表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/14

第四話 来日(4)




 まぁ確かに信じられないだろうな。

 ただのヒトの拳がここまで効くとは。


 そんな馬鹿なはずはないと、女は振り払うように拳を振る。

 間違いなく、今度こそ当たれば俺の体は原型を保つことなく吹き飛ばされ、この船倉の壁に叩きつけられた事だろう。


 ……今回も、当たればの話。

 女は、腕に俺の身体が当たった感触を感じない事を不思議に思ったようだ。そして、その場に屈みこんで拳を避けた体制の俺と目が合う。

 再び驚愕。

 その隙を俺は見逃さず、屈んだ体制から勢いをつけ、その腹部に肘鉄を打ち込んだ。確かに硬いが、肘は女の腹部へとめり込んだ。別に、鉄のように硬いだけで本当の鉄なわけでもない。

 鈍い痛みが肘を通して全身に走るが、今はそれを無視する。


 次に狙ったのは、足元だ。

 俺は左足を大きく払い、女の膝裏を蹴り飛ばす。それによって女の体制は崩れ、その場に膝をつく形となった。

 今の俺の目の前には、女の頭部がある。

 目が合う。

 そこにあるのは、もはやヒトを見下していたそれでは無い。

 それは怯えきった瞳だった。

 俺は右の掌を振り上げ、その女の下顎を突き上げる。

 ゴキリ……という鈍い音が掌を通して伝わる。下顎は砕いた。……だが、こんなものは短時間のうちに再生してしまうだろう。

 それでも、大きく脳を揺さぶられた相手は、中枢神経が一時的に麻痺して、まともに動けなくなる。

 女は大きく仰け反り、下顎を砕かれた痛みとまともに動かなくなった身体に戸惑いながらも後退しようとした。


 だが、逃がすものか。

 正直言って、相手がまともな思考を取り戻して、距離をもって戦われたら俺に勝ち目は無い。こちらは残念ながら、脆弱なヒトの肉体だからな。

 俺は逃げようとする女に近付き、飛び上がってその側頭部目掛けて蹴りを放つ。無論、その程度では身体ごと吹き飛ばすといったような芸当は出来ないが、機能の一部を破壊する事は出来る。

 俺の放った蹴りは、女の耳に直撃し、その鼓膜を破壊する。

 これで、まともに音を聞く機能は失われた。


 このようにして、俺が狙う場所は全てが鍛えようの無い場所。つまりは急所と呼ばれる部位だ。

 ヤクトであっても、人間の形をしている以上はその構造は人間と変わらない。例え代謝機能が優れていたとしても、復元するまでには時間が掛かる。

 だから、俺はその隙をつく。

 相手が己の肉体の絶対的有利を過信している隙をつき、その自信を叩き折る。精神が大きく揺さぶられれば、冷静な思考というものは失われる。そうなれば、こっちのものだ。

 そうなった相手は、ただ力任せに暴れるか、逃げようとするしかない。どちらも、俺にとっては対処は楽だ。


 俺にこの戦闘方法を教えてくれた爺さんは、これを“技”と呼んだ。


 今はもう伝承の中でしか残っていない、人間が人間と戦うために編み出した力。元々はヤクトやゾルガといったヒト以上の力を持つ存在と戦うために生まれたものではないが、体格差や地力が違う相手には有効的な手段だ。

 実際、ただのヒトであるこの俺が、こうしてヤクトを追い詰めることが出来る。

 ……だが、この技が通用するのも、相手が少数の場合に限る。

 最も有効的に活用出来るのが、一対一。最大でも、三人までが限界か。というのも、もし万が一相手が冷静な精神を取り戻し、距離をもって戦われたり、連携でこちらの動きを封じられれば勝ち目は無い。

