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第弐話 来日(2)




 俺は苛々しながらフェリーの渡り廊下を歩いていた。

 こんなにも腹が立っているのには当然ながら理由がある。元々、俺はこの船という大きな乗り物が好きではない。

 ……何というか、俺はどうも乗り物しやすい体質らしい。それが約7時間にも渡る長旅。いや、今まではもっと長い旅もあったから、別に耐えられないわけではない。それでも、この体質がそう簡単に治る訳もなく、酔い覚ましの為にこうしてたまに風に当たりながら散歩をしていたというわけだ。


 そして、ある程度酔いも治まり、自分の船室へと帰還したのだが、そこにあるべき人物は居なかった。

 自分の旅の同行者。……うむ、この表現がしっくりくる。

 その女は船室から姿を消していた。


「あの女……何処行きやがった! ったく、少し目を離したら勝手に動きやがって!!」


 こんな事態、別にこれが初めてというわけではない。何というか、放浪癖があるというか、じっとしているのが苦手というべきか。己の好きな事に没頭している間は、まるで別の生物のように大人しい癖に、それに飽きるとこうして意味も無く辺りをうろつく癖があのだ。

 全く、ただでさえ目立つのだから、こんな場所では可能な限り大人しくしてほしい。

 ……まあ、それも無理な話か。あいつとは数年の付き合いになるが、とにかく狭い場所に閉じ込められる事を嫌う。だから仕方ないとは思うのだが、こうして探し回るのはいつも俺の仕事だ。いい加減、うんざりする。


 ……ふと、その時ぶぉーという霧笛の音が響いた。

 そして、その音を聞いて、今まで船室に閉じこもっていた乗客たちが、我先にと甲板に飛び出していく。


「ああ、あれがゲートというやつか」


 海の先に、それが見えた。

 表現するならば、巨大な光の壁だ。それが目に見える範囲……果ては地平線の向こうまで広がっている。高さは雲の上まで届き、航空機でさえそれを飛び越す事は困難だろう。

 その光の壁、通称ゲート。それは、日本全域を覆っているという話だ。そして、それ自体がある種の結界の役割を果たしているらしい。この結界があるからこそ、ヒト以外の種族は日本へと入り込む事は出来ない……という話だ。


「もうすぐ日本よ!」

「これでもう、ゾルガやヤクトの横暴に耐えなくて済むんだな!!」

「あそこで新しい人生を掴むんだ!!」


 ヒト達の歓喜に満ちた声が聞こえる。その声は、夢と希望に満ち溢れて聞こえた。

 それはそうだ。ただ、支配されるだけの存在だったヒトが、唯一自由に生きられる都市。それが日本。

 世界中のヒト達にとって、唯一の楽園だ。


「新しい人生……ねぇ」


 ……最も、全てのヒト達がこうして日本へとたどり着けるわけではない。日本という国は海に囲まれた島国であり、陸路で入国する事は不可能。よって、道は船に限られるのだが、この船に乗る条件はかなり厳しい。

 そして、よしんば辿り着けたとしても、別に生きる事が無条件に許されるわけではない。

 日本へと向かう決意をした時、俺達は様々な情報を仕入れ、万全の体制を整えている。手に入れた情報の中では、正直言って好ましくないものも含まれていた。

 それを、このヒト達は理解しているのか……。


「おっと!」


 そんな事を考えながら歩いていたせいだろう。前から歩いてきた二人連れにぶつかってしまった。なんとも情けない。


「ああ、どうもすみません」


 ぶつかったのはこちらだというのに、その二人連れ……若い男女という事は夫婦か恋人といった所か……のうちの男が丁寧に頭を下げた。


「いや、こちらこそ悪いな」


 頭を上げた男は、俺の事をそこで初めてしっかりと視認したのか、思わず息を呑んだ。

 原因は、俺の容姿だ。

 それについては慣れているので、別に心が傷つくといった事は無い。

 外見としては、東洋人故に年齢が幼く見えるとよく言われるが、相手も東洋人だから、見たまんま……大体10代後半から20代前半だと感じただろう。

 だが、俺の髪の毛は、色素を全く感じない、まるで老人のような白髪だ。驚かれるのは慣れているが、別に染めたわけでもなく、生まれつきなのだからどうしようもない。

 そして、それに合わせるように俺の服は白を基調にコーディネイトされていた。俺としては別に着る服などどうでもいいのだが、これはあの女の趣味だ。特に断る理由もないので、このまま着ている。


