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第3話:魔界






 周囲を見渡す。

 

 あたりは暗黒。

 足下が妙に柔らかい。

 ナオジは鼻腔を突く混沌とした臭みの中、土と葉の匂いを判別する。

 ベルトポーチから懐中電灯を取り出し、点灯。

 一条の光が、何本もの木々を照らし出す。

 

 林か、森の中だとナオジは思う。

 樹の種類は分からない。

 木は奇妙にねじくれ、枝や幹から触手のような根を地面に下ろしていた。

 ナオジはその根が地面のあちこちにびっしりと生えていることに気付く。

 木が全身で地面にしがみついているようにも見えた。

 

 それから、ナオジはライトで上方を照らす。

 

 根を垂らす枝がいくつも分岐し、無作為に黒い葉が密生していた。

 枝という枝が重なり合い、天然の天井と化している。

 枝葉の向こうの空を垣間見ることさえ出来なかった。

 

 しかしそのときのナオジが最も警戒したのは、やはり鼻を刺激する悪臭だった。

 

 何の臭みが最も近いだろうと彼女は考える。

 魚介の生臭さや、動物的な匂い。

 無機質な人造物とは正反対の、大量の生物が発する腐った臭気だとナオジは思う。

 

 そして彼女は、懐中電灯に照らされた森の枝が、がさりとしなる音を耳にした。

 


「っ!」



 音の方へ明かりを向ける。

 

 その光は、何かの影が枝の上を移動するのをナオジに示す。

 影は森の闇の中へ潜り込み、ナオジが懐中電灯の光を向けてももはや判別することが出来ない。

 

 木々の枝がざわめく。

 

 今度は先程よりもはっきりとした物音だった。

 葉や枝の間を何かがすり抜けている。

 その音はナオジの頭上のあちらこちらから降り注いでいた。

 

 あの悪寒のする臭みが、いっそう強くなる。

 ナオジは神経を緊張させた。

 確かな気配、それも複数の何かがナオジを取り囲んでいる。

 そのことが五感を通じて理解できた。

 

 危険だ、と思った後のナオジの行動は素早かった。

 彼女は一目散にその場から駆け出し始める。

 そしてバックパックに引っかけていたヘルメットを頭に装着。

 

 いったい何が森の中に潜んでいるのかは分からなかったが、完全に包囲されて手遅れになってはまずい、と本能が警告していた。

 ナオジは自分のその直感を信じ、目前を懐中電灯で照らしながら、出来るだけ全速力で走る。

 

 背後のざわめきがさらに大きくなった。

 音は群れとなって広がり、ナオジの背中はその音が自分を追いかけてくるのを察知する。

 

 枝とも根ともつかない植物の迷宮は、ひどく走りにくい。

 地面に広がった樹木の根に何度か足を取られて転びそうになるのを、ナオジは懸命にこらえる。

 

 そうやって足踏みするたび、追っ手の気配がナオジに近付く。

 その正体は不明だったが、肉体の原始的な部分が脅威を訴えていた。

 

 そしてついに、逃げ続けるナオジの直上、枝の天井まで音と気配が追いついてしまう。

 

 ナオジはそちらへ懐中電灯を向けなかった。

 代わりにその懐中電灯をポケットにしまい、ポーチから殺虫剤とライターを取り出す。

 

 彼女は全速力から急停止し、頭上に向かって殺虫剤を発射。

 ライターで引火した。

 

 橙色の火炎が森の枝を煌々と照らし出す。

 可燃性の殺虫ガスは簡易な火炎放射器となって謎の追っ手に襲いかかった。

 

 ナオジのすぐ真上で悲鳴が上がる。

 犬と鴉が同時に鳴き声をあげたような、奇っ怪な声だ。

 姿は見えない。

 しかしその声と同時に木の枝が激しく揺れる。

 気配が驚きの色を見せ、ナオジから離れた。

 ナオジはその隙を見逃さず、再び走り出す。

 

 周囲の茂みから、無数の(たけ)りがあがった。

 人間の声ではなく、何かの動物の喚きに似ている。

 ナオジにはそれが、笑声や哄笑の類に聞こえて仕方なかった。

 ナオジの不意打ちや、それにたじろいだ存在へ対しての、嘲笑。

 

 ナオジはその笑い声の正体を詮索する気などなかった。

 駆け始め、彼女はすぐに自分と並走しているものがいることに気付いたからだ。

 木々の間をかいくぐり、下草を押し分けて何かが地面を走っている。

 そこから、唸るような不気味な呼吸音が聞こえてきた。

 黒板を爪でひっかいた場合に生じる不快な感覚と同種のものを、ナオジはその呼吸音に感じ取る。

 

