第一話 委員長、異世界に立つ
この物語の主人公は、勇者ではない。
剣も、魔法も、華やかなスキルも持たない。
眼鏡におさげ、常に控えめ。
元の世界では、教室の隅で出席簿を抱え、
「静かにしてください」と小さな声で注意する——
そんな、ごく普通の委員長だった。
異世界に転生した彼女が最初に選んだ行動も、同じだ。
まず話す。
次に説明する。
それでも通じなければ——仕方がない。
この世界では、理屈より先に牙を剥く者が多すぎた。
彼女が授かった唯一のスキルは、「拳」。
交渉が成立しなかった時、
最も早く、最も確実に話を終わらせるための力。
争いを好まないからこそ、殴る。
秩序を守りたいからこそ、拳を振るう。
これは、
話し合いを諦めなかった委員長が、
毎回きちんと話を通そうとして、
結局、奥歯をガタガタ言わせる物語である。
——最終警告は、いつも静かだ。
「奥歯ガタガタ言わせたろか」
──まず最初に、話し合いを試みるべきだ。
それが私の信条だった。
石畳の上に立ち、私は深く息を吸う。胸元で揺れる生徒手帳は、もうこの世界では何の効力も持たない。それでも、背筋は自然と伸びてしまう。長年染みついた癖だ。
丸眼鏡を指で押し上げ、私は目の前の存在をまっすぐ見据えた。
「あなたにお聞きします。ここはどこですか。私はなぜここにいるのですか。そして、あなたは——敵意を持っていますか?」
返事はなかった。
代わりに、低く唸るような声と、金属を引きずる音。
目の前のオークは、理解不能な言語で吠えながら、棍棒を振り上げた。
……ですよね。
「残念です」
私は静かに拳を握った。
次の瞬間、世界が一歩、私の方へ近づいた。
***
名前は如月 真面目。
元・公立高校三年、学級委員長。
気がついたら、光に包まれて、気がついたら草原で、気がついたらオークと対峙していた。
異世界転生。
よくある話だ。読んだことはある。
問題は——
「……スキルが、拳?」
目の前に浮かぶ半透明のウィンドウを、私は疑いの目で見つめていた。
⸻
スキル取得:〈拳〉
・素手による攻撃力が極端に上昇します
・会話成立率が一定以下の場合、自動的に最適打撃を算出します
⸻
「……最適打撃?」
考える暇はなかった。
オークの棍棒が振り下ろされる。避けるより早く、私の身体が前に出た。
理屈ではない。
恐怖でもない。
ただ——委員長として、止めるべきだと判断した。
腰を落とし、右拳をまっすぐ突き出す。
ゴン、という鈍い音。
オークの顔面がひしゃげ、巨体が後方へ吹き飛んだ。
地面に叩きつけられ、動かなくなる。
……静寂。
私は、拳を見つめた。
「……暴力は、最終手段のはずなんですが」
手は痛くない。むしろ、驚くほど自然だった。
まるで——これが私の役目だとでも言うように。
***
その後も、同じだった。
盗賊。魔物。ならず者。
私は必ず最初に話しかける。
「対話による解決を提案します」
「武器を下ろしてください」
「こちらに争う意思はありません」
そして——
「グギャア!」
「殺せ!」
「奪え!」
話が通じた例は、今のところ一件もない。
結果。
拳。
拳。
拳。
倒れる敵。砕ける地面。
なぜか増えていく経験値。
私は戦士でも勇者でもない。
ただ、秩序を守りたいだけなのに。
ある日、町の門番に止められた。
「……あんた、武器は?」
「ありません」
「職業は?」
「委員長です」
「……?」
困惑する門番の前で、背後から盗賊が飛びかかってきた。
「待ってください! 今は話し合——」
拳。
盗賊、沈黙。
門番は、目を丸くして言った。
「……奥歯、全部無事か?」
私は眼鏡を直し、少し考えてから答えた。
「次からは、もう少し穏やかにいきたいです」
嘘だった。
この世界では、話が通じない相手ほど、殴るのが早い。
それを私は、もう理解してしまっていた。
そして今日もまた、私は言う。
「——最後に確認します。
引き下がる意思はありますか?」
返事がなければ。
拳を構えるだけだ。
委員長は、今日も静かに告げる。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
眼鏡におさげの委員長が、
異世界で拳を振るう話はいかがでしたでしょうか。
本作の主人公は、とても控えめです。
争いが嫌いで、空気を壊すのも苦手で、
できることなら「話し合い」で全部済ませたい。
けれど、世の中には
どれだけ丁寧に言葉を選んでも、
どれだけ誠実に向き合っても、
どうしても通じない相手がいます。
それでも「話そう」とする姿勢だけは、
最後まで手放さない。
だからこそ彼女は、拳を振るいます。
怒りではなく、諦めでもなく、
秩序を守るための、最終手段として。
――委員長なので。
この物語は、
優しさが強さに変わる瞬間の話であり、
「穏やかであること」と「折れないこと」は
同時に成立するのだという、
ささやかな証明でもあります。
もし現実世界で、
話が通じない何かに疲れてしまった時、
この委員長のことを少しだけ思い出してください。
殴る必要はありません。
ですが、引く必要もありません。
最後に。
今日もどこかの異世界で、
彼女は眼鏡を直し、深呼吸をしてから、
きちんとこう言っています。
「では、最後に確認しますね」
——通じなければ。
奥歯ガタガタ言わせたろか。