「あ、失礼。……東洋の方ですね。お生まれは何処ですか?」


 まじまじと見つめて失礼と思ったのか、慌てて話題を変えてきた。


「生まれは定かじゃないんだが、育ったのは桂琳けいりんの山奥だ」


 問い自体は別に不快ではないので、正直に答える。

 桂琳……かつて中央共和国と呼ばれていた国の地域の名称だ。その更に山奥に、俺の暮らした村はある。……訂正、あったの間違いだ。


「桂林ですか。あそこは美しいと聞きます。実に羨ましい」

「そうでもないよ。俺の住んでいた村は、ゾルガとヤクトの戦争に巻き込まれて滅んだからな」

「そ、それは……辛い事を思い出させました」


 と、恐縮したように頭を下げる。どうも、見た目どおり人が良いようだ。


「いや、別に気にしてないよ。ところでアンタは?」

「私は上海シャンハイから。そこで日本の住居権とこの船の乗船券を手に入れました。元々技師としてゾルガに雇われていたのですが、やはり家族と共に暮らすのなら、平和な地の方が良いですからね」


 なるほど、技師として雇われていたという事は、かなりよい環境で知識を得る事が出来たということか。それだけで、この男は恵まれていると感じた。

 ヒトはヤクトやゾルガに比べて知能が高いらしい。だから、ヤクトやゾルガの都市でヒトは技能士や政治家として雇われる事も多い。

 最も、全てのヒトがこうして良い条件で働けるわけではない。いくら知能が高くても、きちんとした環境で勉強したり鍛えたり出来なければ、何も身に付かない。生まれながらに何でも出来る種族など、あり得ないのだから。


 そして、ふと男の背後に控えていた女性に目が留まる。

 同じ東洋の出身なのか、なかなかつややかな妙齢の女性だ。中央共和国の民族衣装……チャイナドレスでも着込めば、さぞかし様になるだろう。


「家族……後ろの?」

「はい、日本に着いたら結婚する予定です。そこで子供を作り、平和な家庭を作ります」


 幸せそうに語る男を、俺は思わず眩しいと感じた。


「そうか、“いろいろ困難”だと思うが頑張れよ」

「はい!」


 見た目では、俺の方が完全に年下だというのに、男は丁寧に返事をした。

 その言葉は誇りに満ちていた。日本にたどり着いたとしても、全てが順調にいくわけではない事は男も理解しているだろう。

 この船の乗船券と日本への入国許可証を得たとしても、住む場所から働く場所まで全て用意されているわけではない。住居に関しては、入国した時点で、ほぼランダムに国内の何処かに割り当てられるらしい。


 最も、金さえ払えば望む地に住居を構えられるらしいが、日本最大の都市である“紅都こうと”だけは無理だ。


 あの地だけは、入国して3年が過ぎなければ、都市内部へと入る事も不可能だ。

 右も左も解らない国で、最初からやり直すというのは思っている以上に困難だ。それでも、この男はそれを苦と思っていない。

 それが、今の俺にはとてつもなく眩しい。

 信頼できる道連れが居るだけで、こうも前向きになる事が出来るのか。

 だというのに、俺の道連れは……


「あ、居た! おーいシローっ!!」


 声がした。

 そして、すたすたとこちらに向かって歩を早めているのが音で解る。周りに居た乗客たちが、その姿を見て息を呑む様子が感じられる。

 ただでさえ目立つというのは、こういう事。

 この女、自分がどれだけ周囲の注意を集める存在であるかという事を理解していない。


「てめぇ……」


 俺はひくひくと頬を引きつらせ、その女を振り返った。

 外見だけで言えば、男の婚約者よりも美人だろう。長い黒髪に、黒いドレスのような衣服。ほぼ、俺と対極のコーディネイト。とにかくこの女は黒というものを好む。


 名前は、セレクティア。苗字も確かあったと思うが、やたら長ったらしいのであまり覚えていない。

 身長は俺とほぼ同じ。女にしてはそこそこ長身なので、近くに立つと俺の方が小さく見られる。主にヒールのある靴のせいだ。

 チッ……俺だって170はあるというのに。


「全く、何処をぶらぶらしていたのさ。目が覚めたら姿が見えないから、おかげでこっちは日のあるうちから船の中を探すハメになったじゃない」


 などと言い出した。

 何処の口でそんな事をほざきますか?