 ナオジは咄嗟に殺虫剤をしまい、懐中電灯を取り出した。

 その呼吸する何かへライトを向けようとした。

 

 が、空を引き裂く音、その音をナオジが聞いた瞬間、懐中電灯を持つナオジの手に強い衝撃が走る。

 

 僅かな間のみ照らし出された中、黒い鞭のようなものが翻ったのをナオジは見た。

 そして彼女は懐中電灯を拾うよりも、痛んだ手と反対の手で懐の金槌を掴み取り、暗闇に対して目茶苦茶に振り回した。

 

 そして再び闇の中で破裂音がほとばしる。

 金槌を持つ手が、強力な何かに持って行かれそうな震動を受けた。

 ナオジは思わず金槌を手から離してしまう。

 


「くそがっ!」



 ナオジはその場にうずくまり、ポケットに入れておいた硝子の小瓶とライターを手に取る。

 痛む手を叱咤しながら、小瓶から伸びた新聞紙に火をつけた。

 

 着火された小瓶を、唸る呼吸音の潜む闇に投げつける。

 ぼっ、と火の手が広った。

 事前に作っておいた小型の灯油火炎瓶だ。

 うまく命中したかどうか、ナオジは確認しなかった。

 投げたのと同時にまたしても無我夢中で走り始めたからだ。

 

 幸い、例の不気味な呼吸音は聞こえてこなかった。

 頭上を這い寄っていたものの気配もない。

 

 しかしナオジはその場から逃げることを優先したせいで、懐中電灯を紛失してしまった。

 闇の中を手探りで駆け抜けるのは困難だった。

 ナオジは何度も木の根に足を取られ、または盛り上がった土に足を取られ、転んでしまう。

 土と草葉が彼女を汚した。

 枝の先は鋭くナオジを裂こうとする。

 

 そして幾たびの転倒や裂傷の末、ナオジは自分が斜面を下っていることに気付く。

 

 彼女は足を止めた。

 悪い予感があった。

 

 その予感は的中する。

 手近な木を掴んで体を支えながら、ナオジはそっと片足を前へ伸ばす。

 

 つま先に触れるものは、何もなかった。

 


「……」



 ナオジは呼吸を整えながらライターを取り出し、火を点す。

 小さな明かりが森の終わりをナオジに教えた。

 ナオジのいる場所から先は、木々がまったく生えていなかった。

 ライターのわずかな光さえ飲み込む、闇の谷。

 


「崖か」



 ナオジは状況を確認すると、上着に隠していた鉛筆を取り出す。

 そしてそれを目の前の闇に放り投げる。

 

 小さな軽い音が、下の方で生まれた。

 鉛筆の転がる音を聞き、ナオジは眼前にある崖がそう高いものではないことを知る。

 彼女はライターの明かりを頼りに、バックパックからロープを取り出した。

 

 自分を支える木の幹にロープの片方を縛り付け、もう片方のロープを暗い崖へ垂らす。

 ライターの小さな灯火で先を照らしながら、ナオジはロープにすがって崖を下り始めた。

 崖はほぼ垂直に切り立ち、色の異なる地層が明かりの中に浮かび上がる。

 

 ナオジはその土の層を観察する余裕などなかった。

 もし自分の用意したロープより崖が深かった場合のことで、頭がいっぱいだったからだ。

 不安の通りであるなら、そこから飛び降りるか、それとも戻るべきか。

 ナオジは自分の幸運を祈った。

 

 不安は杞憂で終わった。

 ライターの明かりが、土の断面と接地する部分を照らし出す。

 地面だ。

 それもただの土ではない。

 石の敷き詰められた硬い床、明らかな石畳をナオジは見る。

 

 その石畳に下りた時、ロープの余裕はだいぶあった。

 ナオジが思っていたよりも崖は高いものではなかったようだ。

 

 一息つき、ナオジは自分の立っている場所を見渡す。

 

 そこは道だった。

 海外の古風な街道によく似た、石造の路地。

 道幅はだいたい数メートル程度だろう。

 崖の反対側、道の向こうはやはり森になっているようで、あの密生した樹木の姿があった。

 

 ナオジは方位磁針を取り出してみる。

 そしてすぐ、それが役に立たないことを知った。

 

