第参話 来日(3)
「あ、あの……ここは船倉なのでは?」
その部屋へと辿り着き、男は当然の疑問を口にした。部屋中に所狭しと並ぶのは、他の乗客たちの荷物荷物荷物……。それはどう見ても、俺達の荷物ではない。
だが、ここは確かに俺達の船室だ。最も、別に承諾を得たわけでもなく、ただ勝手に居座っているだけにすぎない場所である。……つまるところ、要は、密航だ。
ともあれ、ここにこの二人を連れて来た事には当然ながら意味がある。
「か、身体が……熱い!!」
今まで黙っていた女が、騒ぎ始めた。その身体からはまるで蒸気のような煙が吹き上がり出した。それを見て、隣に立っていた男は思わず後ずさってしまう。これは、彼の常識に当てはめると明らかに異常な展開だった。いくら、体調が悪いと言っても、身体から煙が吹き出るなんて事はあり得ない。
……通常のヒトならば。
「お、おい、どうなっているんだ!? は、早く医者に診せないと!!」
慌てふためく男を尻目に、俺達は冷静に女の様子を観察していた。
「ふぅん……これがゲートの特性ってやつか」
「見たところ、第3世代か第4世代という所だけど、やっぱりヤクト因子はここを潜り抜けられないのね。実際に見るのは初めてだから、いい勉強になった」
うんうんと頷くセレクティア。その言葉に、男は敏感に反応する。
当然ながら、反応したのはこの単語についてだ。
「ヤ、ヤクト? 一体、何を言っているんだ!?」
……さて、こいつもいい加減現実と向き合う時だな。
「だから“いろいろ困難”だと思うが頑張れと言っただろう。そいつはヤクトだよ」
そんな事、俺はとっくに気づいていた。別に、ヒトに紛れたヤクトに会うのは、これが初めてというわけでもない。
この女がどういう魂胆でこの男に近づいたのか、何のために日本へ向かおうとしていたのか。そんな理由は正直どうでもいい。それでも、目の前でこうしてヤクトとして姿を現したのなら、このまま捨て置くわけにはいかない。
何というか……俺達の旅の性質上、いろいろと面倒なことになるからだ。
「そ、そんな!! カレンはヒトですよ!! ヤクトの特徴なんて何処にも!!」
カレン……そういう名前を持つらしい女を、俺は改めて見た。
……確かに、そこにヤクトの特徴は無い。
ヤクト族の特徴、それは
血の色を連想させる赤い瞳。
肌の質感を感じさせない病的なまでの白色の肌。
そして、ヒトよりも明らかに巨大な犬歯。……つまりは牙。
確かに、そのいずれもこの女には見当たらない。
だが、そんなもの別に珍しくは無い。
「ヤクトの特徴……? こういう事かしら?」
女の顔の表面にピキピキとひびが入る。そして、その肌がまるで壊れた陶器のように崩れ落ちた。
その下から現れたのは、病的なまでの白い肌。そして、赤い双眸。
確かに、今挙げたヤクトの特徴に当てはまる。
加えて、その背から、蝙蝠を連想させる巨大な黒い翼が広がった。まるで己の存在を誇示するかのような威圧が、カレンというから放たれる。
「ひ、ひいぃぃっ!!」
男はその光景を見て腰を抜かし、その場にへたり込む。
それを見て女はやや幻滅したように顔をしかめて見せた。
「酷いわね。私がどんな存在でも愛してくれるんじゃなかったの?」
ゆっくりと歩を進め、男へと近寄る。
最も、男の反応はしごく当然なものだ。意図はどうあれ、女は男を騙した。男は、あの誇らしげに語る様子からして、心底女の事を信頼していたのだろう。
「わ、私を騙したのか!?」
「こんな所で明かすつもりは無かったけど……ゲートとやらの特性は思っていたより優秀なようね。私のように品種改良を重ねてヤクトの血を薄めた者であっても姿を隠す事が出来ないなんて……」
ゲートを通り抜ける手段。それは、日本という国がその存在を主張し始めてから、何度と無くヤクト側が試してきた事だった。
そして、その結果生まれたのが、品種改良によってヤクトの血を薄めた存在。第二世代、第三世代と呼ばれる者達。ヤクトの血を薄めた為、その力そのものはグレードダウンしてしまったが、ヒトにとってはそれでも十分脅威な存在だ。
「それで、どうするつもりだ?」
