愛多ければ憎しみ至る3
午前中の陽気は一転して曇天に変わり、鉛色の空からは真白の雪がひらひらと舞い落ちてきた。
天気予報のお兄さんによれば、今晩は吹雪になるらしい。
妖怪の襲撃よりも、そっちの方がずっと憂鬱である。
「なあ、あの小春の作戦、本当に上手くいくのか」
「妾にはてんで分からぬ。あまりに専門外の話なんでな」
「自信ありです。灰色の頭脳をもつコタツ探偵小春ちゃんの推測に間違いはないですよ」
秋の日は釣瓶落としというが、冬の序盤はもっと日暮れが早い。
外はすっかり暗くなってしまっており、僕たちはリビングのソファの上で僕の作ったクッキーを頬張りながら、敵の襲来をジッと待っている。
クレナの話だと、蜘蛛は音もなく屋奥に侵入し、いつの間にか敵の懐に入り込み攻撃を仕掛けてくるアサシン系の妖怪であるらしい。
「むっ、どうやらきたみたいじゃぞ」
モッチャモッチャとチョコクッキーを咀嚼しながら、クレナはピーンと耳と尻尾を立てた。
敵の侵入を察知したらしい。
「どこにいるのか分かるか」
「――ダメじゃ。正確な位置は分からぬ。やはり隠密に長けておるわ。侵入を察知できた妾をもう少し褒めた方が良いぞ」
「よしよし」
「〜♪」
頭を撫でてやると、クレナは目を細めてニンマリ笑った。
「あっずるいです。作戦が成功したら小春もお願いしますよお兄さん」
「それはいいけど……。本当に上手くいくのかな、そのアイテム」
「問題ないです。相手がどこに潜んでいようが、この兵器の前には無力。紅さま、これが作動したら結界を頼みます」
「あいわかった」
そう言って、小春はその道具を取り出し、フタを外してなにやらその中にあるものを擦り始めた。
するとモクモクモクモク煙が出てきて、あっと言う間に部屋の中が煙で覆われる。
家具はビニールで包んでおり、その他の準備も説明書通りにキチンとこなした。
――バル◯ン。
家庭内にいる嫌ーな虫を一網打尽にしてくれる、部屋全体を対象にした殺虫商品である。
僕たちの周りは、クレナがはっている結界に守られているので安全だ。
さて果たして効果のほどは……。
「ぐああああああああっ!!!」
ドシン!とものすごい音を立てて、巨大な蜘蛛が天井から机に向かって背中から落ちてきた。
足をカサカサと慌ただしく動かしており、ダメージを負った虫ってかんじがする。
哀れ土蜘蛛――戦わずして現代兵器の前に散るがいい。
「ほう、透明になってこの部屋の天井に張り付いていたのか」
「くそおお! 卑怯者め! こんな、ふざけた手段で! もっとこう――他になかったのか!」
机の上でひっくり返りながら、我々の作戦に文句を言ってくる土蜘蛛。
寝込みを襲ってきたお前に言われる筋合いはなかった。
「勝てばよかろうなのです。さあお兄さん、小春を撫でるがいいです」
「よし、よくやったな」
そう言って小春の頭に手を伸ばそうとした束の間、土蜘蛛の尻の部分がピクピクと動いていることに気がついた。
そこからブシャアと飛び出てきた蜘蛛の糸が、小春の身体を包み込んでいく。
「小春!」
「むっまだこんな力があったですか」
あくまで冷静な小春だったが、ものすごい力で引っ張られた彼女は蜘蛛に引き寄せられ、その首元には土蜘蛛の口があった。
「ふふ、ふ。この女も頼光の匂いがするぞ。動くなよ、妖狐に優男。少しでも動けば、この首にガブリだ」
「あ、あ、よせ、もうそれ以上近づくな!」
俺は慌てて忠告するが、それを土蜘蛛が聞き入れるわけはなかった。
「いいぞ、いいぞ! 頼光に瓜二つのお前の恐怖に歪む表情、そいつが見たかったのだ!」
「やめろ、まだ間に合う、小春から離れろ!」
「馬鹿め、貴様は妹が私に食われる様をそこでみておれ――ん? 間に合うとな?」
「離れろ土蜘蛛ーー!!」
俺が心配しているのは小春ではなく土蜘蛛だった。
「お兄さんに手を出そうとした挙句、私に危害を加える害虫が。蜘蛛は益虫であるという考えを今ここで改めようと思います」
「何を言って……」
右腕の動く小春は、腰につけていたスプレー管を取り出して、そのノズルを土蜘蛛の顔面に向けた。
「死ね――蜘蛛絶対殺す薬」
ブシュウウウウウウ!