 北を示す赤い針は、まるで時計のようにぐるぐると円を描いている。

 そのため、道がどの方角に延びているのかナオジには分からなかった。

 

 ナオジは諦め、方位磁針を懐にしまう。

 崖を背にすると、道は左右に延びていた。

 そのどちらへ向かえば良いのか、何か手がかりはないだろうかと闇に目を凝らす。

 

 見詰める闇から、唐突に、一瞬の閃光が迸る。

 

 閃いた直後、強烈な轟音がナオジの全身を揺さぶった。

 膨大な高音と低音が幾重にも混ざり合った激震で、ナオジは反射的に身を石畳へ伏させる。

 

 雷鳴だ、とナオジが理解する間もなく、彼女の視覚は闇に忍び寄るものを稲光の中から探し出した。

 

 ナオジはその場を飛び跳ねる。

 彼女がそれまでいた場所に、何かが這いずりながら殺到した。

 

 再び、雷光が輝く。

 白い烈光は辺り一面に陰影を与え、ナオジに迫っていたものの姿を浮かび上がらせた。

 

 それは根だった。

 崖の上の森で見た、あの触手めいた木々の根だ。

 それが何本も動物のように地面を這い、ナオジを捕らえようとしている。

 

 ナオジはしまいこんでいた殺虫剤を取り出し、ライターで着火。

 火炎を木の根に振りかけるが、根の群れは怯む様子がない。

 舌打ちし、ナオジは石畳の道を走り出す。

 殺虫剤もしまい、今度は火炎瓶を放り投げた。

 暗闇の中に光焔が上がりり、熱波を群がる根たちへ放つものの、やはり効果は薄い。

 根は火にも熱にもかまわず、石畳を突き進んだ。

 

 しかしその根たちが動く速さは、そう素早いものではない。

 ナオジは自分の足なら逃げ切れると判断し、根の迫り来る方向と逆の道へ突っ走った。

 

 ナオジの視界を、何かが横切る。

 

 途端、鋭い痛みが軍手を通して手の皮膚を灼いた。

 


「ッ!」



 無数の羽ばたきと、きぃきぃという耳障りな喚き声。

 それらを耳にし、ナオジはバックパックの側面に装備していた包丁を引き抜く。

 

 幾度目かの雷鳴が耳をつんざき、稲妻の閃光はナオジの頭上で飛び交うものたちがいることを示した。

 暗闇の中、翼を持つ何かの影たち。

 それが鳥なのか蝙蝠なのか、ナオジには判別できない。

 じっくり観察している暇はなかった。

 それらが空中からナオジにまとわりつき、鋭利な器官――牙か爪か――で襲いかかってきたからだ。

 

 ナオジを服の上から刺し貫こうとするそれらに対し、包丁一本で抗う。

 何匹かを叩き落とした感触はあるが、数が多い。

 その上、地面を這って木の根も追ってきていた。

 ナオジは走りながら再度、殺虫剤を手に取り、火炎放射器として使用しようとする。

 

 その殺虫剤を握った右手に、何匹かが激しく噛み付いた。

 


「ぃてっ!」



 突然の痛みにナオジは殺虫剤のスプレー缶を地面に落としてしまう。

 缶は石畳を甲高い音を立てて跳ね上がり、森の中へ消えた。

 

 畜生、と罵りながら、ナオジは仕方なく包丁だけで格闘する。

 ヘルメットはがんがんと殴られ、半ば自暴自棄に白刃を振り回し、走り続ける。

 体中が痛みを訴え、呼吸が荒くなっていったが、ナオジはかまわず石畳の道を駆け抜けた。

 

 どれくらい空中の脅威と戦っていたのか、気付くとナオジは自分に襲いかかってくるものが消えていることを見て取った。

 包丁は刃が半分折れている。

 


「……」



 肺が痛んだ。

 肩で息をするナオジは、自分が石畳の終わりにいるのだと知るまで、しばらくの時間が必要だった。

 

 その間に彼女が認識できたのは、目の前に煉瓦造りの壁があることと、いつの間にか遙か暗黒の頭上に、煌々と満月が昇っていることだけだ。

 

 周りからは何の音も聞こえなくなった。

 あの猛々しかった雷鳴も消え果て、痛いばかりの静寂が染み込んでくる。

 

 実際、ナオジは体の各部が痛かった。

 右手を見てみると、軍手がぼろぼろに千切られている。

 軍手を脱ぎ捨てると、切り傷だらけのナオジの手があった。

 傷口から血が滴っているのだが、ナオジは自分を落ち着かせるため、比較的軽傷の左手で煙草を取り出す。

 