「おや、お連れの方ですか?」


 プルプルと怒りに震えていると、先程の技師の男が尋ねてきた。それに、俺は「まぁな」と答える。確かに連れには違いない。違いないが、あまり認めたくは無い。


「そりゃこっちの台詞だ。船室に戻ったらてめぇの姿が見えないから、こっちは散々探し回ったんだぞこら! 大体自分がどういう立場か解っているなら、日のあるうちからぶらぶらしているんじゃねぇよ」


 するとセレクティアはこちらと同じく憤慨した様子で腰に手を当てた。


「仕方ないでしょう。いつまでも狭い船内に閉じこもっていたら気が滅入るっての。アンタはいいわよね~自由に動き回れて」

「てめぇと四六時中一緒に居るんだ。せめてこんな短時間くらい自由にさせろ」

「それはこっちも同じ気持ちよ。私だって自由な時間くらい欲しい」

「……てめぇが自由じゃないとでも言うのかよ」

「シロ……アンタ、自由って言葉の意味理解してないのね」

「だからシロって呼ぶんじゃねぇよ!」


 こうなるといつもの事だ。とりあえず言いたい事を言って双方の気持ちを発散するしかない。しかしまぁ、顔を合わせた側から口喧嘩とは、俺たちはいつもこんな感じだな。

 世の中には喧嘩するほど仲が良いという格言があるが、俺たちの場合はそんな事は無い。というか、非常に悪い。

 やがて、その様子に気圧されたのか、技師の男が尋ねた。


「あ、あの……お二人はどのようなご関係で?」

「「腐れ縁」」


 俺達は意図せずとも、異口同音に答えた。


「は、はぁ……」


 それは本当に奇妙な縁だと言うしかないだろう。

 男としては、てっきり恋人か何かの関係だと思っていたようだが、それは確実に違う。確かに、髪の色も肌の色も違うのだから、とても血縁関係には見えない。だが、だからと言って恋人とか夫婦の関係はあり得ない。恋人という事は双方の間に愛とかいう感情があるものだろう?

 俺達二人の間にそんなものは無いし、恐らくこの先も無いだろう。

 ならば、何故こうして共に旅をしているのか……。

 それは……


「………うげ。なんか気持ち悪りぃ」


 変に頭を動かしたせいか、俺は思わず嘔吐感に襲われる。咽喉に酸っぱいものが込み上げ、頭がクラクラする。何というか、頭と体が別のものになったような感じだ。


「本当に弱いのね」


 何やら呆れたというよりは、気の毒そうにセレクティアは言う。


「うぅ……ほっとけ。こればっかりは体質だ」

「はいはい。ほら、そっから顔出してげーげーしなさい」

「うぐぐ……悪い」


 俺はセレクティアの手を借りて甲板の手摺りから顔を出し、海に向かってとりあえず溜まっているもんを吐き出す。セレクティアはと言うと、いつもの如く俺の背をさすっている。

 ふぅー…だいぶ楽になった。

 そして、その様子を見ていた男が一言。


「やっぱり仲は良いんじゃないですか?」


 ……なんでそう思う?

 ちらりとセレクティアを見ると、こちらも不思議そうに首を傾げていた。


「!!」


 途端、俺達全員……この船に乗る乗客たち全員に悪寒が走った。

 ゾクリと、何か冷たいものが体内を駆け巡る感触。……それは、まるで冷たい手で内臓を直に触られている感覚に似ていたが、幸いな事にそれは一瞬で済んだ。


 つまりは、これがゲートを通過するという事だ。

 光の壁を通過する際、その壁は俺達の肉体の隅々までを視る。いや、探るという表現が正しいか。

 体内にヤクト因子、またはゾルガの因子が紛れていないか、事細かに探る。この船に乗っている限り、このチェックを避けて通る事は出来ない。それは、俺達も同様だ。

 そして、目の前の二人も……。


「うっ!!」


 “やはり”目の前のカップルのうち、女の方が苦しみだした。


「ど、どうした?」


 婚約者のただならぬ様子に、男が慌てて側にしゃがみこむ。だが、女は両腕を抱えて震えているだけで、何も語らない。男はその額に手を置くが、すぐに手を離す羽目となった。


「すごい熱じゃないか! せ、船員の人を呼んで薬を貰わないと……ああいや、その前に横にならないと」


 慌てふためく男を見て、俺はセレクティアと顔を見合わせた。

 仲は悪いが、この女の言いたい事は解る。

 澄ました顔でこちらを見る顔は、「まぁ……いいんじゃない?」と言った所だろう。

 セレクティアの了承も得た。後は、この二人だな。


「ここからなら、俺達の船室が近い。とりあえず、ここを離れよう」

「た、助かります!」


 ……と、男は礼を言うが、それは間違いだ。

 この先、男にとっては辛い現実が待ち構えてる事だろう。それでも、とりあえずは人目だ。これから起こる事を、他のヒトには見せるべきではない。

 俺とセレクティアは二人に手を貸し、とりあえずは気分の悪くなった客を装って、自分達の船室へと向かった。

 だが、その途中で男は次第に疑問に思った事だろう。

 何故、船室へ向かうのに、下へ降りる必要があるのか……と。




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