「こうなってしまったら姿を隠す意味は無い。それに、自力で飛ぶには陸地から離れすぎている。ならば、この船は私が貰う!!」
開き直ったのか、目の前のヤクトの女はこう宣言した。
俺たちは顔を見合わせると、はぁ…と溜息を吐いた。
「ヤクトらしい考え方ね」
激しく同意。
欲しいものは力尽く……それはヤクトもゾルガも共通の意識だ。だからこそ、こんな弱肉強食の世の中になってしまったのだろうな。
やがて、セレクティアが俺の肩をポンと叩いた。
「シロ、行って来なさい」
「俺かよ。その前にシロって犬みたいな呼び方すんな」
「何言ってんのよ、あんたの名前は日本語にするとシロでしょ?」
「だから呼ぶならシロウと語尾を伸ばせ」
「別にどっちだっていいじゃない」
「こっちのモチベーションの問題だ!」
「んもう、めんどくさいなぁ。意味は通じるんだから別にいいじゃないのさ」
「めんどくさいとか、そういう理由で他人の名前を変えるな」
「だから、シロも私の事はセティって呼んでいいって言ってるでしょ」
「嫌だね。誰が呼ぶか」
「しっつれーい。私が愛称で呼ばせるなんて、めったに無いことなんだよ。今まででも、えーと……5人。5人しか居ないんだからね」
「ああ、いいから。その権利は他の奴にとっとけよ」
「本当にしっつれーい。いいもんね! 意地でもシロって呼んでやる」
「もういいよ。面倒くさくなったから、好きに呼べよ」
「あー言ったね! 覚えておくからね、その言葉!!」
本気で面倒になってきたので、いい加減にヤクトの女を振り返った。
ヤクトの女は、何やら怒りに身体を震わせている。
……はて、何か怒らせるような事を言っただろうか。見れば、男の方も呆然とこちらを見ている。
「き、貴様ら! 舐めているのか!!?」
何はともあれ、やる気なのはいい事だ。
俺は挑発気味の表情を作り、女へとずいと一歩踏み出した。
「ごちゃごちゃうるせぇな! こっちに手を出すなら、こっちもそのつもりで行くぞ! それでいいんだな!!」
「おっ! やる気になったじゃん!」
人がせっかく戦ってやろうってんだから、水差すんじゃねぇ!
「ヒ、ヒトの分際で!! いいだろう、貴様から食ってやる!!」
女の身体が一瞬のうちに肥大化した。
細かった華奢な腕は、まるで大木のように膨れ上がり、足も同様に巨大化する。
おおよそ、今までの1.5倍になったようなものだ。
これが、ヤクトの特性の一つ。
一般に、魔力開放と呼ばれる形態だ。ヤクト族は、接近戦においては遥かにゾルガ族に劣る。その為、彼らの戦闘方法も魔法と呼ばれる遠距離攻撃を重点としたものになっていた。
だが、長年の研究の末、接近戦でもゾルガと渡り合える方法を編み出した。
それが、本来魔法を操る際に使用する魔力を、己の身体に付与するこの方法だ。
使用時間は限られるが、蓄えられた魔力の分だけ、通常よりも数倍のパワーを得る事ができる。
……だが、別にそんなものは脅威でもなんでもない。
女は俺に肉薄し、その腕の間合いに俺の姿が入るな否や、拳を振るった。
ビュン……という空気を引き裂く音が聞こえる。
その大木のような拳で殴られれば、いくら俺の身体と言っても、同じ形を保つ事は難しい。
……まぁそもそも、当たればの話だ。
俺は身体を僅かにズラしてその拳を避ける。俺の鼻先を拳が通過するが、何てことはない。
「!!」
女の顔が驚いたように歪む。
だが、驚くのは少し早い。
俺は滑るようにして女の腕をすり抜け、俺の間合いへと入る。
そして、攻撃を放った後で無防備な身体目掛けて、ただの掌を打ち込んだ。ああ、何の変哲もないただの掌。爪も無く、特に大きいわけでもない。
拳ではなくて掌なのは、殴りつけるには魔力開放したヤクトの皮膚は少々硬いからだ。そんな鉄のような皮膚を生身の拳で殴りつければ、こちらの手が壊れてしまう。
無論、そんな身体に掌をぶつけた所で、痛いのはこちらだけのはずだが、この場合は別にそうでもない。俺が打ち込んだのは、相手の脇腹辺り。
そして打ち込んだ掌を、ぐいと捻った。
「ガハッ!!」
途端、女は苦しむように息を吐き出した。そして、信じられないものでも見るような瞳で、こちらを見据えた。