 そこでようやく、彼女は自分がライターをなくしていることに気付いた。

 いつ、どこで落としたのか。

 半狂乱で包丁を振り回していた時か、殺虫剤を道に落としてしまった時か。

 

 とにかくライターがない。

 懐中電灯も失っていた。

 もしも月明かりがなければ何も見ることが出来なかっただろう、とナオジは溜息をつく。

 

 だが、彼女は不思議がった。

 実に立派な真珠色の満月を見上げると、つい先程まで大地を揺るがしていた雷電は何だったのだろうと思ったからだ。

 空は月以外に何も輝いていない。

 星屑もなく、しかし雲の輪郭さえ見つからなかった。

 朧月でもない。

 ナオジには謎の空だった。

 

 ナオジは自分に理解できないことは放置し、まず右手の傷へ対処することにした。

 対処すると言っても、傷口に消毒液を塗り、包帯を大雑把に巻き付けるという程度だ。

 きちんとした包帯の巻き方などナオジは知らない。

 

 左手はさして大きな傷を負っていなかった。

 絆創膏を何枚か貼り、それでよしとする。

 


「散弾銃とかダイナマイトとか、そういうのが欲しかったな」



 ナオジは奇跡的に無事だったバックパックから水筒を探し出し、一口だけ飲んで落ち着きを取り戻した。

 

 煉瓦を積み上げて出来た壁の上に、仄かな明かりが点在している。

 その明かりの位置から、壁はかなりの高さがあることが伺えた。

 ナオジの通う高校の校舎よりも高いだろう。

 石畳の道は、その壁に踏まれるように途切れていた。

 


「……」



 ナオジはしばし考え、とりあえず壁沿いに歩き始める。

 どうやら崖も森もこの壁より手前で終わっているらしく、小さな灌木がまばらに生える平原にナオジはいた。

 その平原を区切るかのように建つ石壁は重厚な威圧感があり、罅ひとつないきれいな煉瓦ばかりだった。

 まるで建造されて時間がそう経っていないような、でなければ時間の流れを無視して存在しているような、不自然な印象をナオジは持った。

 

 しばし壁沿いを歩くと、ナオジは自分の行く先に奇妙な光が瞬いていることに気付く。

 

 月光で仄かに明るい闇の中、夜空に浮かぶ星々のような、ひどく小さいがはっきりとした輝く何かが浮かんでいた。

 それはひとつではなく、まるで煌めく砂のように極小の粒子が光りながら集まり、常に形を変えて渦巻いている。

 流動的な光の砂塵は、ナオジに向かって訴えかけるように明滅していた。

 


「……呼んでるのか?」



 それとも罠か? とナオジは訝しんだが、ここで引き返してもどうにもならないと気持ちを固定し、光の渦に向かって進む。

 

 すると、その輝く砂煙は石壁へ吸い込まれるように消えてしまった。

 ナオジは肩すかしを受けた気分になったが、歩を急がせ、それが消えた場所へ向かう。

 

 その石壁には、小さな木戸が付いていた。

 開いている様子はないが、ナオジが戸口に手を掛けると、扉は簡単に開いてしまう。

 ナオジは慎重に中を窺いながら、木戸をくぐった。

 

 内部はやはり石造りの部屋だった。

 壁のいくつかの箇所に燭台があり、蝋燭が灯っている。

 おかげでナオジは月光に頼らずとも、部屋の中の様子を見ることが出来た。

 

 部屋は三、四メートル四方の正方形をした間取りで、調度品の類はなかった。

 扉もナオジが外から入ってきたもの以外には、天井付近に扉がひとつあるだけだ。

 床から上方の天井までだいぶ高さがあり、壁伝いに階段が出っ張っている。

 

 ナオジは石で出来たその階段の強度を確かめながら、それを昇っていった。

 

 蝋燭の明かりのため、足下が覚束ないと言うことはなかった。

 階段は螺旋状になっており、気付けばけっこうな高さにまでナオジは上がっていた。

 その高い位置にある扉まで辿り着くと、ナオジは戸の向こうに聞き耳をする。

 不気味なほど、何の音もしない。

 ナオジは折れた包丁を取りつつ、扉を押し開けた。

 

 冷風がナオジの全身をゆるやかに包む。

 