 何せ、こちとらたった一撃相手の攻撃を受けただけで、恐らくまともに動けなくなってしまう。

 一つ一つ、攻撃を避ける事が命がけの綱渡りの戦法だが、なんとかこれで今までは戦ってこれた。

 俺の仕事は戦争ではないからな。


「そんな馬鹿な! このわたしが!!」

「所詮は品種改良だな」


 喚く女に俺は冷徹に言い放ち、その背後へと回りこんだ。そして、その首元へと腕を回す。


「ぐっ!!」


 両腕を使って力の限り首を絞める。

 さすがに首自体が太いので苦労するが、この女の意識が落ちるまで時間の問題だ。


「ば、馬鹿な! ヒトがヤクトを凌駕するなど!! 貴様、ヒトでは無いのか!?」

「……ヒトだよ」


 そう、ヒトだ。

 再生能力もなく、拳を振るっただけで岩が砕けるわけでもない。

 弱い、ただのヒトだ。

 それでも……この世界に生きる権利はある。

 貴様等に食われるだけの存在ではない。


「……シロ」


 ふと、今まで口を挟まなかったセレクティアが俺の名を呼ぶ。


「残念だけど、時間みたい。対ヤクト装備で固めた連中が、ここにもうすぐ突入してくる」


 どうやら、外の様子を感知したようだ。

 なるほど、完全に仕留められないのは残念だが、この場合は仕方ない。正直言って、対ヤクト部隊の連中とはまともに戦って勝てるとは思えない。

 俺は、女の首から腕を放した。

 女はまだ意識は保っているが、もはやまともに身体は動かせまい。

 それでも、精一杯の抵抗か、怒りと憎しみをその瞳に浮かべてこちらを睨んでいる。

 そして、苦しげな声で吼えた。


「おのれ……貴様等はただの餌なのだ。安全な箱庭に逃げ込んだ所で、この世のルールが変わる訳では無いぞ。いずれ、貴様達は我等にとって支配される運命なのだ!!」


「純血でもないくせに、言う事はやはりヤクトだな」


 俺は踵を女の頭に振り下ろして、昏倒させた。

 ふぅ……これで煩わしい声を聞かずに済む。

 上着の襟を正し、服についた埃を払う。一応ざっと見てみたが、返り血の心配はなさそうだ。こんな真っ白い服だけに、汚れは異常に目立ってしまうからな。


 ふとセレクティアに視線を向けると、何故か悲しげな表情を浮かべて女を見ていた。

 ……何を悲しむ事がある?

 この女の身の上に、そんな同情の余地などあっただろうか?

 まぁいい。どうせ、俺には関係ない。


 そして、今度は女の連れ添いだった男に視線を向ける。

 男は、愕然と床に手をつけて項垂れていた。

 ……まぁ、こちらの気持ちは理解できる。

 なのだが、男はこんな言葉を吐いた。


「わ、私は愛していました。……ヤクトであろうと、その気持ちに変わりはありません。でも、あいつは……カレンは違ったのですね。私はただ……利用されていただけなんだ」


 ヤクトであろうと愛する……ねぇ。

 確かに美人であったのは認めるが、あの姿を見てそれでも愛していると言えるというのは感心する。

 どういった経緯で二人が出会ったのか、どんなドラマがそこにあったのかは俺は知らない。

 それでも、裏切られたと思うのはやっぱり辛い。

 確かに女は男を利用した。恐らくそれは、女を作り出したヤクトの思惑だったのだろうが、巻き込まれた当人にはその事実が全てだ。


 さて、俺はこの男に何を言うべきだろうか。

 ここまで関わってしまった以上、このまま放置というのも気が引ける。

 そうして俺が思案していると、セレクティアが口を開いた。


「貴方がどう思おうと勝手だけど、ヤクトってのは基本的に嘘とか人を騙すのって苦手なのよね。だから、必要を感じて貴方を利用していたとしても、その全てが嘘というわけじゃない」


 凛……と、その声が響く。

 その言葉を聞いて、男は顔を上げた。

 ……さすが。やはり、俺にはこの男の顔を上げさせるなんて芸当は出来そうにない。


「そ、それは……どういう?」

「つまり、どう感じるかは貴方次第。自分が楽になる方を選びなさい」


 セレクティアの声だけが響く。

 そして、次に男が俺たちに視線を向けた時には、そこには誰も居ない。

 まるで、幻想のような余韻が、その船倉を包んだことだろう。

 だが、それは幻想では無い。

 その証拠に、床にはたった今俺が昏倒させて女ヤクトが倒れているし、その数秒後には銃器で武装した集団がその船倉へと駆けつけた。


「君達は……一体」


 次々に起こる事態に翻弄されながら、男は呟く。

 そして俺たちは、その船を後にした。





「自分が楽になる方を選べね……そんなの詭弁じゃないか」


 船を離れ、俺はまず最初にそれを言った。

 その言葉に、セレクティアは淡く笑いながら答える。


「心穏やかに生きられるならそれでいいじゃない。どうせ、ヒトの命は短いんだから」

「ヒトの命……ね」


 ……確か、ヒトの寿命は80年程度だったか。


「むしろ、長い命を持つヤクトは、だからこそ心穏やかに生きられないのかもしれないわね」

「そして、短い命を持つゾルガは、だからこそ刹那的に生きているというのか?」


 思わず反射的にそんな言葉を吐いて後悔。

 くそ……出来るだけ、その事は考えないようにしていたってのに。


「じゃあ、俺は一体どっちなんだろうな」


 ああくそ。またしても後悔。

 何で言わなくてもいい事が口から出るかね。

 だが、セレクティアは今、俺が言った言葉を聞かなかった事にしたようだ。


「……行くわよ、シロ」


 俺をその名で呼ぶ。

 ほんの少し怒りが湧いたが、まぁ今は構わない。

 今の言葉を聞かなかったふりをしてくれた事が、俺には嬉しかったから。


 船で出会った男と女。

 あいつらと俺たちはある意味似ているのかもしれない。

 利用し、利用される関係とはまた違うが、俺は少なくともこの女を信頼している。

 ああ、信用ではなく信頼だ。

 そして、恐らくはセレクティアも同じ。

 だから、俺は決して隣を歩くこいつを裏切らない。






 ……例え、いずれ互いに殺しあう存在だったとしても。



 俺たちは、日本へと上陸した。

 ちなみにどうやって船の上から日本本土へと移動したか……だが、それを明かすのはまだまだ先だ。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