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レイルが長い眠りから覚めた翌日、俺は父上の執務室に呼び出された。濃い茶色で纏まった執務室は、落ち着く雰囲気でありながらも、どこか威圧を含んでいる。
「やあアーロン。レイル嬢の病状はどうだったかな?」
「3日に渡り眠り続け、先日目を覚ましました」
「そうか、それは良かった」
父上は椅子の背もたれに背を預ける。
「レイル嬢は目を、覚ましたのかな」
「おそらくは」
レイルの病状ではなく、彼女の日頃の目に余る行いに関する話へと変わる。
レイル嬢がこのまま我儘な態度を取り続けるのならば、我々は彼女に対する態度を考え直さなければならない。学園卒業までに、彼女を改心させなさい。父上はそう仰った。俺自身もレイルには己を見つめ直す機会が必要だと思っていた。彼女ならおそらくは学園滞在中に、それが出来るだろうとも。
しかし、彼女は入学初日からこれまでの態度を一変させた。ヒビが入ったガラス細工のように、触れれば壊れてしまうと錯覚させるほどに、彼女は脆くなった。
「目を覚ましたか。それは良かった」
「えぇ……」
一概に良かったとは言えない。俺の歯切れは悪くなる。
「これから、彼女は己の力を正しい方へ向けることが出来るようになって行くだろう。幸いなことだ。だが、しかし、私はそんな彼女に酷な運命を与えなければならない。お前にもだ」
父上が机を指先で叩く、カツカツと鳴る音が耳にまとわりつく。
「ナッファ国から、お前に縁談が来た」
我が国とナッファ国は、頂上が雲にかくれるほど高く険しい山で隔てられている。その山と、一神教のナッファ国と多神教の我がウォーラ国は何かと折り合いの悪さゆえに、交易は乏しい。
「お断りは、出来ますよね?」
ナッファ国とウォーラ国は戦争もせず、手も取り合わず、互いに接触を避けてきた。縁談の話は、そこまで強いものではないだろうとは推測できる。
「まあな。しかし先方が頼みこんできたのだよ、縁談の返事は彼女のウォーラ国の視察が終わってからお願いしたいと。断る手もあったが、レイル嬢の事を考えて受け入れた」
父上はレイルにこのままだと、国母の座を他の女に取られるかもしれないという危機感を与えたかったのだろう。それを機に、改心してくれる事を願って。
「しかし、レイルは目を覚ましました。その必要はもうないはず」
「それもそうなのだが……」
言葉を切って立ち上がった父上は、斜め後ろに立っていた付き人に「お呼びしなさい」と指示を出した。
そんな馬鹿な。俺は目を剥いた。父上からの報告は全て事後報告だったのか。
一度部屋を去った付き人が、再び部屋に戻って来た。ナッファ国の縁談相手を連れて。
「アーロン、紹介しよう。ナッファ国の現人神であるウラン様だ」
父上の紹介を受けて、一歩前に出た彼女は白い髪に、白い肌と鮮やかな血の色をした瞳を持っていた。見慣れた人とは違うその容貌は、彼女を神格化するに相応しいものだった。
「初めましてアーロン様。ウランでございます」
白い生地に白い刺繍が施されたドレスの端をつまみ上げ、彼女はゆっくりと礼をとった。父上と付き人が彼女の礼に感心を向ける中、俺の脳裏に浮かんだのは入学式の日の、涙を堪えながら礼を取るレイルの姿だった。父上はレイルを切り捨てようとしているのだろうか。
「ウラン様には、学園生活を送る合間に、視察をしてもらう事になった。学園ではアーロン、お前が彼女の御世話をして差しあげなさい」
「よろしくお願い致します」
控えめに笑うウランに、俺は「わかりました」と返した。
全てを許すと言わんばかりのウランの優しげな眼差しと、聖母のような微笑み。そっとさり気なく腕に置かれるウランの白い手。その全てに心が囚われそうになる。見えない糸が、手足に絡みついてくるような、不自然な感覚だった。
(^ω^)原子番号92