8(全訂正)
レイルと呼ぶ声が聞こえた。それは確かに私の名前だけど、夢の中の私の名前ではない。私はリーシアで、レイルではない。
リーシアに罵声を浴びせる醜い私の姿が、哀れだった。人を見下した笑みは決して美しくはなく、アーロン王子に嫌われて当然のものだった。醜いレイル。醜女は私。それに対してレイルの目を真っ直ぐと見るリーシアの姿は美しかった。心の美しさが、その気に現れていた。
「レ、イル…!」
途切れた涙混じりの叫び声が何度も繰り返しレイルと呼ぶ。現実では私はレイルで、野に咲く花のような彼女はリーシア。
私を呼ぶ声が誰のものか分からない。ただ、その声は優しかった。ココアを飲んだ時のような温かみが、体にじんわりと広がっていくのが分かる。
ゆっくりと瞼を開くと、召使いとアーロン王子の姿が視界に映った。
「あぁ!レイルお嬢様!!」
召使いが私に抱きついてきた。召使いの最近増えてきた白髪が目に入る。彼女とは幼少からの仲だ。しかし、私は彼女の名前を知らない。道具には固有名詞を付けない。身分の低い人間を厭う、貴族の考え方に沿い、召使いはただの召使いとされているからだ。
この老けた召使いの名前はなんというのだろう。
「もう目を覚まさないかと……!」
横になった私に覆いかぶさり涙を流す召使いの背中に、私はゆっくりと腕を回した。彼女の腕の中に収まるのは何年ぶりだろうか。年老いた彼女が私に使えているのは、お金のためだと思っていたが、今は彼女から親愛の情を感じる。
召使いが私から体を離した。お茶の用意をして参りますと彼女は退出する。彼女なりに気を使ったのだろう。
しばらく、私とアーロン王子の間に沈黙が流れた。私は布団の模様を見ながら、アーロン王子に問う。
「私、どれくらい寝ていましたの」
「3日、寝ていた」
3日。口の中でその日数を噛みしめる。初めて夢を見たときは1日だった。まさか自分が3日も眠り続けるとは。
「なぁレイル」
アーロン王子に呼ばれ、顔を上げる。彼は感情を押し殺した表情をしていた。
「なにから逃げてるんだ?」
さっと血の気が引いた。目の前に罪を突きつけれたような気分になった。
「ああ…」
なにから逃げてるのか。それは受け入れ難い辛い現実からであり、これから先の未来からでもある。つまりは、生き物として全うしなければならない『生』から逃げているということ。だからこそ私は、罪の意識を感じたのだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
私が弱いから、逃げるしかないのだ。現実と向かい合い、戦えるだけの力がないのだ。
私は強くない。醜く、愚かで、そして弱い。それらを必死に隠していた厚い皮は、入学式のその日に吹き飛んでしまった。心の中の怯えを隠すものを失ってしまった。
涙が溢れた。今まで抑えていた涙の全てが、堰を切ったように溢れてきた。
アーロン王子は国を背負う。私も本来ならばそれを共に担う立場にる。だからこそ強くある必要があった。だけど私には強さがなかった。愚かな私はそれを傲慢で隠した。貴族らしい貴族であることを強さと見間違えた。
アーロン王子が私の頭を撫でる。
幼い頃、陰で悪口を言われて泣いていた私を、アーロン王子が今と同じように頭を撫でて落ち着かせてくれたことを思い出す。
「私、自分が嫌いですの」
嗚咽交じりにそう呟く。
自信がなくて、臆病者の私は、未来を見てなおさら臆病になった。私では強く美しいリーシアに勝てないから。
「だから、逃げてしまうの」
「そうか」
アーロン王子は私の頭を撫で続ける。時折、髪を梳くその撫で方は幼い頃から変わらない。
強く聡明で美しいアーロン王子。彼に好かれ、隣にいたいと思う。14年の努力では足りなかった。それらは私の張りぼてを豪華にするだけだった。容姿を磨き教養も得たが、内にいる私は私のままだ。
私は、変わりたい。
他の方の作品を見ると、自分の文章の拙さに心がぽっきり折れます。