10
眠りから覚めた二日後。少し怠さを残すを無理やり動かして、私は学園に向かう準備を終わらせる。
「本当に向かわれるのですか」
馬車に乗り込んだ私を召使いが気遣う。
「大丈夫よマーシー」
私は慣れないその名前を呼ぶことに、すこし気恥ずかしさを覚えた。長年私の世話をしていた召使いの名前はマーシーといった。
マーシーを安心させようと出来るだけ柔らかい笑みを浮かべたが、彼女の表情を尚更不安の色に染め上げるだけだった。
「なにか困ったことが有りましたら、すぐにアーロン王子にお知らせするのですよ。もっと彼を頼って差し上げてください」
「えぇ、そうするわ」
返事はそう返したが、私が彼を頼ることはないだろう。怖いのだ。私が弱さを見せたとき、アーロン王子を頼ったとき、迷惑に思われることが。
頑張らなければいけないわ。
自分を変えること。それに、私がどうして未来を見たのか。長い夢を見るのか。やらなければならないこと、知りたいことは沢山ある。
学園のエントランスに入ると、そこには人溜まりができていた。私が足を踏み入れると、いくらかの生徒が道を開けた。その動きは、腫れ物を避けるような違和感のあるものだった。
何かがおかしいわ。
学園の雰囲気が変わっている。どこか熱を孕み、浮かれた空気が漂っている。
次々と人垣が割れ、次第に見えてきた光景がその答えだった。
アーロン王子が、誰か他の女と親しげに話している。
ついに伯爵家の令嬢との婚約を解消なさるのでは?新しい恋人があの女性なのだわ。周囲はそんな話で盛り上がっていた。気にくわない貴族の女の不幸話を、彼らは楽しんでいる。
こんなの、知らないわ!
思い出した記憶の中に、こんな光景はなかった。白い髪に白い肌を持つ相手の女は、この時期よりもっと先に現れる人物であるはずだ。私が婚約破棄を言い渡されたその後で、リーシアの邪魔をする人物。
それに彼女は、魅了の魔法を使う。
さっと血の気が引いた。逸脱した魔法の才能を持つリーシアだからこそ、魅了に掛けられたアーロン王子を救うことができた。
ならば、私は?
魔法なんて使える人間は少数だ。それも精神に作用を及ぼす魔法の使い手となれば尚更。この広い学園においても、精神干渉魔法を使用できるのはリーシアだけだ。
酷すぎる!
自分を変えよう。アーロン王子のために出来ることをしようと、そう考えていた矢先に、私では到底解決できない問題を目の前に置くなんて。
呆然と立ち尽くす私は、周囲の中傷に包み込まれる。クスクスと笑う声が、頭の中で幾重にも響く。
耳を塞ぎたくなったが、なんとか耐えた。崩れそうになる足にも力を入れ、背筋を伸ばしたまま、私はその場を立ち去った。
なんとかしなければ。あの白い女の魅了は巧みで、リーシアも物語の終盤まで気づかない。そして何よりも、リーシアの能力はまだ覚醒していない。
リーシアの能力は「愛の恵み」と名付けられていた。己の愛する人から愛されること、つまり両思いになることでリーシアの能力は向上する。そして白い女の魅了の魔法は、覚醒したリーシアにしか解けない。まるで物語のような流れだ。
先天的な魔法力無くしては、愛する人を助けられないなんて、酷すぎる。物語は多少の変化はあれど都合よく、リーシアと彼を結びつけるように動いている。
ほろりと涙が落ちた。ずっしりと重くなる心。頭に靄がかかり、胸の内が熱くなる。また夢に逃げようとしている。
変わりたいと思ったのは嘘だったのか。
自分が嫌いだと打ち明けた時、撫でてくれたアーロン王子の手を思い出す。
彼はまだ私を捨ててはいない。触れてくれた。
応えなければ。優しい手と、まだ私を見てくれるアーロン王子の目を。
唇を噛んで眠気を飛ばす。
私は自分に出来ることをするために、学園内の図書館へと向うことにした。
我輩勉強に追われて死にそう