 ナオジの鼻が違和感を訴えた。

 悪臭を嗅いだわけではなく、その逆で、何の匂いもしなくなったからだ。

 耳も似たような症状を訴える。

 匂いという匂い、音という音が、いっせいにナオジの感覚範囲から遁走したような状態だった。

 

 ナオジは辺りを見回す。

 

 石の壁の内側には、同じような煉瓦造りの壁が建っている。

 巨大な壁と壁に挟まれ、煉瓦の路が伸びていた。

 そういった石の道に、ナオジは立っていた。

 彼女は道の遠くを見やる。

 道は細かく分岐し、迷路のように入り組んでいる。

 蝋燭による街灯が広い間隔で点いており、明るさと薄暗さが共存していた。

 ナオジはなんとも言えない肌寒さを感じる。

 

 この暗闇の世界に赴いて何度目になるか、ナオジの頭脳は再び進路について黙考した。

 

 しかし頭が結論を出すよりも先に、眼があるものを発見する。

 

 細い路地の先に、ささやかに輝く粒の群れを見つけた。

 あの光の粒子たちだ。

 拡散と集結を不思議な流動で繰り返しながら、仄暗い虚空に浮遊している。

 

 ナオジは警戒心を維持しながら、周囲に注意してその光の群集へ向かった。

 すると煌めく砂のようなそれは、音もなく路地の奥へ進む。

 わずかに脱落した光る粒が、闇の中へ消えた。

 ナオジは光を追う。

 

 空を飛ぶ光芒はいくつにも折れ曲がっては枝分かれしていく路を泳いでいった。

 あまりに何度も右左折を繰り返されるので、ナオジは方向感覚を狂わされてしまう。

 もはや自分がどの方角を向いているのか把握していない。

 景色に変化もない。

 高い壁に挟まれた、細い道。

 

 どれぐらいその道を進んだことだろう、ナオジはその道がいつの間にか大きな道に接続していることを知る。

 大通りに出たのだ。

 

 通りには出店が溢れていた。

 がっしりとした木材を柱にし、黒い天幕で軒を作っている、無数の店。

 道の左右に広がる雑多な物たちに、ナオジは一瞬、気圧された。

 軒下は明確に別れているわけではなく、天幕が重なり合っていたり、物品が繋がるように積み上げられている箇所もある。

 そういった店の中に、黒い外套のフードを目深に被り、顔を見せない店員がいた。

 どの店の者も、微動だにすることはない。

 路地の貧弱な照明になんとか照らされ、そこにいるのが分かるという程度だった。

 

 こうまで出店が密集しているにもかかわらず、道には相変わらずの無臭と無音が支配している。

 目で見る通り様子と、それ以外の五感が捉えた感覚に、ナオジは不気味さが皮膚から滲み出るのを実感した。

 彼女はその寒々しいものを振り払うよう、光の導きを探し出す。

 

 動くもののない大通りに、くだんの光の塵はゆっくりと泳いでいた。

 大通りに出て思わず足を止めたナオジに合わせるかのような速度で。

 

 ナオジはその光を追いかける。

 はたして彼女の動きに応じ、不可思議に明滅する極小の輝きの集合体は移動速度を上げた。

 

 道が、やや上り坂になり始める。

 坂になっても出店の数は減らず、目線を先伸ばしても、どこまでも店と物が続いていた。

 彼らが誰に対して、何を商っているのか、ナオジは考えなかった。

 何がどこから飛び出してきてもおかしくない、という注意を払いながら、彼女は坂を上る。

 

 しばらくして、光る砂は坂道の十字路を右に曲がった。

 ナオジはそれへついていく。

 

 その曲がった道には、出店がまばらにしか開いていなかった。

 そしてナオジは自分の視線の先に、暗黒があることに気付く。

 今までは曲がりくねった道であったため、視界は常に壁で遮られていた。

 その壁が、取り払われている。

 

 道の終わりが、その先に存在していた。

 誘導する灯火は道を奥へ、路地の末端へ進んでいく。

 ナオジは追う。

 

 視界が開けた。

 そこは広場だった。

 石壁に対して半円形に突き出た、展望広場。

 

 黒い空を牛耳るかのように、真円の満月が天頂に座している。

 

 ナオジを誘っていた光の一陣は、その月に向かって急上昇。

 やがて月光の中へ溶けて消えた。

 

 ナオジはその様をしばし見て、視線を広場へ戻す。

 

 そこに、人影がいた。

 

 白茶色の長い髪を伸ばした、月夜に映える白い顔の女。

 

 ヨリコが佇んでいた。

 



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