越権彼女
涼は、目をキラキラとさせながら椅子から立ち上がった。勢いが強すぎて、椅子が後ろに飛んで道善の机に当たって激しく音を立てた。
「なに!文化祭だと!まじでか!オイユキりんまじでか!」
「ユキりんはやめろと何回言ったら分かるんですか。今からそれの話し合いをすると言ったばかりでしょう」
「やっべえモチベーション上がるわ~」
「涼、そろそろ黙ろうか」
梶原の言葉に涼はへいへいと渋々頷きながら蹴散らしていた椅子に座り直した。この騒音の中でも涼の後ろの席の道善は机に突っ伏して熟睡中だから大したものである。
クラス委員である西戸崎は教室が静かになるのを待つと、口を開いて良く通る声でまた話し始めた。
「再来月に迫った文化祭の出し物を決めてしまいたいのですが」
「だそうだーお前らさっさと話し合って決めろよ」
大塚はさらりとそう言うと、書類の下で携帯ゲーム機をいじくり出した。クズ教師である。生徒達は大塚に従ってザワザワと話し始めたが、果たしてこのF組からまともな意見は出るのだろうか。一年生の頃、予算のことを何も考えずに突っ走るメイド喫茶派(創作などではよくあるが衣装代やらがかさむのだ)と、煩悩あふるるポスター発表派(テーマは校内美少女図鑑)の争いが勃発し、もめに揉めたがどちらとも学校の許可がおりず、結局小豆拾いゲーム(箸で小豆を拾った数を競う)になったのはF組全員の負の思い出である。
梶原が横を向くと、涼は目にキラキラと星を散らせて熱い溜め息をついていた。
「文化祭なんて涼初めて…! 」
「中学ん時はやらなかったの?」
きょとんとした顔で川端が尋ねる。
「調子悪かったり入院してたりでまともに参加出来てなかったのだよ!」
そういえばそうだった。文化祭の前後一週間は梶原に対する嫉妬が激しくて、毎年死ぬ目をみていた。今年はどうやら平和に過ごせそうである。安心して息をつく梶原の肩ががしっと涼に掴まれる。
「……何?」
「アッシーくん、よろしく!」
「古いよ! 文化祭ぐらい解放してくれよ! 俺は適当に原田とかと回るからさあ!」
涼が復活してからはあからさまに梶原を避けている友人に、これをきっかけに物申すつもりだった。このままだと梶原と原田の友情は自然消滅しそうである。
「解放って何のことかな? そんなに私のアッシーくんが不服なのかね、みいくんは!」
「慎んでお受けするから肩にその長い爪刺すの止めて」
幼い時の呼び名まで出されるとは思わなかった。あの頃の涼は普通の可愛い女の子だったのに、本当に何があったらこの性格に成長するのだろうか。責任は自分に絶対にない筈だ。
結局文化祭の出し物は、西戸崎の采配のおかげで揉めることなく、原価の安いカキ氷出店になった。
大塚のやる気のない終礼が終わり、級友達は部活や帰りの準備を始める。梶原はいつものように鞄を手に持ち、涼の方に行く。帰りは梶原の部活がある為別々なので、非力な涼の荷物も自分の鞄に入れてやっているのである。しかし梶原はあることを思い出して鞄を運ぶのを止めた。そして自分の机に置き直す。そうだ、朝の涼との会話と今の大塚の終礼、どっちともこの頃出没している不審者への注意を喚起させていた。
「おーい、鞄~」
動きを止めた梶原を、涼は眉を寄せて呼ぶ。
「不審者捕まるまでは俺と一緒に下校しとこうよ」
「まだ明るいから大丈夫だって! それに観晴は部活あるでしょ!」
涼は不服そうに頬を膨らませる。不審者に明るいとか暗いとかはあまり関係ないだろう。この町は繁華街と住宅街の人口に差がありすぎるのだ。実際梶原と涼の家の付近も夕方でもめったに人が道を通らない寂れ様である。
「部活終わるまで図書室で待ってて。あそこならずっと開放されてるし」
「めんどっくさー! オイ下僕、部活動終了時刻から10秒以内に迎えに来なかったら一週間空気椅子で授業受けてもらうからな!」
「はいはい」
凶悪な表情で吐き捨てて、涼は教室を出て行く。今日は三つ編みにしていた涼の髪が最後にするりと教室から消えるのを見送った後、梶原は部活用のエナメルバッグを教室後部のロッカーから取り出した。『一週間空気椅子』に気が散ってしまわないように気をつけよう。