「んぎゃあああああああ!!!」
殺虫剤が土蜘蛛の顔面に直撃した。
あのスプレー、めっちゃ強力だから夏場とか重宝してるんだよな。
だから近づくなって言ったのに。
こうして毒の波状攻撃を受けた土蜘蛛は完全に沈黙し、脅威は去っていった。
大活躍の小春はいつもより多めに撫でておいた。
◆◇◆
「しくしくしく。しくしくしく」
「あのー。何なんですかねぇ……」
リビングのソファには俺を中心に小春とクレナが。
机を挟んで対面のソファには、黒髪をボブカットにしている赤い和服のお姉さんが、袖を目尻に当てて涙を流していた。
「ああ、酷い。何で私はこんな酷い目に遭わなければならないのでしょう。モシャモシャ」
「えーと、一応聞くけど、あんた誰?」
「私は先ほどの土蜘蛛にございます」
どうやらこの切れ目美人でお胸の大きな女の人は、さっきの土蜘蛛らしい。
僕の作ったクッキーをさも当然のように食いながら、僕の前でさめざめと涙を流している。
「何で酷い目にって――そりゃ襲ってきたから反撃しただけだけど」
「聞いてください、私の悲しい昔話を」
「いや……」
「あれは都が平安の時代。葛城の山でのことでした」
問答無用で語り始めやがった。
何でもこの土蜘蛛、襲ってくる人間を殺して食う以外には悪さはしておらず、それ以外は葛城の山というところでひっそりと暮らしていたそうだ。
ある日のこと、その山に現れたのが僕の先祖である源頼光だったらしい。
山で剣の素振りに打ち込む頼光に一目惚れした土蜘蛛は、何とかして彼に近づきたかった。
そこで手下の子蜘蛛に彼の周囲を探らせた所、頼光が病で伏せっているという情報を入手。
これ幸いと、土蜘蛛は薬草を煎じて薬を持参し、法師に化けて頼光に接近したそうだ。
「それで、どうなったんだ」
「一瞬で妖であることがバレて、源氏相伝の宝刀膝丸にて切りつけられました」
「ああ……」
まあ、妖怪キラーの前に妖怪が現れたらそうなるわな。
「そのあとは頼光の手下をけしかけられて、集団でボッコボコにされて重傷を負い、土の中で傷を癒すためにずっと潜んでいたのです」
「そうか……。よく北海道まできたな」
「はい。目覚めるとあなたの気配を北方に感じましたので、新幹線に乗ってきました」
「ええ……」
土蜘蛛、新幹線に乗ってきたよ。
「そしてつい、怒りのあまり自我を見失って襲ってしまったのは申し訳ないと思っておりますが、まさか膝丸同様の武器で切りつけられた上に毒でいたぶられるとは……。おかげで暴走は止まりましたけれど、私の心と身体の傷は深いままなのです」
「うーん、そうか。結構大変だったんだな。身体の傷は残っているのか」
「はい、この通り」
そう言って土蜘蛛は着物をばっと開いて、胸をさらけ出した。
本当ならじっくり胸を眺めていたいが、それよりも目立つのは刀傷。
大きな胸の下の部分には、十文字の傷が深く刻まれている。
「一筋が膝丸、もう一筋が雪切丸にて付けられた傷にございます」
「雪切丸の傷は正当防衛だけど、膝丸の方はちょっとかわいそうだな。よし、少し待ってろ」
俺は自室に戻ってあるものを取ってきた。
そしてそれを机の上、土蜘蛛の目の前に置く。
「――はて、これは?」
「なんか昔、助けた河童からもらった薬。どんな怪我でも治せるらしい」
昔、川でビニールを吸い込んで溺れそうになっていた河童を救助したら、そいつが河童界の経団連の重鎮の娘だったらしく、お礼にと頂いた代物である。
「なんと! ではまさか……河童の妙薬でございますか!」
「いや知らんけど」
土蜘蛛は、目を皿のようにして食い入るようにその薬の入った小瓶を凝視している
その薬を手にとってクレナがジッと見定めた。
「おお、間違いないぞ。河童の妙薬じゃ。珍しい。時価にして三億はくだらん」
「マジ?」
そんなにすげーもんだったのか。
さすが河童きゅうり経済の黒幕がくれただけのことはある。
「あの……これを私がいただいてもよろしいのですか?」
「ああ、構わんぞ。先祖の不始末だからな」
「私が嘘を申しているとは思わないのでございますか?」
「思わん。早く飲め」
俺がそう強く言うと、土蜘蛛は綺麗な所作で瓶を手に取り、グビリと一気にいった。
ゲームでよくある回復薬のように身体が光るとかそういうことはなかった。
「どうだい?」
「嗚呼……心地よい。深く刻まれた身体の傷。そして心の傷までもがあなた様のお陰で癒されてゆきます……ほら」
そう言って土蜘蛛が再び胸をさらけ出した。
そこに十文字の傷はなかった。
「おお、本当に効いたな」
「はい。ヒカル様……このご恩は一生忘れませぬ。この土蜘蛛、あなた様の忠実な僕となり、身も心もすべてあなた様に捧げることを、今ここに、大蜘蛛神に誓い奉りましょう」
そう言って土蜘蛛はソファから降り、カーペットの上で三つ指をついて頭を下げた。
「ほう、何でも言うことを聞くのか」
「はい、何なりと」
「そうかそれなら――」
そう言って俺はカーテンを開けて窓の外を見る。
今宵は吹雪。
ならば。
「雪かきだな!」