件の事を知っているのだ?
「ヤ、ヤクト? 一体何の……」
シズナさんが、困惑したように首を傾げる。
……あ。そうだった。
あの事件にヤクトが関わっているという情報は、まだ僕たち限られた捜査員のみの極秘事項になっているのだ。それでなくとも、ヤクトが日本国内に入り込んでいるかもしれないという噂が広まれば、大変なことになってしまう。
「ああああ!! き、昨日の夜に起こった事件ですね!! その事件の担当者でしたら、辰巳刑事と言いまして、今は席を外していますが!!」
僕は慌ててその話に割り込んだ。さすがに、これ以上ヤクトだなんだのと言った話をこの場でさせるわけにはいかない。ここには刑事課と言っても、一般の人間だって入る事は出来る。何処に人の耳があるか解らないのだ。
そして、当の少女はといえば、しばし僕の言葉を吟味していたようだが、やがてほっと息を吐いた。
「……そうですか、困りました」
とは言っても、その表情はあまり困っているように見えない。
いや、そもそも最初からあまり表情が変化しているように見えないのは気のせいだろうか?
「ううん……じゃあカイト君、代わりにお話してもらっていいかな?」
「ぼ、僕ですか!?」
突然、シズナさんがそんな話を振って来た。
「だって貴方は辰巳さんの部下で、昨日の事件も一応担当でしょ?」
「う、うぅ……そうですけど」
うぐ……とんでもない事になってしまった。
よかれと思って話に割り込んだのに、こんな怪しい二人組と関われというのか。この場に居ない辰巳さんが本気で恨めしい。
「そんなら話が早いや。お兄ちゃん、よろしく頼むよ」
復活したのか、けらけらと笑って近づく金髪男の腹部に、またしても少女のボディブローが炸裂した。
あんな細腕で、なんであそこまで鈍い音が出せるのか、理解に苦しむ。
「私はアリス。こちらはサードと申します。どうぞよろしくお願いします」
目の前に、少女の白い掌が差し出される。
小さい……細い手だ。
「こ、こちらこそ」
僕は、顔が赤くなるのを感じながら、その手を握り返した。
何故か、握った掌がやけに冷たく感じた……が、アリスと名乗った少女は一瞬だけ手を触れたのを確認すると、すぐに手を離してしまった。
男としては、何やら屈辱的なものを感じてしまう。
ともあれ、仕事は仕事だ。