攻城彼女
「お冷やとスマイルで」
流石天下の某チェーン店。店員は全く動揺した様子もなくマネキンのような笑顔で最悪な客に水を差し出した。だが一つだけ残念だったのはレシートをきらなかったことだ。それ位の毒を見せてこそSだ! そう心の中で呟いた道善が持つトレイには、ボリュームを売りとした某セットが二つ乗っていた。勿論分け与えるつもりは毛頭ない。フタもストローも付いていない紙コップをさも当然のように昼飯として受け取った涼は一番喫煙席から離れた四人掛けのテーブルを贅沢にも陣取る。中途半端な時間に映画が終わったおかげか映画館に併設するこの店は空いており、閑散としていた。道善は度々この店を値段や敷居の低さという点で重宝していたがこんな静かな状態で、こんな植物のような女とのデートに使用するのは初めてのことだった。早々体験出来ないシチュエーションである。これはツッコミ待ちなのだろうが、それで足りるのか? という質問すらはばかられてしまう有り様なので道善は黙ってハンバーガーを口にした。
「タダより怖いものはないって言うっしょ? それを怖れないのが勇者涼!」
涼が水をごくりと飲み込んで発した言葉に道善は拍子抜けした。
「で、本当は?」
「本当?」
「金欠なのか? まさかその貧相な体でダイエットじゃあるまいし」
「フン、こんな下々の者が好む料理が涼様の口に合うと思ってんの?」
「それをあのマネキンの前で言って来てくれよ」
マネキンなんて何処にいんだ! と周りを見渡す涼をほっときつつ、道善はポテトをつまむ。細く切られたジャガイモがさっきの映画に出て来たイソギンチャクの化け物の触手に良く似ていることに気付いて食欲が後退していくのを感じた。B級なりにリアルだった、うん。首を動かすのを止めた涼も同じことを考えたのだろう、「寄生…」と呟いた。縁起でもない。
「実際さあー、昼飯なんていらないんだよね。食べるのキツいし」
涼は紙コップを爪弾く。あれ? 学校ではいつも普通に梶原から弁当を受け取って普通に食べてなかったか? 勿論女子だから量は道善のそれと比べるべくもなかったが。道善がそれを問うと、涼は困惑したように眉を顰め、
「人が折角作ってくれた物を残す訳にはいかないだろ!」
きっぱりと世間の理であるかのように言うのだった。いや、実際に世間の理とまでは言わないでもそれが礼儀だとは道善も理解している。だがこの台詞がこの俺様女から出ることに違和感がありすぎるのだ。
「食べたくないなら端っから断ればいいだろうが」
「そしたらクソうざい『心配』というやつを始めるじゃん。私は心優しい清らかな美少女だから、そういうのが忍びないのー」
これはツっこむところなのだろうか。普段の態度と余りにも矛盾した言葉、道善は笑い出すのを耐えてふるふると口の端が引きつるのを感じた。本当におかしな奴だ。
「ポテトいるか?」
「いらん」
なんと即答だった。
「折角の人の好意をどの口で。差別はいけないんじゃなかったのかよ」
「アキちゃんは私が友達の大事な昼飯を奪ったりするような美少女に見えるのか!」
ともだち?
「その触手はアキちゃんに寄生すべきものなのだから!」
「……詭弁か嫌がらせかどっちかにしてくれよ」
一方その頃ストーカー三人組はお約束にも映画館の向かいの喫茶店で張り込み中であった。
「ベクトル!実数倍はka! 0aは0!有向線分は長さ大きさ!」
「梶原くん、勉強は口を閉じてしてください」
「あいつら映画まだ見てんのか? 暗闇で二人きりなんてうらやま…けしからん!」
「五郎丸さん。本当に落ち着いてください」
西戸崎の顔からどんどん生気が抜けているのは梶原にも見てとれる。ヤクザのブレインみたいな顔以外は常識人の西戸崎が、張り込みを始めて約二時間この状態に耐えられていることが奇跡と言っても過言ではないのかもしれない。だが梶原にも譲れないものがあるのだ。
「ありをりはべり!」
「梶原くん、黙れと言っているでしょう」
「ごめん。そうだよね、隣にいたって忘れられるほど地味な俺が声を出したら目障りだよね」
「根に持たないでくださいよ…」
うんざりした西戸崎を見て、梶原はしぶしぶ黙った。テスト勉強を邪魔された上に見たくもない幼なじみのデートを見せられるなんてボケないとやってられない。ただこのストーカー行為を強要した五郎丸より、自分の存在に気付いてくれなかった西戸崎への恨みが数倍勝っているのである。
「五郎丸くん。そろそろ帰りましょう。ここまでつけてもう気が済んだでしょう?」
「ユキはアキと涼ちゃんが心配じゃないのか? うらやましくないのか!」
「主将、本心がはっきりくっきり見えてますよ」
「あのバカ道善と人のことをユキりん呼ばわりする笹原さんがどう乳繰り合おうと知ったこっちゃないです」
どストレートに吐き捨てた西戸崎は溜め息をついた。言葉の乱れが激しい。苛立ちが頂点に達しつつあるようだ。
「ユキりんなんて良い方ですよ」
「そうなんですか。他にも被害者がいるんですね」
「俺(下僕)と五郎丸さん(童貞主将)と先生(手駒)、他にもいるだろうね。男の名前は可愛くないかららしいよ」
指折り数えた梶原に西戸崎は死んだ魚のような目を向けた。
「えーっと、高校に入る前で一番酷かったのはアレだな。『スケトウダラ』と『スケープゴート』の究極の選択を迫られた奴がいたよ」
「……同情するよ」
膨大な涼に関する記憶を辿って述べた梶原から、頬杖をついた西戸崎の目はすいっと窓の外に向けられた。一拍の後、その目は訝しげに細められる。オペラグラスで同じ方向を見ていた五郎丸が、ホシが出て来たぞ、伏せろ! と叫んだ。完璧に刑事のノリである。こっちを見たとしてもこの喫茶店は道路を挟んでまあまあ遠いから、俯いておけば気づかれないだろう。
「あっち、笹原さんの家と逆じゃないですか?」
「まだ遊ぶつもりなのか、けしからん! 俺なんて女の子と二人きりの空間に五分といれたことはないのに!」
梶原は眉を寄せた。悔しそうに唇を噛んでいる五郎丸と感情を共有した訳ではなく、何か頭に引っかかることがあったのだ。涼は昨日何と言っていた?「寝たら刺す」いや、もっと後。「道善に映画館に連れてってもらうから先に寝る! 部屋に戻るの面倒くさい」いきすぎた。もうちょっと前。「そうだ道善にも勉強を教えてやろう」これだ、これ。
そしてテストは明日からだった。
「西戸崎くん」
「なんだい?」
「道善くんの家どこか知ってる?」
「行ったことはないですが、確かあっちだったと、……!」
「そういやアキは一人暮らしだっつってたなあ……」
さらりと言って温くなっているだろうお冷やを啜った五郎丸は、時間差で吹き出した。西戸崎が指差す先に、もう二人の姿はなかった。