2 「いいかい。この“観光促進プロジェクト”は市長命令」
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ここは伊河市役所の観光課。その部署の奥にある課長の机の前に、幸一は立っていた。
「どれもこれもダメだな」
席に座る人物が粗暴に言いながら、数点の書類―企画書―を雑に机に放り投げた。
各企画書の表紙には“老人と若者の温泉巡り”“とり天VSから揚げ”“油谷熊七の人生劇”などと書かれている。
高級そうな革張りの椅子にどっしりと座っているのは、観光課の課長――村井茂雄。幸一の上司だ。
「はぁ……」
幸一は、精魂込めて考えて作った自分の企画書を無下に扱われたのと、その努力に対する評価に力の無い声で返した。
「どれも目新しさが感じない。観光客を増やせる企画じゃないな、高野君」
恐縮しつつ、黙って茂雄の話を聞く幸一。
「いいかい。この“観光促進プロジェクト”は市長命令。つまり、普通の観光イベント企画じゃダメなんだよ。そこを理解してるのか?
もっと伊河市に若者や老人、外国の方が来るような、そして来たくなるような。そういう画期的な企画を市長は期待しているんだよ。解っているのかい?
ウチの観光課でも高野君は若者の部類に入るんだから、私たち年寄りが考えつかない企画を考えて貰いたいんだ」
云々と語る茂雄の言葉に、だからどうすれば良いのか具体的なことは言わず、ただダメな部分しか言わないこととアドバイスすら無い説教は、ただ脳に疲労が蓄積するだけだが、その事を極力顔に出さないようにした。
茂雄は五十代。既に頭髪は年相応に薄くなっており、頭皮があちらこちらに見えていた。
この歳の人間はたいてい頭でっかちになっている。脳のシワがその頭髪並に少なくなっており、己自身では新鮮な発想を考えることも、理解することも難しくなっている。茂雄のウダウダと話すのを余所に、幸一はふと奥にある窓に視線を移し、外の景色を眺めた。
広がる景色は伊河市の街並み。高野幸一が暮らす街だ。
街の所々から白い煙がモクモクと上がっている。火事とかの煙ではなく“湯けむり”なのだ。
ここ伊河市は、温泉が有名な観光地である。
だが、昨今では観光客の減少が顕著になっており、昔ほどの賑わいは見かけなくなっていた。それはどこの観光地で抱える問題でもあるが。
温泉という他の観光地が喉から手が出る観光資源を持っていても、それだけでは観光客を呼びこめるウリが弱くなっていたのである。
温泉という観光資源すら無い観光地では、観光客を誘致することができる“イベント”を興すことに躍起になっている。最近ではB級グルメなどが代表的なイベントの“例”だろう。
伊河市は、かつては温泉だけで観光客が集まってくれた。しかし、過去の栄光と産物だけでは、もはや観光客が集まって来なくなっているのだ。
観光地に観光客が来なくなるというのは、その地の住民にとっては死活問題になる。
この伊河市は観光都市だから、ホテル業などの観光産業や小売業を中心とするサービス業…第三次産業は、八十パーセントに達している。伊河市に暮らす人々は観光業の仕事に携わっている人達が多い。
だからこそ、人が来なければ仕事が無くなる。仕事が無くなれば、お金がその地に落ちなくなる。伊河市の商店街はシャッター街へと、現在進行形で進んでいるのであった。
そこで“観光客の誘致に力を入れる”を公約に掲げ、ついこの間行われた市長選挙で当選した――稲尾久雄市長は、観光客を呼び寄せるイベントを催すと大号令を発令したのである。
この名誉ある大号令を任命されたのが、高野幸一が所属する“伊河市役所観光課”だった。
観光課の職員総動員で、新しい観光のイベントを企画することになり、こうして町興しになる新企画を考えては提案するといった、現在に至るのだった。